大きな喜び

12月の説教

聖書:ルカによる福音書2820

説教者 藤野雄大

*この説教は2019年のクリスマスイブ礼拝でなされたものです。

主にある兄弟姉妹の皆様、クリスマスおめでとうございます。2019年のクリスマスを迎える今宵、皆さまも今年一年間の歩みを振り返られているのではないかと思います。今年も世界中、日本中で様々なことがありました。いい知らせもあれば、悪い知らせもありました。国内のことに目を移せば、今年は台風が猛威を振るった年でした。千葉県や長野県などを中心に、日本全国広範囲に建物の損壊や、貴い人命が失われる事態が起こりました。被害にあわれた方々に、主のお慰めがありますようにお祈り申し上げます。

本日、読まれましたルカによる福音書では、クリスマスの出来事をこのように記しています。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなたがたの救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。」

民全体、つまり全世界に与えられる大きな喜び、これがクリスマスの意味、主イエス・キリストが世にお生まれになった意味だというのです。世を救うために、メシア、救い主がお生まれになった。天使は、そのように告げたとされています。

しかし、クリスマス、御子イエス・キリストの誕生が示す大きな喜びとは一体どのようなものでありましょうか。もはや悲しみや嘆きもなくなるということなのでしょうか。しかし、人類の歴史を考えてみれば分かりますように、イエス・キリストが誕生した後も、世界には、たくさんの悲しみが存在し続けてきました。数えきれないほどの血が流され、涙が流されてきました。世界を見渡す時、弱い人が虐げられ、無力な人がその日の糧さえなく飢えている現実があります。

あるいは、そこまで大きな話ではなくとも、それぞれの今年一年の出来事を振り返っても、きっと喜びもあれば、悲しみもあったことだと思います。そのような現実を見る時、聖書が語る「大きな喜び」とは一体何なのだろうかと思われるかもしれません。聖書の言葉は現実離れした、ただのおとぎ話なのではないか、そう思われるかもしれません。一体なぜ、イエス・キリストの誕生は、世界全体にとっての大きな喜びなのでしょうか。御子キリストがお生まれになったことは、一体どのような意味で、大きな喜びなのでしょうか。

聖書では、天使たちは、羊飼いにキリストの誕生を告げ知らせたとあります。羊飼いというのは、当時の世界では、蔑まれていた職業だったそうです。羊飼いたちは、朝晩問わず、羊とともに生活し、家ももたず、野宿をしています。そして、自分の土地ではなく、荒れ野を渡り歩く放浪者であり、その生活は不安定でした。つまり天使は、地位や権力のある人ではなく、羊飼いという弱く、貧しい人々に救い主の誕生を告げ知らせたのでした。

さらにイエス・キリストは、神の御子であったにも関わらず、決して超人的な姿でも、また、きらびやかな姿でも表れませんでした。むしろ、羊飼いたちが、実際に見たのは、暖かいベッドではなく、粗末な飼い葉桶に敷かれたわらの上に寝ている小さな赤子でした。それは、何の力も持たない弱く、小さな男の子でした。キリストは、世の人々と全く変わらないお姿でお生まれになったのです。このことは、私たちが、生きていく中で経験しなければならない苦痛や、嘆き、悲しみ、あらゆるものを神の子御自身が、担ってくださることを示しています。

「上から目線」という言葉が、しばしば使われることがあります。傲慢さや尊大さを表現する言葉です。しかし、聖書が示す神の子イエス・キリストの姿は、そのような「上から目線」とは全く異なっていました。神の子キリストは、天高くに留まっているのではなく、私たちが生きるこの現実の世界に来てくださいました。しかも、貧しく、無力な存在として世に来てくださいました。そのご生涯において、嘆く者に希望を与え、泣く者に喜びを与えました。苦しむ者と共に苦しみ、弱く無力な者と共に生きられました。病に苦しむ者を癒され、死の恐怖に脅かされる者に、永遠の命を示されました。そして、最後には、世の人々に代わって、十字架にかけられ苦しみの果てに死なれました。

神の子キリストは、このように死に至るまで、世の人々と共に生きられました。聖書が示す神の子の誕生とは、まさに神様が私たちと同じ所にまで来てくださって、私たち血の苦悩や悲嘆を共に担ってくださることを意味しています。神は、決して、この世界に生きる者をお見捨てになることなく、御自身の御子、主イエスを御遣わしになるほどに愛されておられるのです。これこそが、クリスマスの大きな喜びです。2019年のクリスマスの時、皆様に、御子イエス・キリストご降誕の大きな喜びがありますように心からお祈りいたします。

お祈りいたします。

2019年12月号

「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」

新約聖書、コロサイ2章3節

このお便りは、なりむね教会からのメッセージです。キリスト教会は神様の愛について学び、伝えます。子供さんも大人の方も、読んでいただければ幸いです。


興津晴枝先生のお話

聖書:歴代誌上29:10~13

「国と力と栄光は神様のもの」

  今朝も私たちはイエスさまの教えて下さった{主の祈り}をみんなでとなえましたね。

「6つの祈りもとめ」それが主の祈りです。

  1. み名があがめられますように。
  2. み国が来ますように。
  3. み心がおこなわれますよう
  4. 日ごとの糧をお与え下さい。
  5. 罪のゆるし。
  6. 悪い事からの守り。

そして最後に今日の学びの「国と力と栄光とはすべて神様のものです」としめくくります。じつはこの最後の祈りはイエスさまが教えて下さった「主の祈り」にはなかったのです。

では、なぜ付け加えられたのでしょうか。

それは「主の祈り」を祈ったたくさんの人々の神様への深い信仰によってしめくくりの言葉としてふさわしいと思われたからだそうです。ここでダビデ王の信仰についてお話しします。

ダビデはイスラエルの国の王様でした。人々に敬われ、ほめたたえられ、強い力をもっていて国を治めていました。ダビデは主なる神様に祈りを捧げるための神殿を建てようと思い莫大な寄進をしました。

またその他の部族の長たちも呼び掛けに応じてたくさんの捧げものをしました。ダビデの時代に神殿は建たなかったけれど(息子のソロモン王の時実現)ダビデは自分を選び王として下さったのは神さまであること、自分が手に入れた「国も力も栄」も神様の恵みによって与えられたものであることを知っていました。たとえ、そのいくらかは自分に与えられているとしてもそれはもともとすべて神様のものであり恵みによって与えられたもの。感謝して神様にお返しするのは当然なことと思っていたのでした。これがダビデの信仰でした。

みなさんもよく知っているように世界中には色々な国がありますね。それぞれがその国のルールに従って治められています。でも、もし神様を信じない権力者が自分を神様のように拝ませたりしたらいったいどうなることでしょう。今、その国がどれだけ強く栄えていたとしてもすべてが神様のご計画のうちにあって建てられるのも滅ぼされるのもしらないし、信じようとしないのは本当に愚かな事です。私たちがお祈り出来るのは神様がこの世界のすべてを支配しておられること、天と地にあるすべてのものが神様のお創りになられたものだと認め信じているからです。

神様は愛する一人子のイエスさまを地上につかわして下さいました。私たちの罪をかわりに引き受けて十字架上で死なれ復活されて今は天におられます。イエスさまは私たちが神様へお祈り出来るよう道を造って下さったのです。

主イエス・キリストのお父様である神様を信じてみ名をたたえましょう。

12月の御言葉

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」

マタイによる福音1章23節

12月の教会学校礼拝

(毎週日曜日、朝9時15分~9時45分)

★ お話の聖書箇所と担当の先生

聖書 お話
12月 1日(日) ルカによる福音書1:57~66 藤野雄大 先生
    8日(日) ヨハネによる福音書1:6~18 興津晴枝 先生
   15日(日) マタイによる福音書1:18~25 焦凝 先生
   22日(日) クリスマス合同礼拝 藤野雄大 先生
   29日(日) ルカによる福音書2:22~35 藤野美樹 先生

お知らせ

11月より、原則として第4週日曜日は、大人と子どもの合同礼拝(朝10時半~)を守ることになりました。合同礼拝の日は、教会学校の礼拝はありませんので10時半に教会にお越しください。

🌸 12月1日からアドヴェント(待降節)に入りました。主イエスのご降誕を喜びの内に共に待ち望みましょう。

🌸 12月22日(日)はクリスマス合同礼拝を守ります。(朝10時半~)

礼拝後、祝会でお昼やお菓子、プレゼントがあります。ぜひご出席ください♫

🌸 1月5日(日)の教会学校礼拝は休会となります。