2017年8月号

日本キリスト教団成宗教会

牧師・校長  並木せつ子

このお便りは、なりむね教会からのメッセージです。キリスト教会は神様の愛について学び、伝えます。子供さんも大人の方も、読んでいただければ幸いです。

焦 凝先生のお話

(これは7月16日にお話しいただいたものです。)

聖書:コリントの信徒への手紙(二)1章19-20節

「アーメンの意味」

焦(しょう) 凝(ぎょう)

今日は本当に暑いですね。暑くなるとアイスクリームを食べたくなりますよ。皆さんはアイスクリームの味を知っています。冷たくて甘いです。お父さんやお母さんにおねだりをするとアイスクリームを買ってくれます。しかし、いくら暑い日になっても、私は小学校に上がる前に、アイスクリームで母におねだりをしたことがありません。これは自慢ではありません。アイスクリームはまずいものだと思っていたからです。この不思議な考え方には訳があります。ある日、母は私を隣のお家にあずけていました。あの日も今日と同じような暑い日でした。隣のお家のお姉さんは私にアイスクリームを食べさせました。帰ってきた母に、私は「お母さん、今日は冷たくて甘いバニラの香りの食べ物を食べたよ、もう一回食べたいな」と言いました。アイスクリームを食べすぎるときっとお腹が壊すと母は思っていました。この後、母はアイスクリームを買って、その上に唐辛子の粉を塗り、もう一度私に食べさせました。あれ以降、しばらくの間、私はアイスクリームでおねだりすることをしなくなりました。人間はウソを言います。母親だって子供にウソをつくことがあります。ウソが判ってきた私たちは「〇〇のウソづき」と不満を抱きながら言います。

 

今日の聖書箇所のコリントの信徒への手紙二第1章では、パウロはコリント教会訪問の計画を変更したことについて、記述がありました。訪問の約束をしたのに、変更があったりすると、パウロさんは本当に来られるかなとコリント教会の皆さんはきっと不安を思うでしょう。「パウロのウソづき」を思う人もいったかもしれません。では、パウロが考えていたコリント教会訪問は一体どれほどの旅を見てみましょう。大きいな聖書の後ろに「8パウロの宣教旅行2,3」という地図があります。アンティオキアからコリントの町までの距離は大体1,000キロもあります。東京から名古屋までの距離は350キロがあります。3倍もあります。新幹線で東京から名古屋へ行くと、大体2時間がかかります。コリントまで新幹線があれは、6時間がかかるでしょう。しかし、パウロの時代は新幹線がありませんでした。彼は結局自分の足でコリントの町に行きました。コリント教会の会衆はパウロの計画に変更があると聞き、不安を思うのは不思議ではありません。

ここで、パウロは手紙でコリントの会衆を励ましました。19節「わたしたち、つまり、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。」20節「神の約束は、ことごとくこの方において、「然り」となったからです。」パウロがこの手紙を書いたときは、キリスト・イエスはすでに復活されていました。また、イエス・キリストは自分の尊き血で、神様と私たちの約束を実現しました。パウロはこの福音をコリント教会に伝えるために、訪問の計画を立てました。計画は変更したけれど、福音を伝える使命は必ず実現します。結局、パウロはこの困難な旅を実現しました。それだけではなく、2度も3度も神様の福音を伝えるために、長い旅をしました。

大人になって、母のウソを許すことにしました。その嘘のうらには母親が自分への愛を感じていたからです。パウロはコリントの教会訪問の計画を変更しましたが、神様の福音を伝える使命を果たしました。そして、彼は偉大な宣教師となり、後世に称えられました。「神の約束は、ことごとくこの方において、「然り」となったからです。」

皆さんがお祈りの最後に「アーメン」といいます。「アーメン」の意味は「その通りだ」ということです。その通りは、つまり神の約束は必ず実現するという意味です。今日は「アーメン」の意味を一緒に勉強しました。

成宗教会学校の夏休み

8月6日(日)~27日(日)、9時15分からの礼拝と活動はお休みです。

再開は9月6日(日)です。

教会・教会学校の行事

  • 一般の礼拝は10時30分から、平常通り行っていますので、特に中学生、高校生の皆さんは、是非一般の礼拝にご参加下さい。
  • 8月27日(日)夏休み一日教会学校・・・午後3時~8時を予定しています。小学生が対象ですが、ヘルパーとして中学生の参加も歓迎します。詳しくは別紙を御覧ください。

教会・教会学校からお知らせ・お祈り

  • 一学期が終わり、夏休みに入りました。日曜日、成宗教会学校に通って来てくださった皆さん、ありがとうございます。皆さんが元気で来てくださったように、夏休みも元気で過ごしてください。そして、教会学校で学んだことを毎日の生活の中で思い出してください。
  • 神さまが、わたしたちを善い者として造ってくださったことを信じ、善いことをして日を過ごし、成長させていただけるように願ってください。善いことと悪いこととがはっきり分からなくなるような世界の中で、しかし、神さまはイエスさまを送って下さり、信じる人の味方になってくださいます。そして、毎日の生活の中で善悪が分かるようにさせていただくことを祈りましょう。

心が燃える時

聖書:ホセア書11章8-9節, コリントの信徒への手紙二11章28-33節

 わたしたちは、こうして礼拝を守り、イエス・キリストによって救いに招いてくださった父である神をほめたたえました。差し出された救いを過去のものとしてではなく、または将来の可能性としてではなく、今、現在の救いとして受け取るために、御言葉を聴くのであります。わたしたちは、これまでコリントの信徒への手紙二、を通してみ言葉を伺って来ました。コリントの教会の群れは、二千年前に確かに地上に存在していましたが、どのような教会であったかは、今は推測することができるだけであります。

異邦人、つまり元々の神の民であったユダヤ人の教会ではなかったと思われます。日本の教会は明治以後を数えると宣教開始から150年が経ちますが、それから比べると、コリント教会はまだ建てられて何年も経っていなかったのですから、本当に出来たばかりで、わたしたちがそうしているように、尊敬する信仰の先輩と見上げる人々さえも、まだまだいなかったと思います。そんな若い教会には、信仰生活の一つ一つについて様々な助言が必要であったことは言うまでもなかったでしょう。

コリントの信徒へ宛てられた手紙は2巻に分けられていますが、聖書全体の内容は4世紀には確定したとはいえ、章や節が今のように確定したのは11~16世紀になってからということです。ですから、この手紙には、話が行ったり来りするような所もありますが、初めから今の順序で並んでいたのではなく、どこかで編集されて順序が入れ替わっていたのではないか?とも考えられます。そういう学者の話を聞くと、議論が堂々巡りしているように感じられるところにも納得できます。

パウロは教会の人々を愛していたに違いありません。いくつもの教会の建設にかかわったパウロでありますが、問題が多く発生したコリントの教会を特に心配して何度も手紙を書き、一つ一つの問題に対して丁寧に助言を与え、ある時は問題点を整理し、指摘し、ある時は厳しくとがめました。その思いは、教会の人々が、真に主に結ばれて、救われた者の生活を全うしてほしいためです。一人一人がそうであれば、教会は真に主のもの、キリストの花嫁となるでしょう。教会がそうであれば、その教会の信者一人一人が救いにしっかりと結ばれる希望を持つことができるのです。

ところが、教会を建てることは日々の信仰によらなければなりません。今日まで頑張ったからこれからは安心!ということには決してなりません。神は何の功績もなく、値打ちのない人間を救いに招くという、人間から見ればあり得ないことに思われる救いをキリストによってわたしたちに、また全世界に差し出しておられます。これこそ神の豊かな憐れみによる救いです。そのこと自体、信じがたいほどの良い知らせ、福音であります。

ところが、このような福音を宣べ伝えるパウロに苦難がある。パウロばかりでなく、福音に仕えようとする者すべてに、困難、苦難がある。一体なぜなのでしょうか。パウロの手紙も終盤に入りつつあります。彼は今、単刀直入に述べてはばかりません。それは、偽使徒の働きに現れていると。11章12~15節。338頁上。「わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。だが、驚くにはあたりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。」

偽使徒はすなわちサタンに仕える者。パウロがこのようにはっきりと彼らを断罪するのには、理由があります。コリントの人々には、何とキリストの使徒とサタンに仕える者の区別が困難だからです。「まさか、本物の使徒と偽者の区別がつかないとは・・・」とわたしたちは思います。わたしたちはコリント教会の人々がどのような人々だったのかを知ることはできません。しかし、わたしたちの日本の教会を考えてみても、人々はこの150年の間にどんなに変化したことでしょうか。

戦争があり、動乱があり、平和もありましたが、好景気も大不況のどん底も、大災害もありました。貧しくて、希望もない時代、どん底生活の中で福音を聞いた時代もありました。私の学生時代、会堂の片隅に牧師の説教を、肩を震わせて聞いていた老婦人がいた。私には個人的な痛みのようには感じられませんでした。あの時代、まだ敗戦から20年ほどしか経っていなかったことを、私は70年近く生きている身として今更のように思うのです。苦労して苦労して伝道してくださった先生を感謝して思い出す。その同じ人が、好景気が来て、何でもうまく行くようになると、だんだん苦労するのがバカバカしくなる。楽に生きたいと思う。そうすると、苦労して伝道している牧師もバカバカしく見えるようになるのではないでしょうか。

一緒について苦労するのは御免蒙りたい。迫害を受けている教師についているよりも、みんなに褒められ、有り難がられ、立派に見える教師についている方が楽で得だと思うようになるのではないでしょうか。わたしたちは二千年前の教会は知らなくても、現代の教会の有り様を知っているのです。楽して得をしたい人々がそういう教師を立てるとしたら、パウロの労苦が、使徒たちの労苦が、そして本当に主イエス・キリストに結ばれた教会を形成しようとする人々の労苦が理解できないのは当然です。

しかし、わたしたちはもちろん知っております。主イエス・キリストの思いがどこにあるか。父なる神の御心がパウロの側にあるのか、それとも彼に敵対する側にあるのか、ということを、です。パウロは敵対者が誇っているその誇りに対決するように、誇りとする項目を挙げ始めました。先週読んだ、22節以下。敵対する人々が神の民の祝福の源となったアブラハムの子孫であることを誇れば、自分もまた正真正銘のヘブライ人であると誇ります。彼はその中でもエリートであるファリサイ派の出身、ラビの教えを受けた者でありました。

しかし、敵対する者たちがキリストに仕える者と自称していることに対しては、怒りと情熱で狂ったように自分を誇ります。これがキリストに仕える者の姿であると人々に示したい、その一心で、パウロはこれまでの苦難の数々を書き連ねるのです。身をかがめて肩を震わせながら礼拝堂に座っていた老婦人のことを話しました。その人々は私の親の世代、あるいは私より40年50年上の世代でありました。あの人々はどのような苦難の中でキリストに出会ったのだろうか、と思います。親兄弟息子を失い、家を焼かれ、飢えと病気に苦しみ、生き残って敗戦を迎えれば、「お前たちは戦争に協力したのだろう。なぜ、侵略戦争に反対しなかったのか」と、声高に責められた世代でありました。

そして、私自身もまた時代の子に違いなかったのです。周りの人々はだれもそうは思わなかったのでしょうが、伝道者になるように呼んでおられるのは主であると確信せざるを得なかったので、献身したのですが、そこまでになっても、どこかずるずると時代を引きずっていて、「私は本当は楽をして得をしたい人間だったのに・・・」と思い返していました。パウロの使徒としての苦労を、苦難を知っても、どこかで「この人は特別な人だから、こうなのだ」とか、「平凡な人は平凡で良いのだ」と思っているのでした。

しかし、皆さんも感じておられることと思いますが、時代は大きく変わりつつあります。苦労している人を見ても「人は人、自分は自分」と見過ごす時代が裁かれているのではないでしょうか。障がい者と健常者などと人々を区分して、自分は健常者と勝手に思っていたあの時代が裁かれる。精神病棟の中にいる人を自分とは全く関係ないと思っていたあの時代が裁かれる。人はだれもが、年を取り、病気にかかり、身体的に、知的にも、精神的にも障害を持つようになることが、ようやく、少しずつですが誰の目にも明らかになりつつある時代です。しかし、このような時代にも教会があるのです。これは何と有り難いことではないでしょうか。わたしたちは、福音を聞くことができるのです。パウロの苦難を知ることができるのです。

パウロの苦難。わたしたちの苦労と比べてみたことがあるでしょうか。彼はファリサイ派のエリート教育を受けたユダヤ人で、ローマの市民権も持っていました。経済的にも豊かな階級に属していたと思います。しかし彼の苦難を御覧ください。ありとあらゆる苦難がありました。これは誰のための労苦でしょうか。何のための労苦でしょうか。自分のためでないことは確かです。お金のためでないことはもちろん、人から褒められるためでもない。なぜでしょうか。ただただ、キリストに仕えるため、福音のためにこんなに苦難を受けているのです。

今日は28節から読みます。「このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。」そうです。彼はあらゆる教会について心配しているのです。どの教会もキリストの教会だから。どの教会もキリストの教会として建ち続けるために。コリント教会のためにこんなに心配して、言葉を尽くして、心を尽くして手紙を書きました。また救われて信者となった一人一人を思い起こして祈っています。「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか」とパウロは言います。本当にその人の身になって考えたら、弱った人を助けるのは強い人ではないか、とわたしたちは思うでしょう。しかし、実際そうではないのです。

キリストは地に住む人の救いとなるために、地上に降りてくださいました。神の強さを捨てて、人間の弱さを身に帯びてわたしたちのところに来てくださったのです。わたしたしの弱さを負って死んでくださいました。しかし、神はこの方を復活させてくださったので、わたしたちもこの方の命に与ることができるのです。弱い人のことを思って弱くなる伝道者。それは伝道者の力によってではなく、伝道者が宣べ伝えているキリストの命に結ばれ、強くされるためではないでしょうか。

誰かがつまずくとしたら、どうでしょうか。教会が本当に福音の言葉に生かされないならば、絶えずいろいろなところでつまずきが起こります。人が本当にキリストに結ばれずに、キリストを宣べ伝えているように見せかけて、実は自分に結ぼうとする偽の伝道者につまずくということも起こるでしょう。そんな時、つまずいた人が悪いのでしょうか。せっかくキリストの招きを受けた人々が教会を離れてしまう。パウロは言います。「だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」わたしたちは何よりもパウロの言葉に主イエスの情熱を思うべきではないでしょうか。どうしてお前を見捨てることができようか、と主は言われるのです。

これまで言われてきたことの結論として、パウロは自分の弱さに関することなら、何よりも喜んで誇ろうと言います。この世的に考えれば、名誉あることではなく、反対にむしろ恥となるようなことでも、もっと喜んで誇ろうと言うのであります。その例としてパウロはダマスコでの出来事を語りました。ダマスコでの初めての伝道でした。キリストを迫害する者から、キリストを宣べ伝える者へ。それはパウロの劇的な転換点であり、同時にユダヤ人たちから命をねらわれる迫害の始まりでした。

しかし、この苦難が、二千年の教会史においてどんなに多くのキリスト者を力づけたことか。真に不思議なことですが、実は不思議ではないのです。なぜなら、人間の苦難は人を怖気づかせますが、キリストの苦難はわたしたちを救うからです。今もそうです。パウロの証言を思い出しましょう。Ⅱコリ1:4-6(325)「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ち溢れてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。」祈ります。

 

 

恵み深き天の父なる神様

本日もわたしたちをここに集め、礼拝を与えてくださり、御言葉によって新たにしてくださったことを感謝します。多くの人々がご高齢のため、また病気のため、また様々な事情のために集まることができません。しかし、弱い時に使徒が共に弱くなって、心を合わせて主に結ばれたように、わたしたちも思いを一つにされて、主の命に結ばれていることを感謝します。

どうか、弱い者、つまずくばかりの者を憐れんでくださる主を仰ぎ、主に頼り行く信仰をわたしたちにお与えください。わたしたちはこの教会で主に仕え、わたしたちと共に奉仕された姉妹を思い起こしております。その姉妹のお子様が地上の生涯を終えられたことを伺いました。どうぞ、遺されたご家族の上に深い慰めをお与えください。主イエス・キリストを信じて救いに入れられたこの方と共にわたしたちも主に結ばれている幸いを感謝します。いつの日か、この姉妹と共に天においてあなたの御顔を仰ぐことができますように。

今週も礼拝から世に出て行くわたしたちを、あなたの愛を証しする者としてお遣わしください。聖霊の御力によって弱い者も強くされますように。

この感謝と願いとを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

自分の業に応じた最期

聖書:詩編62篇12-13節, コリントの信徒への手紙二 11章7-15節

わたしたちは、それぞれ一人の信仰者として、自分のことを考えます時に、「自分は信仰の篤い者」とか、敬虔なクリスチャンだと自認できる人はなかなかいないことでしょう。また、この世の人々が切に求めている才能、能力、あらゆる力についてはどうでしょうか。これもまた、自分には力があると自信を持っている人は少ないことでしょう。実は客観的に見て優れた人々は教会には少ないわけではないでしょうが、「能ある鷹は爪を隠す」という諺の通り、「自分などは大したものではありません」と謙るのが通例で、礼儀に適っている態度でもあります。

しかし、謙った態度には二つの意味があります。一つには「本当に自分は力ある者ではない」と思っている場合です。もう一つは、「自分に力があると思われるのは困る」と考える場合です。その理由は、それを羨む人々が多いからです。そして、人の力を当てにする人々も多いからです。そこで、おそらく「自分の能力を他の人々のために使うことを求められたくない」と思うのでしょう。今でもあるのでしょうか。昔、長者番付というものが発表されていました。そうすると、番付の上の人の屋敷の玄関に捨て子がされていたという新聞記事があったものです。

そうかと思えば、全く反対に、「力があると思われたい」、「大したものだと思われたい」と考える人もいます。それはちょうど、本当は貧乏なのに、金持ちに見られたいという人がいるのと同じことです。いかにも信仰深く、敬虔なクリスチャンであるかのようにふるまう。そうして皆に尊敬されたい。しかし、本当に尊敬に値するかどうかは全く別の話です。もし、そういう人が教会の教師、指導者となったとしたらどうでしょうか。使徒パウロが伝道したコリント教会、その教会の信徒たちが直面している問題がここにあります。

パウロはコリントの人々にこう書き送ります。7節。「それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。」彼はコリント教会を開拓伝道した時、まるで自分の内に何ら優れたところがないかのように自分を低くして、実に慎み深く行動して来ました。しかし、人々が謙遜なパウロの本当の価値を見抜くことができないならば、彼らには、パウロは自分を低くしているのではなく、本当に大したことのない者のように見えたことでしょう。

一方、パウロはコリントの人々に夢中になっていました。正確に言えば「人々に」ではなく「人々が救われるために」夢中で働いたのです。子どもの教育に携わる人には分かることですが、自分を低くして子どもに向き合うことが大切です。そのように無知な人には分からない所まで降りて行って、病人には見下ろすのではなく、枕元に身を低くしてというふうに。その目的は、ただただ、人々の救いを願っての一心であります。

ところが、これがバカのように見えた人々がいました。どうやらパウロはコリント教会を開拓伝道する間、この人々から生活に必要な報酬を受けなかったようであります。使徒言行録にも記されているように、彼はヘブライ人として学問を究めた人物でありましたが、同時に手に職を身につけていました。このことは肉体労働を軽蔑しないヘブライ人の特徴でもありました。彼は天幕作りをしながら伝道をしたということが知られています。しかし、それだけで生活に必要なものを十分得ることはできなかったと思われます。このような開拓伝道者を支えたのはだれでしょうか。それはマケドニア人の教会でありました。マケドニア州の諸教会については、8章の初めに次のように紹介されています。1~2節。333頁。「兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。」

わたしたちは今も、大きな教会と小さな教会、力のある教会と力の弱い教会があるのを見ています。そして大きな教会、力のある人々は小さな教会、力の弱い人々を支援するのが正しい。あるいは望ましい姿であると考えたくなります。しかし、聖書が語る初代教会から、実際はそうではなかった。そうあるべきだとは思うけれども、そうとは限らなかったことが分かるのではないでしょうか。パウロたちは大きなものにも小さなものにも福音を宣べ伝えようとしています。コリントの地は経済的に豊かな商業地域、東西交通の一大拠点でありました。教会に集められた人々は様々であったことでしょうが、経済的には他の地域よりも恵まれていたことが想像されます。

しかし、パウロはその伝道に当たって、彼らから自分の生活を支えるだけの報酬を求めず、何と貧しさの中で労苦しているマケドニア州の人々から支援を受けたというのです。そしてそのことを悪く言う人々がコリント教会の中にいた。パウロは「マケドニアからかすめ取った」と批判したようです。彼はその批判に反論しているのです。福音を告げ知らせるのに、報酬を受け取らなかったパウロ。これはパウロの謙遜さの表れでもありました。彼はまるで自分の地位が他の人の地位よりも一段低いかのように、権利を行使するのを差し控えてきました。そのために、報酬を与える値打ちがないかのように軽く見られる原因ともなったのですが、他方、もし報酬を求めたとしたらどうでしょう。それはそれで、パウロに敵対する人々に、批判する口実を与えることになったでしょう。「パウロは金品を要求した」と。

一方マケドニアの教会の人々に対しても、パウロは自分の生活を支えてくれるように要求したわけでは決してないのです。マケドニアの教会には貧しさがあり、困窮があった。だからこそ、彼らは同じ貧しさの中にある人々を思うことができたのです。これまでに語られて来たエルサレム教会に対する災害支援がそうでありました。彼らは困っている人を誰でも彼でも助ける力はありませんでした。しかし、彼らは福音を聞きました。異邦人である自分たちが、イエス・キリストによって救いに招かれていることを知らされました。神も希望もない人々が、新しいイスラエルの民となったのです。この喜びによって、彼らは主の兄弟、姉妹の交わりを知りました。だからどうしても助けたかったのです。この救いの源にあるパレスチナの教会、この救いの源にあるユダヤ人の教会を。そしてパウロを。自分たちの貧しさを忘れてどうしても助けたかったのです。なぜなら、彼は福音を宣べ伝えるために命を賭けていたからです。マケドニアの教会の人々は言いませんでした。「コリント教会にはお金持ちがいるから、そちらから援助していただいてはどうですか」とは言わなかったのです。

このことをわたしたちは驚きを以て受け止めます。主の教会では、小さな貧しい者が大きな豊かな者に支えられているとは限りません。主の体の中では、小さな貧しい者が大きな豊かな者を支えていることも起こるのです。主の体の中では、感謝に溢れている部分が他を支えているのではないでしょうか。なぜなら、わたしたちが恵みを受けていると感じること自体、そして感謝すること自体、感謝できるということ自体が、上からの恵みに他ならないからです。

パウロはそれでは、いつでも、どこでも福音を宣べ伝える務めを無報酬でしたのか?というと、決してそんなことはありませんでした。主御自身、弟子たちを派遣なさるときに、無報酬でしなさいと命じられたのではありません。マタイ10:10「旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。」17下。福音伝道の務めのために働く者だからといって、日用の糧が必要なことは同じです。パウロはコリントの信徒への第一の手紙の中で、次のように述べています。

Ⅰコリ9:14-15「同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと指示されました。しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら死んだ方がましです…。だれもわたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない。」310-11。この権利を利用するくらいなら、死んだ方がましです、というのは本当に激しい言葉です。なぜなのでしょうか。パウロの誇りとは何でしょうか。他の教会では受けている報酬を、援助を、コリント教会からは断固として受けないという堅い決意を表明しています。「わたしの内にあるキリストの真実にかけて」という決意は、ほとんど誓いの言葉であります。断じてわたしはあなたがたから報酬を受けない。こうまで言われた人々は、むしろ寂しく思うのではないでしょうか。「パウロはマケドニア州の人々からの支援を喜んで受けているのに、わたしたちからはこれからも受けないと言う。それは、わたしたちのことを心にかけていないからではないだろうか」と。

パウロは、彼らに逆に尋ねています。「なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存知です。」英語の聖書(NRSV)では、「神はわたしがあなたがたを愛していることをご存じである」と訳しています。パウロの心は悲しみで一杯だったのではないでしょうか。命を賭けて伝道した教会。人々の目線に立って、自分を低くして伝道した教会。半信半疑の信仰しかまだ育っていない教会に、自分を支援してくれと金品を要求することなどどうしてできたでしょうか。結局のところ、救われた者でなければ、救われたことを感謝する者でなければ、本当に伝道者をお金や労働によって支援することはできないのです。

パウロがコリントの人々にこのように語気を強めて主張しているのは、彼らの背後で糸を引いている偽者の使徒たちを知っていたからです。そして、悲しいことには、コリント教会はまだまだ彼らの実態を見抜く力が養われていないのでした。パウロがもしコリントの人々に愛想をつかしていたならばどうでしょうか。あんな不信仰でふらふらしている人々は駄目だ、見かけばかりの美しさ、格好の良さに気を取られているようでは見込みがない、とダメな理由を挙げ出したら、本当に切りがないほどあったかもしれません。しかし実際はどうでしょうか。パウロは彼らを愛しておりました。この偽者と本物の区別もつかないようなダメ信者の彼らを、本当に愛して、心配して、彼らのために命を削るようにしていたのではないでしょうか。

そしてそのことは、主もまた彼らをお見捨てになっていない証拠であります。そして天の父も彼らを愛しておられる証しではないでしょうか。だからこそ、こうしてこの手紙は神の言葉として全教会が聞くことになったのです。パウロは戦います。コリントの人々が救われるために。コリントの人々が救われないように、サタンから繰り出されるあの手この手の攻撃に耐えるように、彼らのために戦っているのです。

サタンがわたしたちを悪へと唆す時には、彼は自分の本来の姿をそのとおり表さないのです。サタンこそ不倶戴天の敵であり、常に救いに反抗して戦いを挑んで来ます。彼がわたしたちに襲い掛かるにあたっては、むしろ天使のように見られたいと苦心するのですから、彼が、うわべはさも立派に、神の名までかたって攻撃してくるとしたらどうでしょうか。このように、サタンを助けている連中も皆同じ悪だくみを真似するのです。すると、わたしたちは、すべての人に対して疑心暗鬼になって、何でもサタンの使いだと疑うべきなのでしょうか。パウロの言いたいことは決してそんなことではありません。判断のための基準をわたしたちは御言葉からいただいているのですから、うわべにばかり目を留めてはならないのであって、本質的なことはどうなのか?このことをわたしたちは常に尋ね求めるべきであります。

わたしたちの信仰は終わりを目指す信仰です。「自分の業に応じた最期」とは、日本語の聖書では死ぬ時を表す「最期」となっていますが、それは、英語で言えばendであり、ギリシャ語ではテロスです。その意味は終わり、終点であると同時に、成就、完成、結末を意味します。そして生きる目標をも表しているのです。わたしたちの生きる目標は、イエス・キリスト。罪に死んでいる者をも生かす方。サタンに支配され、手下に使われている者をさえ、打ち砕いて罪に死なせ、主の命に結んでくださることがお出来になる、その恐るべき御力、その驚くべき愛に依り頼みましょう。祈ります。

 

御在天の父なる神様

尊き御名を賛美します。本日の礼拝に集められ、御言葉を聴く恵みをいただき感謝申し上げます。真に小さな群れですが、主の慈しみは深く、御業は計り知れないことを教えられました。大きな群れでも信仰薄く、大きな試みに遭うことしばしばです。小さな群れでも、大きな感謝に溢れ、無力な者をも奮い立たせて生かし用いてくださることを知らされ、心励まされます。

わたしたちはキリストによってあなたの愛と熱意を知らされました。またパウロの熱意によって、キリストの愛が迫っていることを知らされます。わたしたちもまた信仰弱い者ですが、コリントの人々が見捨てられていないように、信仰弱い者も、強くされ、主の教会の生きた肢としてしっかりと結ばれますように。大変な困難をそれぞれが抱えている時代でありますが、いつもわたしたちの最終目標であります主を目指し、主の御心を目指して生きる教会でありますように。

7月も半ばとなり、ますます厳しい暑さの中、教会に連なる方々のご健康、ご家族のご健康をお守りください。特に小さい者、健康に不安を覚えている者をお守りください。そして生活のすべての中で、御名が崇められますように。私たちが自分の救いのために、家族、友人、社会の救いのために、祈りを捧げますように。そして、ここに真の救いがあることを、いつも証しすることができますように。主よ、あなたの喜びを、あなたの愛をわたしたちに満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

キリストに対する真心(まごころ)

聖書:出エジプト記20章4-6節, コリントの信徒への手紙二 11章1-6節

 日本基督教団の総幹事を務められた内藤留幸先生が10日前に亡くなられましたので、先週、私は葬儀に先立つ前夜式に参列しました。松沢教会の会堂は弔問者で溢れ、私にとっては冷房機器の近くで3時間半以上も寒さに耐えながらの式でした。葬儀式というものは、まず肉体的に忍耐の機会であったことを、久しぶりに思い出しました。それでも、私はお別れの日に参列出来て良かったと思いました。成宗教会に赴任してからの数年間、内藤牧師がカルヴァンの勉強会にお招きくださったことを有り難く思い出していたからです。世の中は葬儀式どころではない貧しい雰囲気になったと思っておりましたが、内藤先生はあのようにたくさんの業績があった教師とはいえ、たくさんの人々が一堂に会して感謝を込めて天に送る葬儀式がなされたことで、参列者には思いがけない慰めが与えられたのだと思います。共に集まり、共に感謝する。共に悲しむことも、共に喜ぶことと同様にわたしたちに与えられた恵み。心の豊かさの表れなのだと思います。

毎日のように報道される痛ましい事件。先週の集中豪雨の惨状は目を覆うものでありました。わたしたち長く生きている者は、たくさんの災害を経験し、遠い過去には傷ましい戦争の惨禍も記憶しておられる方々がおられます。しかし、災害復旧という点からしますと、高度成長期を進んでいた時代には本当に復興復旧のスピードも速かったことを思います。原爆が投下された直後の広島では、あと70年は草木も生えないとまで言われたそうですが、本当に広島は美しい町に復興して久しくなり、近年はむしろ被爆の悲惨さを忘れさせてはならない、と努力が傾けられています。

しかし、高度成長期が終わって久しい今、社会の様相は一変しています。東日本の震災復興も遅々として進みません。原発事故の影響は計り知れないものが進行中であり、平和な生活に戻れる日はあるだろうか、という方々が大勢いるということです。また熊本地震でも、被災地域に倒壊したままになっているところがまだ沢山あるそうです。その上にこの豪雨、水害。途方に暮れる現実が高齢化した社会に迫っているのではないでしょうか。

この時、この社会に主は何をなさろうとしておられるのでしょうか。今こそ、福音を聞きなさいと主は言われるのではないでしょうか。今こそ、信じなさい、と主は言われるのではないでしょうか。そして今こそ、福音を宣べ伝えなさいと、主は言われるのではないでしょうか。わたしたちはだれもが、この時代の子であります。この時代の影響を受けないで生きている人はだれもいないのです。今、多くの人々が自分の問題で手いっぱいで生きている。つい20年、30年前までは、だれもが中流階級気取りで生きていたのに。教会の人々も海外旅行に出かけ、憧れの名所観光を楽しんでいたのに。今は何をするにも、人手がない。お金がない。健康がない。知恵がない。ないない尽くし。「いっぱいいっぱいです」の気分にすっかり捕えられている状態です。

しかし、内藤牧師のお葬儀に出席して、(ないない気分の中で与えられた恵みでした)ハッとさせられることがございました。87歳で召天された内藤牧師がお若い頃、一体それでは何かがあったでしょうか。人手がない。お金がない。健康がない。知恵がない。ないない尽くし。「海軍兵学校の生徒が戦場に送り出される直前に迎えた敗戦。その時、今よりも状況がよいものがあったでしょうか。今は高齢の方々が次々に亡くなる時代です。団塊の世代が80代~90代になる頃がそのピークと言われています。しかし、戦争の時代は次々と亡くなったのは青年、壮年の世代でありました。敗戦によって戦争は終わりましたが、ないない尽くしは、今の時代とは比較にならなかったでしょう。

ないない尽くしになった時、一つだけ生まれたものがあったのだと私は思います。ないない尽くしの時代に生まれたもの、それは悔い改めではなかったでしょうか。だからこそ、内藤留幸先生はキリストの呼びかけを聞きました。内藤先生だけでなく、多くの青年が敗戦の放心状態、闇の中でキリストの光を見たのです。人は絶望の中で、キリストの光を見、困窮の中で、悔い改めたのです。だとすれば、人は豊かになれば、悔い改めるのではないのです。豊かさを求めれば、光が見えるのではないのです。実際わたしたちの社会は、豊かになって、かえってキリストから遠ざかったのではないでしょうか。

だからこそ、厳しい時代の到来を思う今、この時、この社会に、主は言われるのではないでしょうか。「今こそ、福音を聞きなさい」と。「今こそ、信じなさい」と主は言われるのではないでしょうか。そして今こそ、福音を宣べ伝えなさいと、主は言われるのではないでしょうか。私はこの5月で69歳になりました。多くの方々に、「先生はまだまだ若いですよ」と言っていただくのです。しかし、日本語の礼儀としては、「まだ若い」と述べるのが美しい作法なのでありますから、言われる方も、その作法を弁えて聞くことが大切です。一日一日、厳しい現実に突入する時代の伝道者として、主の求められる御言葉の務めを果たしたいと願います。

さて、今日の説教題は11章3節から取りまして、「キリストに対する真心」としています。しかし、元々の意味から言えば、これは、「キリストの中にある単純素朴さ」という意味であって、わたしたちの方からキリストに対して真心を尽くすということとは少し違います。カルヴァンは、「キリストのうちにある質実さ」と訳していました。パウロがコリント教会の人々に言葉を尽くして、教え諭そうとしていることは、このことです。すなわち、福音の質実さ、単純素朴さです。主が今の時代を生きるわたしたちに福音を聞きなさい、信じなさい、宣べ伝えなさい、と仰る福音は、このことです。イエス・キリストから使徒たちが受けたありのままの純粋な教えを聞き、その中にわたしたちがとどまっていること。そのためにパウロは労苦しました。教会は労苦して聖書の教えを後の時代に伝えて行くのです。わたしたちも今を生きるわたしたちも過去から遮断された教会ではなく、また未来とは切り離された教会ではなく、福音の質実、キリストの中にある単純素朴な福音を受け取りたいと願います。

パウロはこのただ一つの目的のために、真心を込め、またあらゆる努力を傾けて自分の主張を展開するのであります。彼はコリントの人々にお願いします。「わたしの少しばかりの愚かさをがまんしてくれたらよいが」と言い、新共同訳のように「いや、あなたがたは我慢してくれています」と訳すこともできますが、「どうか我慢してほしい」とお願いしているとも考えられます。愚かさ、というのは、彼はこの後で、愚かに見えるかもしれないけれども、あえて自分を推薦し、自分を誇らないではいられないからです。彼は本当に優れた人物は自慢や自己宣伝などしないものだと知っていましたので、こんなことはしたくない。しかし今そうするのは自分のためではありません。それは、他ならぬコリント教会の人々のためなのです。なぜなら、コリント教会の人々には偽者の使徒と本物の福音の区別がよく分からないからです。その結果、危険にさらされているのはキリストの福音、キリストの権威なのです。

パウロがコリント教会の人々に、愚かになっても語りたい理由は何でしょうか。「なぜなら、わたしは神の熱愛を持って、あなたがたを熱愛しているからである」とパウロは言います。熱愛というのは「妬むほどに愛する」ということです。神の熱情というものは、冷静な客観的な気持ちではありません。もし神が、罪の虜になり滅びの淵に落ちた人々を冷静に客観的に見る方なら、わたしたちにはこの方に叫んで救われる望みがあると言えるのでしょうか。神は熱情の神だからこそ、キリストを世にお遣わしになったのです。

従って伝道者が福音を宣べ伝える目的は、救われる者を救い主キリストに結び付けることです。そのために現れたバプテスマのヨハネは、キリストを花婿に例えました。そして自分を花婿の友人に例えました。ヨハネ福音書3章29節。168下。「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。」ヨハネはキリストの友人として花嫁を結婚させるために働きます。そしてパウロもこのヨハネと同じ立場、同じ務めを担うのです。キリストの花嫁を純潔な処女としてキリストに献げた、とパウロは言います。

それでは花嫁とはだれでしょうか。それはあなたがた、コリントの教会です。コリント人ばかりではありません。キリストの体と呼ばれる教会は、またキリストの花嫁に例えられるのです。すると、純潔な花嫁とはどういう意味かが明らかになって来るでしょう。それは一筋にキリストに従う者としてキリストに結ばれ、地上の生涯を送る信仰者です。福音宣教の目標はここにあります。そのためには福音に仕える者も、キリストと同じ熱愛を教会に対して抱いているのでなければ、キリストに花嫁を献げることがどうしてできるでしょうか。

パウロがこの務めを果たす者としてコリント教会のことを心配するのは、このような熱愛を抱いているからにほかなりません。彼は心配します。真の神の救いをもたらすイエス・キリストに結ぼうとする使徒たちの努力と熱意を知らずに、サタンに雇われた恋人のような者たちの甘い言葉にそそのかされて、キリストに真心と純潔から知らないうちに逸れてしまうのではないか、と心配するのです。ここで語られている例は創世記のアダムとエバの物語ですが、蛇はエバに近づいた時、あからさまに神の言葉に逆らったり敵対したりしませんでした。そのようにキリストから人々を遠ざけようとする敵も、表向きは福音に反対してはいないふりをして近づいて来るのです。

このような心配の理由について、パウロは、コリント教会にはいかにもキリストの花嫁の世話をしてキリストに献げようとしている花婿の友人のようなふりをしていながら、実は少しずつ花婿から気をそらし、つまり、パウロたちが宣べ伝えたのとは異なった福音を宣べ伝えて、次第にキリストから離れさせるような働きをする者たちがいると言います。このことは、大変深刻な現実の問題であります。なぜなら、いつでも、どこの教会にも起こったことであり、起こる可能性があるからです。教会の人々が説教者の語る福音によって、キリストに近づくのではなく、次第に説教者に近づいて行く。その人の魅力に取りつかれてしまうということは、実に深刻な問題です。それは、初めは教会に仕え、キリストの友人としてキリストに人々を結婚させるように見せかけながら、実際はキリストの花嫁を横取りして、自分のものにしてしまう偽の友人と全く同じことだからです。

福音に仕える者の役割は、皆、花婿の友人の務めに忠実なことです。教会の花婿はキリストただお一人であります。従って、花婿キリストに仕える者はこの聖なる、神聖な結婚の誓いが決して破られることなく終わりの日まで続いて行くために、力を尽くさねばならなりません。人と人との結婚は、夫の側にも破れがあり、それだからこそ、離婚もあり、また再出発が許されています。しかしキリストとの結婚は神との約束ですから、キリストの側に裏切りはないのです。キリストお一人は約束に忠実な方ですから、必ず花嫁を救ってくださいます。この結婚は神の情熱とキリストの真実からなされることでありますから、この結婚のために奉仕する教会の仕え人もまた、神の御心を愛し、心の中でキリストと同じ愛情を人々に対して抱いている。そうでなければこの結婚は実現されないのです。だからこそ、教会に在って福音に奉仕する者は一人一人が皆、教会がキリストに対して純粋であり、質実であり続けるように、心を注がなければなりません。

宗教改革者は言います。「このことに心を配ることができない怠惰で冷淡な者は、この務めには決してふさわしくない」と。牧師も長老も、最初から牧師、長老であったわけではありません。本当にこの務めにふさわしいと誰が自認することができるでしょうか。夥しい困難に囲まれる時にも、主イエス・キリストの救いに賭ける愛と情熱が、わたしたちに迫ります。必ず罪人を救わずにはいられないという愛であり情熱であります。ただそのときにこそ、わたしたちは救いの外側に見える飾りではなく、救いの中身、本質が何であるかを知ることができるでしょう。悔い改めて、主の御心を、その熱意を知らせていただき、主に堅く結ばれることを求めましょう。そして、主の真心の中に生きる教会となりましょう。祈ります。

 

主イエス・キリストの父なる神さま

今日の礼拝を感謝いたします。あなたのお招きにより、わたしたちは集められ礼拝を捧げることができました。本当に御心に適った主の教会を建て、キリストに結ばれた花嫁として捧げられ、いつまでも主の慈しみと愛と復活の命に結ばれたいと切に願います。

今、病気で、高齢のため、様々な事情で礼拝から遠ざかっている方々にも、み言葉が届き、主の御心を知ることができますよう。困難の中で悔い改め、主を尋ね求めるならば、どうか応えてください。御言葉の絶大な価値、救われることの絶大な価値を、わたしたちが教会の外へ、家族友人、社会に証しする者となりますように。困難であればあるほど、わたしたちが主の支えを身近に感じ取り、主に感謝する者となりますように。主よ、どうか教会を形成することを切に願うこの祈りに心を合わせる人々を増し加えてください。自分の無力を思う方々も、弱さを思う方々も、あなたの励ましによって立ち上がらせてください。そして、自分の生活に追われる毎日の方々も、主に仕える教会の業を担う勇気を力をお与え下さい。

東日本の諸教会の上に御手を伸ばして、教会の方々の悩みを顧みてください。健やかな教会形成がなされますように。特に本日泉高森教会の牧師就任式を祝し、また先週までに就任式を終えられた、自由が丘教会、十貫坂教会のためにも祈ります。新しく赴任された地において、主が教師を長老会と共に豊かにお用いくださいますように。

この感謝、願い、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

2017年7月号

日本キリスト教団成宗教会

牧師・校長  並木せつ子

このお便りは、なりむね教会からのメッセージです。キリスト教会は神様の愛について学び、伝えます。子供さんも大人の方も、読んでいただければ幸いです。

山口智代子先生のお話

(これは4月30日にお話しいただいたものです。)

聖書:サムエル(上)1章10-28

「ハンナの祈り」

山口智代子

 私達は、祈りとは何かということについて、神様の御言葉を聴いてきました。今日のカテキズムの問いも祈りについてです。「私達が祈る時、神様が私達に求めておられることは何ですか。」答えは、「私達が神様に感謝し、神様だけが私達に最も良いものを与えて下さることを信じて熱心に求め、祈ることです」ということです。

今日の聖書のお話は、サムエルのお母さんのハンナがお祈りをしているところから始まります。サムエルが幼く、神殿で仕えていた頃、ある晩、主から呼びかけられました。「サムエル、サムエル」何度かそのことが続いた時、祭司のエリは、きっと主がこの子を呼んでいるに違いないと思い、次に呼びかけられたら、「主よ、お話し下さい。僕はきいております」と言いなさいと教えました。その後、サムエルは偉大な預言者として成長していきます。今日のお話は、サムエルが生まれる前のお話です。

ハンナには、エルカナという夫がいましたが、二人には子供がいませんでした。エルカナには、もう一人ぺニナという奧さんがいて、その奧さんとの間には、子供がいたのです。この当時は、一人の男の人が、何人かの女の人と結婚してもよかったのです。この時代、女の人が子供を産めないということは、神様から祝福を受けていないのと同じくらいのことだと考えられていました。女の人にとって、自分には価値がないと思うほどのすごく辛いことでした。ハンナにとって、子供を産めないということは、女の人として、一人の人間としての苦しみでした。ぺニナには子供がいるのに何故自分にはいないのだろうと、ハンナは思い悩みました。ぺニナのことを妬んだり、憎らしく思ったりもしたでしょう。しかし、神様へと向かう祈りに導かれました。

ハンナが主の御前であまりにも長く熱心に祈っていたので、エリはハンナがお酒に酔っているのだと勘違いしてしまうほどでした。ハンナの祈りは、自分の苦しみを神様に訴えかける祈りでした。神様は、その苦しみや嘆きを何でも知っておられます。けれどもその苦しみや嘆きを訴えることを神様は求めておられます。神様が、苦しみや嘆きを知っていて下さることを信じて、神様を信頼して、最も良い道を与えて下さると信じて、ハンナはお祈りしました。 ハンナは、苦しみを言っただけでなく、もし子供が授けられたら、その子の全てを神様に捧げますと言いました。

祈りは聴かれ、男の子を授かりました。そしてその子をサムエルと名づけました。サムエルとは、「その名は神」という意味です。神様にお約束した通りに、ハンナは、サムエルを神様に捧げ、サムエルは、祭司エリのもとで育ちましました。

神様は苦しみや悲しみを通して、私達に真剣に祈る事を教えられています。祈りは、神様と真剣に向き合う時です。神様も皆さんと真剣に向き合って下さいます。その神様の御心にお答えするのがお祈りです。神様の前に自分の心を開いて、包み隠さず何でも打ち明けて、何でも願い求めるのです。

神様は、ハンナが絶望と嘆き苦しみの中で、主を見上げて祈るということができるように苦しみをお与えになったのです。どんな苦しみも悲しみも全てを喜びと感謝へと変えて下さる方がおられるのは、幸せなことです。祈ることが、何よりも神様から与えられた祝福です。

どんなに苦しいことや辛いこと、悲しいことがあっても、お祈りすることができることを感謝したいと思います。

7月の教会学校礼拝(毎週日曜日、朝9時15分~9時45分)

◎ 神様に感謝して祈り、歌います。イエスさまのお話、聖書について学びます。

◎ お話の聖書箇所と担当の先生は次のとおりです。

7月2日(日) ルカ4:1-12      お話の担当… 並木せつ子

9日(日) コリント(一)10:23-31       並木邦夫

16日(日) コリント(二):19-20       焦  凝

23日(日) マルコ1:1-8          並木せつ子

30日(日) ルカ2:41-52          興津晴枝

教会・教会学校の行事

  • 6月4日(日)ペンテコステ(聖霊降臨日)・・・最初の教会がどのようにして生まれたかを学びました。
  • 6月11日(日)花の日(子どもの日・・・成宗教会学校では成田東三丁目の交番に日頃の感謝のしるしにお花を届けました。二人のお巡りさんが生徒の皆さんを歓迎してくださいました。
  • 8月27日(日)夏休み一日教会学校・・・午後3時~8時を予定しています。小学生が対象ですが、ヘルパーとして中学生の参加も歓迎します。詳しい案内は7月中に致します。

教会学校で学ぶこと

  • 真の神は、イエス・キリストの御生涯に表されました。イエス様を通して、私たちは、神の真実について学ぶことができます

教会学校は、幼児(初めは保護者とご一緒に)から高校生、大人の方も参加できます。また、中学生以上の方には、10時半~11時半の一般の礼拝もお勧めしています。親子連れの方も、どうぞいらしてください。

7月の御言葉

「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を表すためにしなさい。」コリントの信徒への手紙一 10章31節