責任的に生きているか

主日礼拝

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌23番
讃美歌166番
讃美歌500番

《聖書箇所》

旧約聖書:民数記 16章3節 (旧約聖書240ページ)

16:3 彼らは徒党を組み、モーセとアロンに逆らって言った。「あなたたちは分を越えている。共同体全体、彼ら全員が聖なる者であって、主がその中におられるのに、なぜ、あなたたちは主の会衆の上に立とうとするのか。」

新約聖書:マルコによる福音書 11章27-33節 (新約聖書85ページ)

11:27 一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、
11:28 言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」
11:29 イエスは言われた。「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。
11:30 ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」
11:31 彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。
11:32 しかし、『人からのものだ』と言えば……。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。
11:33 そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」

《説教》『責任的に生きているか』

時は、十字架の週、受難週の火曜日のことと思われます。この日も主イエスは神殿へ来ておられました。27節に「神殿の境内を歩いておられると」と記されていますが、ルカ福音書20章1節には、「神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせていた」と記されています。主イエスは、この日も、神殿に来て御言葉の宣教に力を注いでおられたのです。これは、「驚くべき大胆さ」です。何故なら、前日主イエスは、神殿の境内で商売している者に対して怒られ、台をひっくり返して大暴れされたばかりであったからです。既に述べたように、神殿内の商売は莫大な利益をもたらし、最大の権力者、大祭司の独占事業でした。ですから、昨日の主イエスの行動は、神殿を支配する大祭司の権力に対する真正面からの挑戦であり、主イエスは、御自身をもはや後戻り出来ない立場に置かれたのです。これが、前日の「宮潔め」と呼ばれる事件でした。

まさに、その翌日、「再び神殿へ来る」ということが、警護の神殿警察まで居た当時、どれほど危険であるかを主イエスは、よく御存知の筈です。それにも拘らず、主イエスは、前日と同じ場所に姿を現したのです。ここに、問題を徹底的に暴き、神の御前における人間の罪を何処までも追求する主イエスの厳しさを、見なければなりません。

主イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、言いました、「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」(27-28)。

当時のユダヤは、ローマ帝国の支配下にあって独立国家ではないものの、祭司長、律法学者、長老たちからなるサンヘドリンと呼ばれる「最高法院」が、人々を指導していました。その最高法院の代表者たちが、前日の事件についてナザレのイエスの責任を問い質しに来たのです。

主イエスの昨日の行為は、彼らの権威に対する公然たる反抗でした。伝統と権力の上に君臨し、政治的にはローマと妥協して支配を担って来た彼らは、ナザレのイエスを一人の過激な民族主義者と見たのでしょう。

18節に「祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った」と記されていました。彼らの意図は明確でした。従って、昨日の出来事は、神の子キリストが生命を賭けて闘ったものだったのです。

彼らが責め立てた「このようなこと」とは、前日の「宮潔め」を指しています。勿論、彼らの憎しみは以前からのものであり、機会あれば殺してしまいたいと思っていました。ここで、主イエスが公然と神殿の境内で大祭司の権威をないがしろにしたことで、ユダヤ教の代表者たちは、もはや許し難いとして、主イエスを糾弾するために権威の所在を巡って詰問して来たのです。

神の民としての誇りに生きて来たユダヤ人にとって、最も大切な場所はエルサレム神殿であり、律法はその神聖さを保つために、数々の戒めをもって人々を教え導いて来ました。「神殿なき信仰は有り得ない」とするのがユダヤ人本来の信仰であり、その神殿における最高の権威者は大祭司です。大祭司は、神に最も近く仕える者としての神聖な務めであり、彼の意図を受けて行動する者を妨害する資格は誰にもないのです。

彼らの主張は「神殿の境内で勝手な行動をすることは許されない。その許されないことを何故したのか」。これが、権威をたてにとって詰め寄る祭司長たちの主張です。彼らは、主イエスが「神殿の法」に背き、「神聖であるべき神殿を汚した」という理由で拘束することが目的であったのです。

ここで私たちは、彼らのもっともな非難の中に、重要な見落としがあることに気付かなければなりません。彼らは、最高の権威が大祭司にあると信じているのです。大祭司を頂点として、末端の祭司・レビ人から庶民に至るまで、ピラミッド型に権威が与えられていると考えていました。

最も大切な、「真実の権威は主なる神のみにある」という基本的なことが、いつの間にか忘れられて来ていたのです。

「主なる神こそが最高の権威者である」と、「常に新たに告白し続けて行く」のが信仰です。主の御前に立つ祭司長たちが、世俗的価値観に惑わされて信仰を失っていくと、肝心の主なる神ご自身さえ覆い隠してしまうのです。確かに、当時の大祭司はイスラエルにおける最高の権威を持っていました。しかし、聖書が語る信仰の権威と、人間社会を指導する世俗的権威とは違うのです。

「権威」とは、辞書(広辞苑)に拠れば「下の者を強制し、服従させる威力」とあります。そこでは、確かに権威と権力とは一体化していると言えるでしょう。

この世の権威は、常に何か「より大きな力」を背景とし、その力に支えられて威力を発揮するものです。新約の時代、世界はローマ帝国の支配下にあり、ローマ皇帝が世界の権威でした。ローマ帝国は、武力によって地中海世界の統一を実現し、世界を支配し、秩序を行き渡らせていました。各地の植民地の指導者たちは、ローマ皇帝の権威を背景にして自分の権威を明らかにし、民衆を支配して来たのでした。

ローマ帝国占領下でユダヤ民衆の指導を任された大祭司も同様でした。ローマ皇帝の世俗的権威を、永遠を支配される主なる神より託された権威の支えとして利用していたのです。そして、主なる神が委ねた信仰の権威を、この世を支配する権威と混同していたのです。

主イエスが、受難週の月曜日、神殿の境内で大勢の群衆を前にして思い切った「宮清め」の行動に出たのは、大祭司が持つ権威の実態を、神の御前で改めて問うことでした。

主イエスは、巡礼者など大勢の人々が集まる過越しの祭の神殿の只中で、大祭司たちの権威が、もはや主なる神に与えられ支えられているものではなく、見せかけの権威であり、人々の心を主なる神に代わって教え導く力を失っていることを示したのです。ここに、「主なる神を上回る権威はない」という、この世界に対するキリストの宣言を聞かなければならないのです。

主イエスは、29節以下で彼らに尋ねられました。「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネのバプテスマは天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」。バプテスマのヨハネも祭司ではなく、一介の野人でした。彼もまた、世俗の権力に反抗し、そのためにローマ帝国からユダヤ支配を託されたヘロデ王に殺されました。ヨハネは、「宮清め」はしませんでしたが、そんな権威でユダヤ民衆を支配している人々を「まむしの子」と決め付け、「差し迫った神の怒りを免れると思うのか」と、叫びました。そしてユダヤ民衆は、そのヨハネの言葉を大いに賛同していたのです。主イエスは、このヨハネを例にとり、真実の権威が、何処にあるのかを明らかにされようとしているのです。

祭司長、律法学者、長老たちは論じ合いました。31節以下に、「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう、『人からのものだ』と言えば、彼らが恐れている群衆の反発があるだろう、と記されています。民衆はヨハネは本当に預言者だと思っていたからとあります。

真実を見ようとしない人間の醜さが、隠す余地なく現されていると言えるでしょう。当時、バプテスマのヨハネが多くの民衆から支持されていたことを、神殿指導者たちも認めざるを得なかったのです。

しかし、ここでバプテスマのヨハネの権威を認めれば、ヨハネをして「私はこの人の靴の紐を解く価値もない」と言わせた主イエスの権威も認めなければなりません。また逆に、バプテスマのヨハネの権威を否定することは、ヨハネを慕う圧倒的な数の民衆を敵に回すことになってしまいます。この世の権威を頼りとする者は、人の力を最も恐れるものです。人々の眼を恐れ、人々の言葉を恐れるのです。

主イエスの問いの前に、祭司長たちは、自分たちの権威がまったくの偽物であり、見かけだけの権威に過ぎないことを示してしまったのです。32節の「群衆が怖かった」とは、神を畏れる姿ではなく、民衆を怖がる姿でしかないのです。

そう言う私たちは、どのよう立場に立っているでしょうか。

真実の自由とは、これらの束縛から解放されて生きることなのです。行動の源が、「神の許しに基づいている」という時のみ、何ものをも恐れずに生きることが出来るのです。見せかけの権力を誇り、それを権威と錯覚し、人の力に頼る人間の愚かさがここ神殿指導者たちに現わされているのです。

祭司長、律法学者、長老たちは主イエスに、「分からない」と答えました。

これこそ、実に象徴的な姿です。「分からない」のではなく、自分の姿を明らかにすることを避け、逃げているのです。誤魔化しているのです。真実に生きる勇気を持たない人間の醜い姿です。

すると、主イエスは、「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」と言われました。最終的責任をとろうとしない人間に、主イエスが答えを拒否されるのは当然のことでした。

ヨハネの黙示録3章15節以下に象徴的な御言葉があります、それは「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくも熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」と、ハッキリと記されています。

真実を言わない者に主イエスは答えられません。主イエス・キリストの福音は、全ての人間に向けられているのですが、自分の責任をとろうとしない者には、「キリストのほうから拒否される」と聖書は告げているのです。信仰とは、常に「真実」を要求するのです。

ユダヤ教の代表者たちに、主イエスは「何の権威でこのようなことをするのか、わたしは言わない」と拒否されました。しかし、聖霊なる神に導かれて礼拝を守る私たちには、大いなる宣言として聞こえて来ている筈です。「わたしは今、父なる神の権威によってすべてを行っている」と。主イエス・キリストは、福音にすべてを委ねて行く私たちに、「わたしこそ神の権威そのものである」と仰っているのです。

私たちは、この「キリストの真実」の下に生きています。御子キリストの血によって贖われた生命を生きています。

何ものも恐れず、常に真理を仰ぎ、主なる神の栄光を望みつつ生きる人間の強さ。主イエス・キリストは、それを私たちに教えられたのです。

決断

主日礼拝

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌7番
讃美歌301番
讃美歌494番

《聖書箇所》

旧約聖書:エゼキエル書 9章1-6節 (旧約聖書1,306ページ)

9:1 彼は大声でわたしの耳に語った。「この都を罰する者たちよ、おのおの破壊する道具を手にして近寄れ。」
9:2 すると、北に面する上の門に通ずる道から、六人の男がそれぞれ突き崩す道具を手にしてやって来るではないか。そのうちの一人は亜麻布をまとい、腰に書記の筆入れを着けていた。彼らはやって来ると、青銅の祭壇の傍らに立った。
9:3 すると、ケルビムの上にとどまっていたイスラエルの神の栄光はそこから昇って、神殿の敷居の方に向かい、亜麻布をまとい、腰に書記の筆入れを着けた者に呼びかけた。
9:4 主は彼に言われた。「都の中、エルサレムの中を巡り、その中で行われているあらゆる忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ。」
9:5 また、他の者たちに言っておられるのが、わたしの耳に入った。「彼の後ろについて都の中を巡れ。打て。慈しみの目を注いではならない。憐れみをかけてはならない。
9:6 老人も若者も、おとめも子供も人妻も殺して、滅ぼし尽くさなければならない。しかし、あの印のある者に近づいてはならない。さあ、わたしの神殿から始めよ。」彼らは、神殿の前にいた長老たちから始めた。

新約聖書:マルコによる福音書 10章38-42節 (新約聖書127ページ)

11:15 それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。
11:16 また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。
11:17 そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった。」
11:18 祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。
11:19 夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。

《説教》『決断』

主イエスは、少年時代から幾度もエルサレム神殿へ来ておられ、この日、受難週2日目の月曜日、特に神殿の境内に変わったことはありませんでした。しかし、この日の主イエスの行動は、誰も予想することの出来ない程の暴力行為と言えます。通常、「宮潔め」と言われるこの有名な事件が何を表しているのか。「聖なる怒り」とも呼ばれる主イエスのこのお姿は、受難週の二日目という十字架を目前にし、緊迫した状況の中で見るべきです。

本日の物語はいささか特殊なものですので、初めに神殿の構造を簡単に述べておくことにします。

第三神殿とも呼ばれるヘロデ大王が造ったエルサレム神殿は、東西約三百米、南北約五百米、広さ約一四万平米と言われています。中心にあるのは巨大な石造りの建物で、内部は二つに仕切られ、最も奥は至聖所と呼ばれ、主なる神が居まし給うところと信じられ、年に一度、大祭司だけが入ることが許されていました。手前の部屋が聖所で、そこには選ばれた祭司が入り、供え物を献げていました。

聖所の前の広場が「祭司の庭」で、そこでは一日中、犠牲の動物が焼かれていました。更に、そこに柵があり、その手前が「イスラエルの庭」と呼ばれ、神殿を訪れたユダヤ人の男性はそこまで入ることが許され、焼き尽くす捧げ物「燔祭」として献げられた犠牲の動物が焼かれるのを見ながら祈っていました。女性は更にその手前、「婦人の庭」と呼ばれるところまでしか入ることは許されません。献金箱はその婦人の庭にあり、そこまでが聖なる場所と呼ばれ、ユダヤ人以外の者は立ち入ることは絶対に許されませんでした。そこから外へ出る門が有名な「美しの門」であり、門の外は「異邦人の庭」と言われ、周囲は大きな列柱で囲まれており、神殿を訪れたすべての人が入ることが出来る場所で、聖なるものと世俗との接点であったと言ってよいでしょう。この区別を犯す者はすべて死刑と定められており、この禁止命令を記した碑文が神殿跡から発掘されています。

この時代、一番外側の異邦人の庭は、どう見ても礼拝の場所に相応しいものとは言えないものになっていた様です。神殿を訪れる者は、感謝のしるしとして献げ物や献金をします。しかし、当時ローマ帝国の植民地のユダヤで使われていたローマコインの表面には殆ど皇帝の肖像が刻んであり、裏には異教の神々の像が刻まれていました。しかし、ユダヤの信仰の中心である十戒は、偶像を厳しく否定しています。社会生活上、ローマ帝国の支配権は承認せざるを得ませんし、日常の通貨としてはローマ帝国のコインを使用していました。しかし、律法に従って生きるユダヤ人として、ローマ皇帝の肖像を刻んだコインを神に献げることは許されません。神殿礼拝に訪れた者は、献金のために、肖像を刻んでないユダヤコインに両替しなければなりませんでした。そこで、異邦人の庭には、両替商の店が出ていたのです。

献金に加えて、ユダヤ人は贖罪のために様々な犠牲の動物を献げますが、律法は、神に献げるものに傷があってはならないとも命じています。そこで、「献げものに相応しい」という証明書付きの動物を売る店が出ているのも「異邦人の庭」でした。

両替の手数料は極めて高く、証明書付きの動物は通常価格の百倍以上とも言われています。世界中から集まって来るユダヤ人の数は極めて多く、ヨセフスという当時の歴史家が報告するところによれば、過越の祭りの時には、二百七十万人とも記されています。参詣者によって膨大な利益を生む店が、「異邦人の庭」を満たしていたのであり、それらすべては、大祭司の個人的独占事業であったと言われています。

また、16節には、主イエスが「礼拝以外の目的で境内を通ることをお許しにならなかった」と記されていますが、これも元々律法が厳しく禁じていることであり、敢えて「イエスが禁じた」ということは、その戒めを破ることが当然のように行われていたということでしょう。聖なる場所が、単なる「運搬の近道」になっていたのです。大祭司を始め、神殿が大切な信仰の意味を見失うものになっていたのです。

このような状況では、主イエスならずとも怒りたくなるでしょう。ですから、大衆を搾取する神殿特権階級への主イエスの怒りとして見ることも出来ます。

このようなことから「社会正義を貫く主イエス」または「搾取する特権階級への闘いを挑む主イエス」と見る人々もいます。しかし、もしそうだとするならば、大きな疑問も出て来ます。

先ほども述べたように、主イエスは少年時代から幾度も神殿に入りながら、一度もこのようなことはなさらなかったのに、今回に限り、乱暴とも言えるほどの激しい怒りを示されたのは何故でしょうか。

さらに、27節によれば、主イエスは翌日も神殿に来られてます。当然、両替屋も動物を売る店も、翌日、店を出していた筈です。何故なら、店が出ていなかったなら献げ物は不可能になってしまうからです。特に、全世界からユダヤ人が集まっている過越の祭りの時に店が出ていないことなど、考えられません。それなのに、27節で、主イエスは、もはや大胆なことをなさらないのは何故でしょうか。

これが「聖なる怒りの謎」であり、この「謎」を解かなければ「宮潔め」の意味は分からないのです。生涯にただ一度、暴力を振るわれた主イエスの御心が伝わって来ないのです。

先ず考えられるべきことは、そこが「聖なる場所」であったということです。商売人の居た「異邦人の庭」は、聖なる場所の外側と言っても神殿の境内に変わりなく、異邦人が祈るための場所でした。たとえ、ユダヤ人以外の人であったにせよ、なおそこは、異邦人に許された大切な聖なる場所でした。

その祈りの場が、今や商売の場所となり、生活道路としてしまうとは、本来の神殿の秩序を完全に無視する罪と言わざるを得ません。聖なるものを自分のために利用する人間への怒りであり、また、どんな人であれ、「祈りの場を汚すことは許されない」ということを、主イエスは怒りと共にお示しになったのです。神に対する信仰者のあり方を正し、「神の御前における姿を取り戻せ」ということを怒りと共に告げられたのです。

しかしながら、最も重要なことを見逃してはなりません。それが、この物語を挟んでいる「いちじくの木の奇跡」が明らかにするのです。

先週ご一緒に読んだように、いちじくの木を枯らした主イエスは、それによって、終末における神の裁きを弟子たちに示されました。そして、その裁く権威を持つ者こそ主イエス御自身であることを告げられたのです。

さらに、これに先立つエルサレム入城の際にも、ろばの子に乗ってゼカリヤの預言を思い起こさせ、11章3節では、初めて御自身を「主」と名乗られました。

この受難週の出来事は、すべてご自身を「主なるイエス」「終末のキリスト」として告げられているのです。そして、このことから、「宮潔め」に関する旧約の預言であるエゼキエル書 9章1節~6節を思い起こさなければならないのです。

エゼキエルが幻の中で見た「神の怒りの日の光景」は「わたしの神殿から始めよ。」と結ばれています。主イエスの「宮潔め」をここに見ることが出来ます。主イエスは、いちじくの木が枯れている姿の中に「神に背を向けたイスラエルの滅びを見よ」と教えられました。それは、イスラエルが神の怒りの前に裁かれ、その裁きは、「神殿の破壊」から始まるのです。

以上のように理解すれば、主イエスの生涯におけるただ一度の暴力的と言える「宮清め」の意味は明らかになるのです。主イエスは、「今や、その時が来た」ということを告げておられるのです。旧約の預言者たちが語った言葉が「今や、成就の時を迎えた」ということを、ここに示されたのです。

大祭司が支配する店をひっくり返すということは、神の民として生きて来たイスラエルの信仰の形のすべてを否定することであり、「もはや二度と後戻りすることが出来ない」という決意を示すものです。ご自身の身の安全を守る術を自ら投げ捨てたのが、主イエスの「宮潔め」であったと言うべきでしょう。

18世紀イギリスの哲学者バークリーはこう言っています。「『宮潔め』とは、イエスの生涯におけるルビコン川であった。彼は、川を渡った後、自分が帰るべき舟を焼き捨てた。人間的な言い方をすれば、イエスは御自分の死刑執行令状に、それと知りながら、署名されたのである。」

18節には「祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。」とあります。これが、主イエスの決断に対する罪の下にある人間の反応でした。

主イエスの怒りは、ささやかなその場限りの怒りではなく、たかだかその時代の権力者への反抗として終わる革命運動でもなく、すべての人間の魂を苦しめるサタンの支配に対し、神の御子が全力を挙げて戦いを決意されたものなのです。

本日の15節~19節は、先週の11節~25節の「主イエスといちじくの木」に挟まれたサンドウィッチの中身です。先週の両側のパンを含めて大切な中身と考えなければなりません。その中身に、「主イエスの宮清め」を挟んだのは終末に向かう時の中を生きる者に「祈り」の大切さを教えるためでした。この「いちじくの木」と「宮清め」を締めくくるのは25節で主イエスの語られた「祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」に示されています。これは私たちが日々祈っている「主の祈り」の中の、「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」と同じです。主の祈りにおいても、 神様に自分の罪を赦していただくことと、私たちが人の罪を赦すこと が不可分に結び合っています。私たちが人の罪を赦すことが、神様に 赦していただくための交換条件なのではありません。神様は独り子イエス・キリストの十字架の死によって、罪人である私たちを赦して下さっているのです。しかし私たちがその赦しの恵みを本当に知り、その恵みにあずかっていくことは、私たち自身が、人の罪を赦すことができるようにと、主イエスの父である神様に祈りつつ、神様との交わりに生きることの中でこそ与えられていくのです。

主イエス・キリストは、私たちをそのような祈りに生きる者として下さるために、そして祈ることの中で山が動くという体験をさせて下さるために、十字架の死への道を歩んで下さいました。その主イエスを父なる神は復活させ、新しい永遠の命を与えて下さいました。今 も生きておられる主イエスは、私たちをご自分のもとに集め、ここに、全ての人々のための「祈りの家」を築かれるのです。教会こそが、全ての人々のための「祈りの家」です。私たちはこの祈りの家の家族として共に生きているのです。

お一人でも多くの方が主イエス・キリストの十字架で救われ神の家族として「祈りの家」に入れられます様、お祈りを致しましょう。

神の時を望みつつ

主日礼拝

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌11番
讃美歌194番
讃美歌494番

《聖書箇所》

旧約聖書:ホセア書 14章2-3節 (旧約聖書1,420ページ)

14:2 イスラエルよ、立ち帰れ/あなたの神、主のもとへ。あなたは咎につまずき、悪の中にいる。
14:3 誓いの言葉を携え/主に立ち帰って言え。「すべての悪を取り去り/恵みをお与えください。この唇をもって誓ったことを果たします。

新約聖書:マルコによる福音書 11章12-14節 並びに 20-25節 (新約聖書84ページ)

◆いちじくの木を呪う
11:12 翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。
11:13 そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。
11:14 イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。
◆枯れたいちじくの木の教訓
11:20 翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。
11:21 そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」
11:22 そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。
11:23 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。
11:24 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。
11:25 また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」
11:26 (†底本に節が欠落 異本訳)もし赦さないなら、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちをお赦しにならない。

《説教》『神の時を望みつつ』

本日の物語には、15節~19節の部分に別の物語が挟まれていますので、それは次週にまわし、今朝は、12節~14節と20節~25節の御言葉をご一緒に読むことにします。このような文章構成をサンドイッチ構造と言い、マルコ特有とも言えます。

時は主イエスの地上で生きられた最後の一週間です。その週初めの日曜日に、主イエスは子ろばに乗ってエルサレムに入られると、多くの群衆にナツメヤシの葉を敷いて熱狂的に迎えられました。主イエスがいちじくの木に近寄り、言葉をかけられたのは14節に「翌日」とあるので「エルサレム入城」の翌日 月曜日のことです。いちじくの木が枯れていたのは20節に「翌朝早く」となっていますので火曜日のことです。従って、このいちじく事件は、月曜日から火曜日にかけてということになります。十字架の金曜日が刻々と近づいており、「時」は切迫しています。この「時がない」ということを念頭に置かなければなりません。

本日の聖書箇所もまた、よく誤解される所です。少々ひねくれて読めば、次のように言えるかもしれません。「イエスは空腹になり、いちじくの実を求めたが未だ実はなっていなかった。そこで怒って、呪った。翌朝、いちじくの木は枯れた。そして『何でもこの通りになる』と言われた」ということです。

この時期は、過越の祭の直前、ユダヤの暦で“ニサン”と呼ばれる月の前半にあたり、私たちが通常使っている太陽暦で言えば三月から四月の初めにかけての季節です。いちじくの実が生るのは早いもので六月であり、13節で指摘されているように、この頃にいちじくの実がないことは当然です。そのため、主イエスの言われていることの方が無理であり、「怒りは勝手過ぎる」ということになってしまいます。そして、挙句の果て、「イエス様がこのような無理を言う筈はない」と言って、この物語を無視するようになってしまうのです。

既に、読んで来ましたように、マルコ福音書の大きな特徴は、主イエスの最後の一週間に重点を置いています。福音書の約40%が受難週の出来事で占められています。主イエス誕生のクリスマス物語を完全に省き、荒野の誘惑もバプテスマのヨハネからの洗礼をも簡単にしか記していないマルコ福音書。そして、全体のバランスから見れば異常とも思えるほどに最後の一週間に集中しているマルコが、「無視してもよいこと」を、この大切な受難週物語の途中に書く筈がありません。

しかも、この「いちじくの木を枯らした」という出来事は、マルコ福音書における主イエスの最後の奇跡であり、かつ主イエスの建設的でない破壊的な只一つの奇跡なのです。十字架の金曜日を目前にした主イエスの異常ともいえる行為で、マルコは何を言おうとしているのでしょうか。

始めの2節に、「イエスは空腹を覚えられた」と記されていますが、ここでの問題は、「イエスの空腹」とは思われません。何故なら、主イエスは、荒野における四〇日四〇夜の断食にも耐え、サタンの誘惑にも屈しなかった方です。また、この前の日はベタニヤ村のマルタとマリアの家に泊まっておられたと思われるので、その家を出たばかりのこの時、耐え難いほどの空腹であったとは思えません。

問題は弟子たちです。かつて、2章23節以下で、麦畑の中を通っておられたとき、弟子たちが「空腹であったので麦の穂を摘んで食べた」ということがありました。これは、当時の旅人には許されていたことでありましたが、弟子たちが「空腹という肉体的誘惑には弱かった」ということを示していると言えるでしょう。それ故に、主イエスが空腹を感じられたとき、空腹に弱い弟子たちのことを考えられたのでしょう。かつての麦畑と同じような状況で、弟子たちが何を考えているのか、主イエスには十分理解できたに相違ありません。

弟子たちの心は、主イエスが近寄られたいちじくの木に向けられていた筈です。そして、「実を実らせる奇蹟」を期待していながら、「今はやはり実のない季節なのだ」という失望、期待と失望が相まったことでしょう。主イエスは、弟子たちの期待と失望に対応して迫り来る「神の時」をお教えになったのです。

この主イエスの御言葉と御業が、単なる空腹のための怒りではなく、深く考えない弟子たちの心の弱さを利用してなされた御業であり、今や目前に迫る「神の時」の到来を告げる預言的・象徴的行為であるということに気づくならば、一切の疑問は解けて来る筈です。

旧新約聖書では、いちじくの木を「たとえ」として数多く用いています。ヨエル書1章7節では「神の民としてのイスラエル」として語られていますし、エレミヤ書8章13節では、「神の期待を裏切ったものとしてのイスラエル」が「実がならないいちじく」として表現されています。さらに新約でも、ルカ福音書13章6節以下では、主人の期待に応えず滅ぼされるものとして「実のならないいちじくの木」がたとえ話で教えられています。

主イエスは、最後の週の月曜日の朝、たまたまそこにあった「いちじくの木」を題材にして、神の御前におけるイスラエルの運命を、「眼に見えるたとえ話」として示されたのです。

空腹の弟子たちは、どれほど、たわわに実るいちじくの実の季節を望んだことでしょう。いちじくの木は、遠くから見てもすぐ分かるほどに青々としていたと記されています。それは、形ばかりが整っていても神の御心を満たすものを何も持たない人間の姿を表しているいると言えましょう。表面だけを飾るのは容易なことです。他人の眼に「どのように見えるか」ということだけを考え、献げるべきものを何も持たない人間の虚しさが、ここに表されているのです。ただ、いちじくの木にとって、それは未だ実りの季節ではなかったのです。自然の時に支配される植物としては当たり前のことと言えましょう。しかし、私たちは自分の生きる姿の中に、どのように「時」を見詰めているでしょうか。私たちもまた、「未だ、時がある」と考えているのではないでしょうか。「主なる神から人生の結実を求められるのは、未だ先のことだ」と考えてはいないでしょうか。しかし、神は、「時」を私たちに委ねては居られないのです。「時」を決定するのは主なる神です。神の長い忍耐を考える時、「未だ、その時ではありません」と言うことはできません。「時」に関して、私たちに何の弁明の余地もないということを、改めて知らなければなりません。14節で主イエスはいちじくの木に、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われたとあります。この「今」という時を無視して、神の御心を満たす機会は二度と巡っては来ません。20節でいちじくは枯れ、主イエスは、枯れたいちじくの木によって、神の時の中で用いられない滅びをここに示されたのです。

これに驚いた弟子たちに主イエスは22節以下で大胆な言葉をかけられます。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、その通りになる」。

万能の神に出来ないこと、不可能はありません。その神の万能を信じて人は神に祈ります。すると、万能の神は信じたその人が願ったどんな不可能なことも叶えてくださる。山に「動け」と願ったら、山は本当に動くのでしょうか。本当にそんなことがあるでしょうか。これこそが信仰であると言われ、逆に、それで躓いてしまう人がいます。確かに、信仰は神の絶対的な力を信じることであり、「神に不可能なことはない」ということを信じることです。しかしながら、信仰は、そこで止まってはなりません。「山が動く」という程度のことでびっくりしたり、躓いたりしてはなりません。大切なことは、その神の偉大な力、絶対的な意志が、「今、何に向けられているか」ということを考えることです。

世界の創造主が、今、何を目指しておられるのか、ということを考えなければ、「山が動く」ということは、単なる無知な思い込みと変わらなくなるでしょう。主イエスがここで言っておられることは、「山でも動くぞ」などということではありません。

先週の「主を迎える」と題してマルコ福音書11章1~11節で、主イエスが、何故「ろばの子」にお乗りになって、何をお示しになったかを思い出して下さい。

主イエスは、敢えて、乗るには適さない「小さなろばの子」を指定され、エルサレムの群衆の前に姿を表されました。

それはまさに、主イエスご自身がゼカリヤ書の「神の勝利を告げるメシア」であることを示す「眼に見えるしるし」でした。さらに、23節で主イエスが言われている「この山」とは、「オリーブの山」です。そして、主イエスがろばの子に乗ることによって、「思い出せ」と言われたゼカリヤ書14章4節(旧約聖書1,494ページ)には、このようなことが記されています。

その日、主は御足をもって
エルサレムの東にある
オリーブの山の上に立たれる。
オリーブ山は東と西に半分に裂け
非常に大きな谷ができる。
山の半分は北に退き、半分は南に退く。

ゼカリヤ書は、「オリーブの山が動く時こそ、終末である」と語って、その時が、世界の終わりであると告げているのです。罪の下に生きて来たすべての人が、自分の生きざまを主なる神の御前で総決算する「時」なのです。

もはや、「山が動くか動かないか」という程度の問題にとどまらず、「山」は神の御業を指し示す「しるし」であり、「山が動く」という表現によって、この世界に対する絶対の力と意志を持たれる主イエスが、「今こそ終末に臨む時なのだ」と言われているのです。

終末とは、神による決定的な「時の到来」です。その決定的な「時」を前にして、「未だその時期ではありません」などという呑気な言葉が許されないことを、主イエスは、この朝、いちじくの木の姿を通してお教えになったのです。

終末を見つめて生きる人間とは、何時でもその時を迎えられるように生きる人間のことです。主イエス・キリストに求められるその時こそ、「私たちが迎える最も重大な時である」のです。神に喜んで頂けるか、自ら滅び迎えるか、そのいずれかの道を選び取らなければならない時なのです。そして主イエスは、24節で「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」と言われ、続いて25節で「赦しの祈り」を教えられました。

常に終末を見据え、終末に備えて「終末的に生きる」とは、人として最も厳しい生き方です。たとえ、どんなに力を尽くしてもなお及ばないところの多いのが私たちの実情であり、限界です。「神の時」に相応しく生きられない弱さを認めざるを得ません。

それ故に、主イエスは「祈り」を教えて下さったのです。弱い者こそ祈らざるを得ないのです。「祈り」こそ、「時の中」を生きる者が、御心に相応しく示し得る唯一の姿なのです。

そのことを覚えるならば、主の祈りの素晴しさは明らかです。「御心の天になる如く、地にもなさせ給え」と祈り求めるならば、主イエス御自身が既に週末に必要な備えをしてくださっていることを、知ることが出来るのです。私たちの教会が「祈りの家」であるだけでなく、私たち一人ひとりが愛する者のために自分自身を「祈りの家」とするのです。お祈りを致しましょう。

主を迎える

主日礼拝

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌11番
讃美歌234A
讃美歌452番

《聖書箇所》

旧約聖書:ゼカリア書 9篇9節 (旧約聖書1,489ページ)

9:9 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。

新約聖書:マルコによる福音書 11章1-11節 (新約聖書83ページ)

11:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、
11:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。
11:3 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」
11:4 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。
11:5 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。
11:6 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。
11:7 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
11:8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。
11:9 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。
11:10 我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
11:11 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

《説教》『主を迎える』

マルコによる福音書は四つの福音書の中で最も短く16章しかありません。今日から、その11章に入るわけですが、この11章から最後の16章にかけて記されているのは、主イエス・キリス トのご生涯の最後の一週間のことです。本日の聖書箇所には主イエスがエルサレムにお入りになったことが語られていますが、それは週の初めの日、日曜日のことだと考えられています。その日から始まる一週間の内に、主イエスは捕えられ、死刑の判決を受け、金曜日に十字架につけられて殺されるのです。そのことが15章まで語られており、最後の16章は、次の日曜日の朝の復活のことです。エルサレムに入ることから始まり、逮捕、裁判、十字架の死、そして埋葬に至るこの最後の一週間のことを「受難週」と呼びます。今日の11章はその受難週の始まりであり、マルコ福音書は、この一週間のことを語るのに全体の三分の一以上の分量を用いているのです。これまで読んできた、主イエスの教えや御業を語ってきた部分は、受難のことを語るための序文だった、ということです。私たちは本日から、マルコ福音書の最も大切な中心部分に 入って行くのです。

主イエスはいよいよ、ユダヤ人の信仰の中心地であるエルサレムに来られました。主イエスがエルサレムに到着なさったというのは特別な出来事です。マルコも これを特別なこととして語っています。

マルコ福音書が書かれた時代(紀元60年代)、教会は未だ小さなものでした。社会的な保護どころか、ユダヤ人社会からの批判を避けて地下墓地の片隅や屋根裏部屋などで密かに集会を行い、ローマ帝国の圧力を避けつつ、信仰を守り続ける極めて小さな群れでした。

さらローマ帝国のユダヤ迫害も強まり、ローマ帝国に対する絶望的な反抗であるユダヤ戦争によって、エルサレムは紀元70年の神殿崩壊に直面していました。ペトロやヤコブを初めとする使徒たちも次々と世を去り、教会が新しい世代の人々に託されて行く時代に、「この苦難の中でキリスト者が生き残る唯一の武器はこれである」と書かれたのが、マルコによる福音書でした。

マルコは、イエスの最後の一週間を、「キリストに従う者に勝利を保証するもの」として語っていることは、言うまでもありません。聖書が語ることは、この世から逃避することではなく、この世の中を強く生きて行くために、神が与えて下さった「希望の信仰」なのです。

マルコの描く主イエスの最後の一週間は、ちょっと不思議な書き出しで始まります。「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。『向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい』」。 主イエスの一行は、この時、ベタニアから出発したので、これから行く「向こうの村」とは、ベトファゲのことでしょう。今、主イエスは、エリコ街道を登りきり、反対側のエルサレムを眼下に見下ろす地点に出ようとしているところでした。

これから行く先の村のことを、どうして主イエスは詳しく知っておられるのでしょうか。「これまでも何度か来られていたので知っていた」とは言えても、「今日、ロバの子が繋がれている」ということがお分かりになったのでしょうか。これについて、さまざまな説明がなされています。ある人はイエスの不思議な予知能力について説明しようとしますし、またある人は、予めなされていた「打ち合わせであった」とも言います。

ここで主イエスはろばの子に乗られた、これが極めて重要なことなのです。「ろばの子に乗る御姿」そのものが大切であり、主が示された「眼に見えるしるし」と言うべきでしょう。主イエスは、御自身のためにではなく、すべての人々のためにろばの子に乗られたのです。8節から「多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も『ホサナ』と叫んだ」とあります。「ホサナ」とは「救い給え」という意味です。ここに記されている「自分の服を道に敷く」とは、王国時代以来の支配者に対する服従のしるしです。また、「葉の付いた枝で歓迎する」とありますが、ヨハネ福音書12章13節ではこの枝がなつめやしの枝であったと記しています。この聖書箇所を旧約聖書に見ると、かつて、シリアとの戦いに勝利し、マカベア王朝の基礎を築いたシモン・マカベウスがエルサレム入城の際、民衆が同じなつめやしの枝をかざして迎えた故事が想い起させられます。そこで、ヨハネ福音書12章15節の指摘に従って先程司会者に読んで頂いたゼカリヤ書9章9節をもう一度見てみましょう。

娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。    ゼカリヤ書 9章9節

本日のマルコ福音書11章3節で主イエスは御自身を初めて「主」と呼ばれました。主イエスは、ろばの子に乗ることによって、「神によって遣わされた平和の主である」ことを、宣言されたのです。そしてそれは、すべての人々が、真実の救いを見ることが出来るようになることを意味しているのです。

今や、「時」は、父なる神の御計画の頂点である十字架に近づいているのです。神の長い忍耐の後、人間を苦しめるサタンを完全に滅ぼす「時」が近づいたのです。主イエスが大勢の巡礼者に混じって目立たず静かにエルサレムに入られなかったのは、「時の到来」を、ここに決定的に示されるためだったのです。

エルサレム入城をゼカリヤの預言と結びつけて、新しい時代の到来として明らかにしたのです。今、イエス御自身によって成し遂げられることのすべてを、人々に分かるように、敢えてろばの子に乗ってお示しになったのです。

ろばの子に乗ったメシアは、確かに平和の主です。戦場を駆ける猛々しい戦士は強靭な馬に乗るのであり、小さなろば、ましてろばの子に乗って闘う騎士はいません。ゼカリヤ書が記しているのはこのことであり、主イエスは「この姿を見よ」と告げているのです。

神の戦いは、神の子イエス御自身のほかに何も必要としないのです。剣も槍もそして馬も必要ではありません。神の御子は、御言葉によって数々の悪霊を滅ぼされるのです。ろばの子に乗られた主の御心は、神の御業実現のために来られた「メシア・救い主である」ことの宣言と共に、この世の力の無意味さを教えておられるのです。

救われる者の見るべきものは、ただ御子キリスト・イエスのみであり、その他の全ては何の意味も持たないのです。私たちを罪の中に閉じ込め、神に背を向けさせ、偽りの生活の中に導いたサタンとの最終的対決は、このように始まり、神の勝利は、このように実現するのです。

この時の主イエスを迎えた人々の喜びの叫びが、明確な信仰的自覚に基づいたものでないことは明らかですが、少なくとも、その時の人々は、ろばの子に乗られた御姿を見て、ゼカリヤの預言を思い出し「ナザレのイエスがメシアである」ことを教えられ、それを喜ぶことが出来たのです。

それ故に、私たちもまた、歓声を上げている人々の姿こそ、主イエス・キリストが望んでおられる人間の姿であることに気付かなければなりません。そして、この喜びの叫びが消えてなくならないように、常に主を慕い求め、祈り求めなければならないのです。

「あの時のエルサレムの群衆は間違っていた」と言って、ただ批判しているだけの人は、結局、「ろばの子に乗った救い主」を迎えることさえ出来ず、群衆以下と言えましょう。

信仰とは、評論家になることではなく、幼な子になって信じることです。素朴かつ単純に、「ホサナ、今、救いたまえ」と叫ぶことです。何よりも先ず、キリスト・イエスの前に敷く上着を脱ぐべきです。そして、歓声を上げる群衆を遠くから眺めるのではなく、その中に入り、彼らと共に、今、世に来られた神の御子を迎えるべきです。

主イエスは、それを喜んで下さり、御国への招きの御手を差し伸べて下さるのです。

お祈りを致します。

霊によって生かしてくださる

主日CS合同礼拝

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌90番
讃美歌332番
讃美歌512番

《聖書箇所》

旧約聖書:イザヤ書 12章2節 (旧約聖書1,079ページ)

12:2 見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌/わたしの救いとなってくださった。

新約聖書:ルカによる福音書 2章1-7節 (新約聖書102ページ)

8:11 もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。

《説教》『霊によって生かしてくださる』

今日は本来ならば教会学校CSとの合同礼拝です。合同礼拝では教会学校テキストの聖書箇所からお話するので「イエス様の復活」のお話です。

イエス様は、十字架で死なれ墓に葬られましたが、葬られて三日目の朝、ずっとイエス様に従ってきた婦人たちが葬りを完成させるためにご遺体に塗る香料をもって墓に行ってみると亡骸はありませんでした。空になった墓を見た婦人たちも、弟子たちも、最初はイエス様が復活なさったと信じることができませんでした。しかしイエス様は、その信じることのできなかった弟子たちの間に現れ、祝福の言葉を語ってくださったのです。イエス様が十字架で死なれると沢山居た弟子たちはイエス様の弟子であったことを隠して、散り散りになって去って行ってしまい、漁師に戻ったりしました。しかし、復活のイエス様の祝福の言葉を受けた弟子たちは、復活を信じるようになり、力強く宣教伝道に立ち上がりました。自分たちが見捨てたイエス様が、自分たちを祝福するために復活してくださったのです。この喜びこそ、イエス様の復活を信じるということなのです。

イエス様の復活の出来事は、これだけでは終わりませんでした。復活されたイエス様は、弟子たちと四十日のあいだ過ごされたあと、天に上げられました。そして聖霊によって、今も絶えず私たちの間に宿っていてくださるのです。この礼拝での説教を私たちと共に、ここに居てくださって語ってくださっているのです。

復活とはイエス様が史上初めてされたことです、死から甦られて最初に復活されたのはイエス様です。「復活」とは、死から甦ることですが、それは死んでいたのが生き返るといったことではありません。まったく別の新しい霊的な身体に変えられるのです。復活についてお話すると、それだけで説教何回分も掛かってしまいます。復活とは、どんなことなのか、復活そのものについては、ここでは詳しく述べません。

 

本日のローマの信徒への手紙は使徒パウロが書いたものです。パウロがローマの信徒たちに伝えたい福音が凝縮して語られています。「もし……あなたがたの内に宿っているなら」とありますが、パウロはローマの信徒たちの内にキリストの霊が宿っておられることを疑いの余地なく信じているとして、その上で「死ぬはずの体をも生かしてくださるでしよう」というキリスト信仰の根本を語っているのです。

使徒パウロは復活のイエス様に出会う前、ユダヤ教の教えである律法を熱心に厳格に守るファリサイ派としての歩みを続けていました。ファリサイ派の人々は、復活があるということを信じていました。使徒言行録23章にパウロの語った言葉が記されていますが、「わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです」とあります。ダマスコ途上で復活のイエス様に出会う前も、パウロは復活ということがあるとは教えられていました。しかしそれはどこか他人ごと、自分とは関係のないことだと思っていたのです。むしろ、復活のイエス様を信じる初代教会の人々を迫害していたのです。

そのパウロに復活のイエス様が声をかけられました。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか(使9:4)」との言葉を受けたのです。

このパウロの回心の出来事を知るとき、何よりも大切なのは、パウロは、イエス様の言葉を聞いたときにはじめて自分の罪を認識したということです。それまでパウロは、キリスト教会を迫害することは正しいことだと思っていました。しかしイエス様の言葉を聞いたとき、教会を迫害することは隣人を愛するという律法の教えに反していることに気づいたのです。そして神様を愛するという律法の基本的な教えにも、違反していることに気づいたのです。それは何故かと言えば、パウロが神様の助けを求めずに自分の力で律法を守ろうとしていたからです。律法を守ろうとしても、自分の力で行うなら、神様を必要としてない上に、神様よりも自分の力を信じていることになるからです。

パウロはその時目が見えなくなりましたが、その後ダマスコに導かれ、イエス様の弟子アナニアの主の御名による祈りによって再び見えるようになりました。それは単なる視力の回復というだけでなく、復活のイエス様を信仰の目で見ることができるようになったことを意味しています。

人間はもちろん時が来れば必ず死にます。キリスト教では、人は死んだら、キリストの再臨のときを待って、キリストと共に新しい命に与る、復活すると信じています。パウロがここで語っているのは、この遠い将来に約束されている復活のことなのでしょうか。もちろん、永遠の命のことも含まれてはいると思います。でも、まずパウロがここで語ろうとしているのは、今ここで生きている私たちが、復活のイエス様によって生かされているのだと言う事実です。

この復活のイエス様と共に生きているという喜びは、何よりも礼拝をささげているときに与えられるものなのです。しかし、私たちのささげている礼拝では、イエス様の姿をこの目で見ることはできません。イエス様の話される言葉をこの耳で聞くことができるわけではありません。でも、この説教を通して復活のイエス様を、神様に与えられた「信仰の目」によって見ることができるのです。

少し後の15節には次のように記されています。「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって私たちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、私たちが神の子供であることを、私たちの霊と一緒になって証ししてくださいます」とあります。

「私たちは神の子としていただける霊を受けた」と記されています。そしてこの霊を受けた私たちは「アッバ、父よ」と神様を呼ぶことができると約束されています。神様を「アッバ、父よ」と呼ばれたのは、イエス様でした。神様のひとり子であるイエス様が、神様を父と呼ぶことが出来たのです。この「アッバ」という言葉は小さな子どもが父親を呼ぶ言葉で、日本語で言えば「父ちゃん」とか「おとう」といった言葉です。小さな子供が父親を信頼し全てを委ねて抱きついて行くようなときの言葉です。

復活されたイエス様が私たちと共にここに一緒におられるからこそ、私たちは礼拝の中で神様を「アッバ」「お父様」と、喜んで呼びかけることができるのです。礼拝において、喜んで父なる神の御名を呼び求め、熱心に祈るときこそ、私たちは聖霊に満たされ、復活のイエス様と共に生きているのです。復活を信じるとはイエス様を賛美することなのです。

生まれながらのままに生きて来た私たちは、神様を知ることも、自分の罪を認めることもできない人間でした。ですから悔い改めることも、神様の救いの御業を受けていることも、まったく知ることのできませんでした。

今日聖書箇所に、「あなたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」と記されています。私たちは、誰でも、自分の力で生きていると思っています。でも聖書を読んでいて分かってくるのは、私たちが自分で生きているのではなくて、神様に生かされている、ということなのです。

もし神様に生かされているということが分からなければ、私たちは神様の前に死んだことになってしまいます。これは将来のことではありません。今、この時、神様の前に死んでいるか、それとも生かされているか。もし生かされているのであれば、私たちの命は神様の御手の中にあるのです。命が神様の御手にあれば、たとえ死を迎えたとしても神様の前では生き続けるのです。

このように考えてみると、私たちが礼拝をささげているということ自体が、本来なら信じることのできないほどの奇跡なのです。日曜日ごとに礼拝に出席していると、当たり前のようになって礼拝が奇跡であることを忘れているかもしれません。教会はキリストの体です。礼拝こそキリストの体が地上に現わされているときなのです。

礼拝賛美しているとき、私たちは神様に生かされているのです。父なる神様を信じることができるようにしてくださったのは、イエス様です。そしてイエス様が私たちと共にいてくださるとき、私たちは神様を賛美できるのです。

今、こうして礼拝しているとき、復活なさったイエス様は私たちと一緒にいてくださっているのです。

お祈りを致します。