聖餐

『聖餐』についての学び

新約聖書は、キリスト復活の後、極めて早い時期から信仰者たちが共に集まって「パンを裂いて」いたことを記している(使徒2:42、46等)。その最初の教会とは、信仰者たちが共に集っては、「復活の主」の臨在を確信し、その再臨を熱望しつつ食事(愛餐)を共にし、当初の時点から、信じ、告白し、説教するところであった。その食事が次第に厳密な意味での聖餐として祝われるようになった。この愛餐と聖餐とが分れ始め、2世紀半ば頃までには、礼典としての聖餐と親睦の食事としての愛餐は別々に持たれるようになり、聖餐は全教会で守られるようになった。

古代の教会では、使徒教父からアウグスティヌスに至るまで、主として三つの重要な聖餐解釈が存在した。第一は、聖餐を「実体的」よりも「象徴的」に理解する立場。第二は、聖餐を「霊的」に解釈する立場。そして第三は、聖餐を「犠牲奉献」として理解する立場である。三つの立場は、それぞれ古代教会の聖餐理解の発展に重要な役割を持ち、宗教改革期の聖餐神学の道備えとなり、現代の聖餐論の前提となった。

二世紀から三世紀に活躍したアレキサンドリアのクレメンスやオリゲネスが、第一の「象徴的」な立場をとった。彼らの聖書解釈では、特に中期プラトン主義の影響を受けて、現象世界の背後にある霊的な世界の意味を強調した。彼らは、聖餐を「キリストの血と肉」とは呼ぶが、その理解は、隠喩的な傾向を強く持ち、キリストのうちに受肉した御言葉が魂を滋養することが、象徴的に聖餐でなされるとした。

第二の「霊的な解釈」の立場をとるアウグスティヌスは、聖餐に与るとは、単に可視的かつ物質的なことではなく、それが指し示す不可視的な現実性に参与することと考えた。アウグスティヌスは、物質の現実性を霊的なものとの関係によって見る世界観から、聖餐の「霊的解釈」をした。

第三は神への奉献「犠牲」としての聖餐の解釈である。ここでは、キリストからの賜物としての聖餐ではなく、反対に人間から神へ、受ける側から与える側へという方向に強調点がある。この解釈は、すでに一世紀前後の教会で日曜日ごとに行われていた聖餐の立場であった。外面的に執り行われる儀式としてではなく、罪過の告白を伴い、神への信仰が前提とされる「清い供え物」の犠牲としての聖餐だった。

しかし、中世カトリック教会で聖餐式に用いられた言葉はラテン語であり、しかも信徒のほとんどはラテン語を解さなかったので、聖餐式における会衆の役割は司祭が神に犠牲をささげるのを実質的にはただ眺めるだけという極めて受動的なものだった。実際に聖餐を受ける陪餐でも、一般信徒の場合には、パンとぶどう酒の両方によるいわゆる二種陪餐ではなく、キリストの血をこぼしたり汚したりすることのないようにとの理由から、ただパンだけに与る形が次第に慣行となり、それがローマ教会では13世紀頃までに完全に定着したと見られる。

聖餐の物素(パンとぶどう酒)自体は通常「(キリストの)体と血」と呼ばれ、教父時代において、パンとぶどう酒が聖別後にも「キリストの体と血」としての、明確な定義づけ解釈は試みられなかった。  9世紀のパスカシウス・ラドベルトゥスや11世紀のベレンガリウスの主張から起こった聖餐論争以降、定義づけが望まれ、1215年の第4ラテラノ公会議では、カタリ派に対して「真の臨在」を主張するために「実体変化」という用語が用いられた。その際、神学的な裏付けとなったのが、トマス・アクィナスを中心とするスコラ神学において教義的完成を見た「化体説(聖餐のパンとぶどう酒は司祭の聖別によって実体的にキリストの体と血とに変化するという説)」であった。

13世紀までに、この議論は論じ尽くされ、聖別はパンとぶどう酒の「実体」に変化をもたらすが、「偶有性」(外観)はそのままであると主張された。「化体説」をとるローマ・カトリック教会とギリシヤ正教会は、司祭が唱える主の聖餐制定のことばによって、パンはキリストの体に、ぶどう酒はキリストの血に実体変化するとし、聖礼典というよりは、いけにえ(犠牲)であることを打ち出した。こうした理解に立つ聖餐は、初代教会の共同体的な晩餐とかなりかけ離れたものとなった。

16世紀の宗教改革者たちは、このような中世カトリック教会の礼拝、聖餐を改革するために立ち上がった。実体変化説を非聖書的と断じて、いけにえ性を排し、パン(聖餅)をあがめることやぶどう酒を信徒に禁じることに反対した。宗教改革者たちは聖餐を、犠牲的儀式というよりもキリストとの福音的な交わりの具体的場とした。宗教改革の時代、聖餐問題は多くの論争をもたらせた。

ルターは、実体変化説に反対し、聖餐は聖別後にキリストの体と血およびパンとぶどう酒が互いに結合して共在する「共在説」を擁護した。これはキリストの遍在性がその背景をなしている。また、聖餐を、人間(司祭)が神に捧げる犠牲と理解するということは、聖餐を人間の業、人間の行う「善い業」とすることになる、と反対して、マタイによる福音書26章の聖餐制定の言葉から、聖餐は人間の業ではなくて、神がキリストを通して与えて下さる罪の赦しの「契約」であるとした。

ツヴィングリは聖餐におけるキリストの霊的現在を説きながらも、ルターの共在説に反対し、パンとぶどう酒の2品はゴルゴタで行われたキリストの犠牲を想起・記念させる“しるし”であるという側面を強調した「象徴説」を主張した。聖餐においては、キリストの体と血にあずかるのではなくて、その十字架の恵みを記念すると考えた。つまり聖餐を、神の恵みの賜物というよりも、人間が信仰によって行なう記念の行為として捉え、「しるし」を「事柄そのもの」から切り離して、「単なる象徴」とした。ルターとツヴィングリは、ドイツとスイスの宗教改革陣営の同盟を目指した1529年のマールブルク会談において、15項目中14項目までは完全に同意することができたが、この聖餐をめぐる理解の違いで同盟を実現することができなかった。

これらに対しカルヴァンは、中間の立場をとり、物素内で変化が起こることは否定したが、信徒が「キリストの体と血」の力、すなわち効力を受けるのだと主張した。聖餐を単なる回想の儀式とせず、れっきとした恵みの手段であるとし、キリストが即物的・外形的に2品の物質の中に現在するとはしなかった。カルヴァンは聖霊の働きを主張し、聖餐において、信者は目に見える“しるし”の2品を口で食べ飲むのと同じ確かさで、聖霊の働きにより、キリストの体と血、それも天にあって来らんとしているキリストの体と血に与るとした「聖霊による現在説」をとった。

カルヴァンと、チューリヒにおけるツヴィングリの後継者であるブリンガーとの間で、1551年に、聖餐の問題についての合意がなされた。それが「チューリヒ一致信条」と呼ばれるもので、この合意によって、スイス諸教会の聖餐理解は、カルヴァンの線で統一された。「神のことば」に重きを置く宗教改革は、説教重視かつ会衆中心の新しい聖餐の形をもたらしたが、教派により執行の頻度や式の内容及び形態は様々となり、現在に至っている。

20世紀になって、ローマ・カトリック教会も、1962年の第2ヴァチカン公会議以降、ミサを自国語に切り替えたり、時に応じて二種陪餐を許すなどして時代に即応した姿勢を見せ、会衆の積極的な参加による聖餐共同体的性格をも強調している。

聖餐に与るには「信仰」が不可欠である。信仰抜きの聖餐のパンとぶどう酒の拝領は、明らかに聖餐を魔術化するだけでなく、キリスト教の歴史が証言する聖餐理解の本質を曇らせ、誤解させることになる。信仰を必要とする聖餐は、聖霊の注ぎ無くしてはあり得ないのである。

長いキリスト教会の歩みの中で聖餐が担ってきた意味と役割を考える時、今日の教会は聖餐の神学を回復すべきである。未受洗者陪餐問題など日本基督教団自身が抱える聖餐問題など、私たちは今一度聖餐の重要性と復権を問うてみる必要がある。

信仰をもってしか与れないと歴史的に理解されて来た聖餐理解も誤ると、かつてカトリック教会が陥った過ちへ再び転落しかねない。われわれが教会という共同体的基盤に立って信仰生活を営むことの意味を問うことであり、より豊かな聖餐が望まれるのである。

・・・ 以  上 ・・・

 

聖餐の喜び

《賛美歌》

讃美歌6番
讃美歌352番
讃美歌515番

《聖書箇所》

旧約聖書:詩篇 41篇10-11節 (旧約聖書875ページ)

41:10 わたしの信頼していた仲間
わたしのパンを食べる者が
威張ってわたしを足げにします。
41:11 主よ、どうかわたしを憐れみ
再びわたしを起き上がらせてください。
そうしてくだされば
彼らを見返すことができます。

新約聖書:マタイによる福音書 26章26-30節 (新約聖書53ページ)

26:26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」
26:27 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。
26:28 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
26:29 言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
26:30 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

《説教》『聖餐の喜び』

今日は、「聖餐」について教会学校の生徒さんとご一緒に考えてみたいと思います。

教会学校の礼拝では「聖餐」が行われていません。教会学校の生徒さんの中には「聖餐」を見たことがない人が居るかも知れません。大人の礼拝でパンと葡萄ジュースが配られてそれを大人たちが飲んで食べているのを見たことがあると思いますが、それが「聖餐」です。

教会学校で「聖餐」が行われていないのは、生徒さんが「洗礼」を受けていないか、洗礼を受けていても幼児洗礼だからです。

パンを食べて、葡萄ジュースを飲む「聖餐」とは、私たちにとって何のために、なぜ行っているのでしょうか。

それには、教会の歴史、古い時代に遡ってみなければなりませんが、今日は時間が少ないので500年前の宗教改革の時代から振り返って見ましょう。

私たちの教会は、宗教改革で生まれ直したプロテスタント教会です。プロテスタント教会では、「洗礼」と「聖餐」だけを聖礼典、神様が行いなさいと定められた正式な儀式とします。聖書の中でイエス様が直接命令なさった儀式はこの二つだけだからです。ただ命令なさっただけでなく、イエス様ご自身がその儀式に直接関わっておられます。

イエス様ご自身がマタイ福音書最後の28章18節から「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」と命じられているのです。これを主イエス・キリストの「大宣教命令」と呼んでいます。

今日の聖書箇所マタイ福音書26章には「パンを取って食べなさい。杯から飲みなさい」とあります。マタイ福音書28章の「大宣教命令」では「洗礼」を授けなさいとあります。イエス様ご自身が26章で「聖餐」を、28章で「洗礼」をしなさいと命じられているのです。。

「聖餐」は、今日の聖書箇所で記されるようにイエス様ご自身がパンを裂き、杯をとり、弟子たちと分かち合われました。イエス様が弟子たちと最後の晩餐をする場面です。イエス様はこの弟子たちとの最後の晩餐の直ぐ後で捕まえられて十字架に架けられてしまうのです。このイエス様との最後の食事は弟子たちにとっても決して忘れられないものになりました。それは、イエス様がこんなことをなさったからです。まずパンをとってお祈りをしてそれをいくつかに裂いて弟子たちに分けられました。そして弟子たちに裂いたパンをお与えになりながらおっしやいました。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 弟子たちは「これからイエス様の体がこのように裂かれてしまうのか。悲しい。でもイエス様にずっとついていくのだ」と固い覚悟をしていました。続いて、イエス様は葡萄酒が入った杯をとって弟子たちに差し出し、「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」と言われました。「わたしの血によって、あなたたちは罪が赦される。このわたしの約束を信じて生きていきなさい」と言われ、弟子たちは、「イエス様はこれから血を流されるのだ。恐ろしい。でもイエス様のことを守り抜こう」と思ったことでしょう。しかし、イエス様はこの後ゲッセマネと呼ばれる場所でお祈りをしますが、そこで捕まってしまい、そのまま十字架に架けられ死んでしまいます。すると、あれだけイエス様を守ると言っていた弟子たちはてんでんばらばらに逃げ散ってしまいました。イエス様にどこまでもついていきます、イエス様を守り抜きます、と言った筈の弟子たちは、自分の身に危険が迫ると怖くなってしまいました。イエス様は十字架で死んでしまわれました。その十字架の死は私たち人間の罪を赦すためであったのです。そして神様のご栄光をあらわすために死から蘇られ「復活」されました。その十字架の主イエスの裂かれた体と流された血によって私たちの罪が贖われ赦されたのです。復活された主イエスにお会いした弟子たちは、力づけられて新しい生き方をするようになりました。教会をたて、主イエスのことを人々に伝えたのです。

その時から、イエス様がお命じになったように、教会に集まってパンを裂いて一緒に食べ、杯からぶどう酒をみんなで飲み始めたのです。パンを裂き、杯から飲む時、そこに主イエスが居てくださる、と信じるようになったからです。弟子たち、そして教会はこのことをずっと続け、私たちの教会もこれを主イエスの食卓、聖なる晩餐「聖餐」と呼ぶようになりました。今も、私たちは聖餐式でパンを裂き、葡萄ジュースを飲む時、主イエスがそこに居てくださり、主イエスと一つになっているのです。「聖餐」にあずかるとき、十字架にかかってくださった主イエスのことを思い出し、復活なさった主イエスがここにいらして、パンを差し出してくださるのです。杯から飲む時、十字架で流されたあの血を思い出し、復活された主イエスが終わりの日にまた会おうといってくださった約束を思うのです。

「聖餐」は神様から私たちに対しての一方的な恵みです。主イエス・キリストの体と血をいただくということはキリストと一つになることを意味します。私たち罪人は聖餐に与るために清められなくてはなりません。その清めは「洗礼」によって与えられるのであり、主日礼拝の説教において清めが宣言されているのです。罪の赦しなしに「聖餐」はありえません、その赦しはただ神様の一方的な愛として、恵みとしてのみ起こるのです。従って「聖餐」も、神様を信じる信仰において受け取るべきものです。

神様からの一方的な恵みである「聖餐」は単に救われたことの証拠や「洗礼」を受けた証拠ではありません。

「聖餐」とは私たちの信仰と魂に対する食べ物であり栄養なのです。「聖餐」とは私たちに生きる力を与える糧なのです。この「聖餐」がないとクリスチャンは霊的な栄養失調になって、ひどくなると霊的に死んでしまうのです。「聖餐とは、主の体と血にあずかることによって、私たちの魂が永遠の命の希望のうちに養われることを保証するために、私たちの主がこれを制定されたのです」(ジュネーブ信仰問答 問340)。

「聖餐」を通して、聖霊の働きによって私たちは、キリストと一体となり、キリストの命「永遠の命」を頂き、天の父なる神様、子なる主イエス・キリスト、聖霊なる神様との交わりに中に加えられるのです。そしてそのことによって、私たちはキリストの体である教会の肢となるのです。

「聖餐」は信仰において受けるべきものですが、それは決して頭で考えるだけのものではありません。パンを食べ、葡萄酒を飲むことはキリストの肉と血を食すことです。私たちの信仰とは頭の中や心の中だけなのではなく、血と肉を伴うものなのです。ですから「聖餐」によって信じる者の体もつくられ、その人の信仰は人生、生活そのものになるのです。信仰の自覚が深まり、自分自身を生きた聖なる供え物として神様に献げることができるようになります。「聖餐」とは神様からの恵みであり、同時に献身につながる応答でもあるのです。

お祈りを致します。

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私について来なさい

《賛美歌》

讃美歌152番
讃美歌224番
讃美歌494番

《聖書箇所》

旧約聖書:エレミヤ書 16章16節 (旧約聖書1,207ページ)

16:16 主は言われる、見よ、わたしは多くの漁夫を呼んできて、彼らをすなどらせ、また、そののち多くの猟師を呼んできて、もろもろの山、もろもろの丘、および岩の裂け目から彼らをかり出させる。

新約聖書:マルコによる福音書 1章16~20節 (新約聖書61ページ)

1:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
1:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
1:18 二人はすぐに網を捨てて従った。
1:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
1:20 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

《説教》『私について来なさい』

先週は聖書記者のマルコが先を急ぐように「すぐに…」という言葉を大変多く用いて、私たちが「神の時」に生きることについて語られました。

私たちは時の流れの中で生きています。昨日から今日へ、今日から明日へと向う時の流れの中です。そして今日を生きるということによって、常に新しい時に出会っていると言えるでしょう。現在とは、未来という時を過去に変えるものであり、毎日一つずつ卵を産む鶏のように、私たちは毎日過去を生み出しているのです。

過去とは古い時であり、既に背後に追いやられた時です。一方、未来とは「新しい時」であり、未だ誰も知らないことが起こる時です。その「新しい時」を如何に生きるか。それが私たちの課題と言わなければなりません。

もちろん、この「新しい時」とは自覚なしに迎える自然の時の流れだけを問題にするのではありません。自然のサイクルから言えば、朝、眼が覚めた時、「新しい一日が始まった」ということは事実です。

しかし、自分の生きざまを深く省みて問うならば、朝の目覚めにおいて出会う一日が、果たして「新しい一日」「新しい時」と無条件に言い得るでしょうか。

判で押したような日常生活の中で、何を「新しい時」と言うのでしょう。

2000年前のガリラヤ湖の湖畔で起こった、この出来事は、その「新しい時」への招待でした。

16節に「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。」とあります。そして19節には「また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れしているのを御覧になった。」とあります。

ここは、別のルカ福音書によれば、時は朝でした。シモンとアンデレは未だ朝の漁をしており、ヤコブとヨハネは一晩の漁で痛んだ網を繕っている、ガリラヤ湖の漁師たちにとって昨日と変わらない朝でした。

早朝まで魚をとり、陽が昇ったら漁を終え、岸に上がって明日のために網を繕う。そして昼間は休み、また日暮れと共に湖へ出て行く。これまで何年もの間続けて来た昨日と少しも変わらない同じ朝であり、一日の始まりでした。ガリラヤ湖の漁師として、父親もそのまた父親も、同じようにして過ごしたであろう生活がここに繰り返されているのです。

シモンにもアンデレにも、ヤコブにもヨハネにも、それぞれ夢や希望があったことでしょう。しかし、生活のためには大きな冒険は諦めざるを得ません。昨日と同じような今日を過ごし、明日もまた同じ仕事を続けて行かなければなりませんでした。そしてその日常生活の中で、ささやかな夢や希望をそれなりに実現して行く。これは私たち誰もが過ごしている人生です。

私は何時までこの仕事をしなければならないのか。何故、この仕事をしなければならないのか。私たちは、よくこのようなことを考えるのではないでしょうか。

そして、もしかすると、他にもっと生き甲斐のある良い仕事があるのではないか、とも思います。しかしながら、そう思いながらも、やはり、昨日と同じように、同じことを繰り返している自分を見出さざるを得ません。

朝、仕事に出かける時に、あるいは夫を送り出した後洗濯掃除に追われる急がしい時に、このような自分の姿を見出すことはないでしょうか。そこには「新しい朝」を迎える「新しい気持ち」は感じられないでしょう。

シモンもアンデレも、ヤコブもヨハネも、そのような朝を迎えました。誰もが迎える「昨日と同じ朝」それがこの場面です。しかしながら、その「少しも変わることのない昨日と同じであった筈の朝」が、突然、「全く新しい朝」になったのです。

そしてこの出来事において、「新しい時」というものが自分の思いとはまったく別に向こうからやって来ることを教えられるのです。

四人にとって、主イエスとの出会い、それが「古い生活」から「新しい生活」への転換を引き起こしました。16節にも19節にも「イエスが御覧になった」と記されています。「御覧になった」とはどういうことでしょうか。主イエスが漁師の仕事を物珍しく興味をもって見たということなのでしょうか。主イエスの眼差しは、彼らの仕事へではなく、その仕事をしている人間そのものに向けられているのです。「その人が何をしているか」ではなく、「その人がどのように生きているか」ということに向けられているのです。私たちが今、何をしているのか、何をしようとしているのかということに関りなく、常に、主イエスの眼差しは私たちの内面、心に向けて注がれているのです。

そしてキリストの眼差しを自覚した時、「新しい朝」が訪れるのです。シモンたちは誰一人として、その日、自分の生活を変えようとは思っていませんでした。与えられた環境の中で、ただひたすらに生きて行くことだけを考えていました。

しかし今や、彼ら自身全く考えていなかったことが始まろうとしているのです。

17節に「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう』と言われた。」とあります。「私について来なさい」。主イエスが新しい朝に語りかけるのは、この言葉です。「ついて行く」とは、ただわけも分からず「後ろからついて行く」ということではありません。原文を忠実に訳すならば、「来なさい、わたしの後ろに」、砕いた言い方では「おいで、私のあとに」となります。主イエスはここで、「来なさい」「おいで」と招いておられるのです。

それは、あのマタイ福音書11章28節の主イエスのお言葉、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と同じです。「わたしのもとに来なさい」と主イエスは招いておられるのです。その招きに応えて主イエスのもとに行き、主イエスの後ろについて歩んでいくのです。

よく「あの人の生き方にはついていけない」とか「あの人の考え方にはついていけない」という表現がなされます。また以前は、結婚式のときなど「夫を信じて何処までもついて行きます」などという覚悟が語られたものでした。このような表現は、ただ単に、表面的に追従することではなく、生きる営みを共にするということであることは言うまでもありません。

「私について来なさい」と主イエスが言われる時、それはイエスと共に生きる生涯への招きであり、キリストと共に人生の営みを全うすることへの呼びかけなのです。

主イエスは彼らに、「人間をとる漁師にしよう」と言われました。この言葉は直訳すると「人の漁師にしよう」であり、誤解されやすい面があります。「あなたがたは今、魚をとる漁師をしているが、魚よりも人間をとる方が尊い仕事だから、あなたがたを今よりもっと大事な働きをする人へと格上げしてあげる」という意味に理解してしまったら全くの間違いです。人間をとる漁師にするというのは、彼らが主イエスの後について行く者となることによって与えられる新しい歩み、それまでとは違う新しい人生が与えられるということです。「人間をとる」とは、主イエスが神様の独り子、救い主としてこれから成し遂げようとしている救いのみ業、それによって実現する神の国に人々を招き、人々が主イエスの救いにあずかって新しく生きることができるように導くこと、つまり伝道の働きを担う者となるということです。18節に「二人はすぐに網を捨てて従った。」、そして20節には「この二人は父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。」と実に驚くべきことが書かれています。仕事を捨て、家を捨てた人間がここに描かれているのです。

この物語を読む時、「誰が、本当に、このようなことを行えるのか」と、思ってしまうでしょう。しかも聖書には、「すぐにそうした」と記されています。

「すぐに」という言葉は先週も申し上げた通りマルコ福音書を特徴付ける言葉です。ただ、時間的速さだけで理解するのは間違いです。もちろん、主の呼びかけに対して応答を先に延ばす決断の弱さは責められなければなりません。

ここまで、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という主イエスのお言葉の意味を見てきました。主イエスは四人の漁師を静かに見つめ、このように語りかけて彼らをお招きになったのです。シモンとアンデレは「すぐに網を捨てて従った」と18節にあります。またヤコブとヨハネは「この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った」と20節にあります。

ここには二つのポイントがあります。

一つは、彼ら四人が皆、主イエスの招きを受けてすぐに従って行ったことです。もう一つは、「網を捨て、父と雇い人を舟に残して」とあるように、自分の大事なものを捨てて、また家族を離れて従ったということです。

私たちはこれを読むと不思議に思います。どうしてそんなにすぐに従って行くことができたのだろうか、また大事なものを捨てたり家族と別れたりできたのだろうか、と思うのです。マルコ福音書特有の「すぐに」ということは、あれこれ条件を確認したりせずに、ということなのです。主イエスについて行くとどうなるのか、こんな場合にはどうか、あんな時にはどうすればよいのか、などと一切質問をしていないということなのです。また、ついて行くことによってどういう酬いがあるのか、主イエスは自分に何を約束してくれるのか、という確認もしていないのです。また、ついて行くことができるように自分の状況を整えたいので、それまでもう少し待って、ということも言っていません。それらの条件を一切顧みることなく、つまりそれらのことを全て捨てて従ったのです。ですから先程二つのポイントと言いましたが実際は一つと言えます。それは「献身」という一言で言い表すことができます。

主イエスの弟子となるとは、主イエスに、そして神様に自分自身をお献げし、委ねることなのです。彼ら四人は献身したのです。そこに、彼らの人生の転換、それまでとは全く違う新しい歩みが始まったのです。

さらにこの主イエスの呼びかけは、個別性あることに注意しなければなりません。この主イエスの招きは、「そこにいる皆」とか「あなたがたの誰でも」というようなものではなく、はっきりと名指しされているのです。

20節で「彼らをお呼びになった」とは「名を呼ぶ」ということです。大勢の人々に向って語られた言葉に感動して「その中から誰かが従った」ということではなく、「この私に向けて呼びかけられた」ので、キリストの招きに従ったのです。

主イエスは私たちを、常に、一人の人格として扱って下さるのです。決して十羽ひとからげに扱うようなことはなさいません。

シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの決断を見るときに、名指しで召される主イエスの招きを、各自が個別の問題として考えなければなりません。ですから「よくも仕事を捨てられたものだ」「親を捨てることなど誰が出来るか」などと考える人たちは、既に聖書を読み違えていると言わなければなりません。仕事を捨て親を捨てたというのは、伝道者として召されたシモンたちの「この時」の応答の仕方なのです。

彼らは主イエスの召しにそのように応えたのですが、私たちの召しはシモンたちとは違います。私たちにはそれぞれ違う召しがあり、それぞれ独自な応答があるのです。それが個別性というものです。

「仕事を捨て、親を捨てた」という外面的なことに拘るのではなく、そのようなシモンたちの個別の問題の底に流れる普遍的なもの、私たちとの共通な特徴に眼を向けることが大切です。

昨日行ったことを今日もまた同じように繰り返して行くことを断ち切ることです。仕事を辞めたり、肉親の絆を切ることが必要なのではなく、それらの生活を続ける中で、無自覚に惰性的で生きることを止め、主の呼びかけに応え、キリストと共に生きる生活の中に飛び込んで行くことが大切なのです。

自分の喜びのため、自分の欲望のために生きることから、神様の喜びのために仕える人間に変わり、神様の喜びは自分のどのような生き方の中に求められているかを正しく聞き取るのです。

私たちもまた、今日の生活の中でキリストの招きを聞かなかったならば、決して新しい「神の時」である「新しい一日」を迎えることができないことを知るべきです。

主イエス・キリストはガリラヤの漁師を使徒としてお立てになりました。そして彼らは、主イエスの御言葉の前に服従したのです。その直前まで予想もしなかったこと、考えることさえなかった新しい生き方の中に飛び込んで行きました。

ここに神の召しの特徴があると言えるでしょう。自分の能力、性格、興味の対象など、人間的価値や判断はそこでは一切意味を持ちません。

「召しの相応しさ」とは、自分の姿を省みて足を止めることではなく、キリストへの信頼によって、自分の内にある日常性を乗り越えることなのです。

シモンもアンデレも、ヤコブもヨハネも、各人が持つ数々の欠点にも拘らず、使徒としての名を聖書に残しました。召された者は、その召しに応える生涯をもって、神様の選びの正しさを証すると言えるでしょう。私たちにとっての「新しい一日」とは、その神様の御業の証人としての目覚めでなければならないのです。この素晴らしい救いの恵みを未だ知らない人々に伝えていく者となっていくのです。そのみ業の前進のために必要な全ての条件は、神様ご自身が整え、与えて下さるのです。

お祈りを致しましょう。

<<< 祈  祷 >>>

時は満ちた

《賛美歌》

讃美歌225番
讃美歌497番
讃美歌6番

《聖書箇所》

旧約聖書:創世記 3章23-24節 (旧約聖書5ページ)

3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。

新約聖書:マルコによる福音書 1章9-15節 (新約聖書61ページ)

1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。
1:10 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。
1:11 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
1:12 それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。
1:13 イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
1:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

《説教》『時は満ちた』

先週の主日礼拝からマルコによる福音書を読み始めました。本日ご一緒に読む、マルコによる福音書1章9節からいよいよ、主イエス・キリストの活動が始まります。これまでのところでは、洗礼者ヨハネが主イエスの活動の備えとして人々に「悔い改めの洗礼」を宣べ伝えたことが語られました。これらのことは全て、主イエスの活動開始のための準備だったと言うことができます。それらの準備がいよいよ整って、主イエスご自身の活動が始まるのです。

先ず、1章10節には、「水の中から上がるとすぐ」と「すぐ」という言葉があります。原文では、「真っ直ぐに」という意味の言葉です。実はこの言葉は、マルコ福音書に大変よく出てくる特徴的な言葉です。この後の16節以下にも四人の漁師たちが主イエスの最初の弟子になったことが語られていきますが、その18節と20節にも「すぐに」という言葉があります。29節も「すぐに」と始まっています。42節に「たちまち」とあるのも、原文では同じ「すぐに」という言葉です。今あげた箇所は原文においてはみんな同じ言葉が使われていて、直訳すれば「そしてすぐに」という言い方になっています。

実に、1章だけで何と12回も、この言葉が使われています。この言葉は新約聖書全体では59回用いられていますが、何とその内の42回が、このマルコ福音書で用いられているのです。何と新約聖書全体の8割程がマルコ福音書に集中している言葉です。この後にもしばしばこの言葉が用いられていて、マルコ福音書は、この「すぐに」「すぐに」と、どんどん先を急ぐような語り方になっています。マルコはよっぽどせっかちな人だったんだろうなあ、などと冗談を言いたくなります。マルコがこのような書き方をしていることの意味はおいおい考えて行きたいと思いますが、先ずは、マルコ福音書に特徴的な「すぐに」という言葉がここにあることを指摘しておきたいと思います。そしてそのことは本日の箇所において見過ごしにすべきでない大切な意味を持っているのです。

この「すぐに」という言葉は、その前に語られていることと、これから語っていくことを結びつける言葉です。前に語られていることから時を移さずにすぐに、これから語ることが起った、と言っているわけです。本日の聖書箇所に語られるのは、主イエスがバプテスマのヨハネから洗礼をお受けになることでした。9節には、「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。」とあります。

「そのころ」とは、勿論、バプテスマのヨハネが活躍した紀元20年代の後半です。この時代は「ローマの平和」「パクス・ロマーナ」と呼ばれ、地中海世界は強大な軍事力を持つローマ帝国の支配下にあって大きな戦乱もなく、世界史の中でも珍しく平和な時代でした。

しかしながら、それはあくまでも世界史という大局的に見た限りでの平和であることは言うまでもありません。主イエスが活動を始められたパレスティナのユダヤ社会はローマ帝国の占領下にあり、ローマ帝国の植民地支配は巧妙であったと言われていますが、そこに搾取と圧制があり、不満が鬱積していたことは否定出来ないでしょう。

また、ユダヤ人内部においても、エルサレム神殿を中心とするユダヤ教の信仰は儀式中心の形骸化したものになり、固定化した律法主義となり、生命を失った形式的宗教に陥っていたと言えました。

このような状況の中で、ユダヤ民族主義に走った人々は、強大なローマ帝国に対し、勝つ見込みのない絶望的な戦争を起こし、エルサレム壊滅に至るのです。

先程述べましたように、後の世の人々はこの時代を「ローマの平和」と呼びましたが、ユダヤ人にとっては、預言者の声も途絶えた希望のない時代であり、明日の生活を考える余裕のない不安の時代でした。

バプテスマのヨハネはこの時代の人々に語りました。その革新的な宗教運動は、歴史の大きな激動の時代に起こった現象と言うことも出来るでしょう。バプテスマのヨハネは、この時代の流れの中に出現した希代の風雲児でした。

しかし聖書は、その時代を一方的に人間の側から見てはいません。確かに、その時代は激動と混乱の時であったとは言えますが、その不安と絶望の中にある「人間の時」は、神が目指された「救いの時」や「救いの歴史」の中に組み込まれた時だったのです。

つまり、ここで語られる「そのころ」とは、ただ漠然と「紀元一世紀の前半」などというだけのことではなく、10節で語られている「天が裂けて」という大変な出来事、つまり「神の行動の時」と考えなければなりません。人間の不安と「天が裂ける」こととの結びつき、ここに私たちは「信仰の目」の焦点を定めなければならないのです。

改めて9節を見てみましょう。主イエスはナザレの村からヨルダン川のほとりにやって来られました。聖書は何故、主の御生涯を語り始めるに当たって、このようなことから記しているのでしょうか。主の家が何処にあったのかを示すためではないでしょう。マルコ福音書は主イエスの活動初期の出来事を簡単に記すだけであり、主イエスの誕生以来の生活については何も語っていません。少年時代のエピソードや何処で何をして暮らしていたのかというようなことは、少なくともマルコにとって大切なことではありませんでした。

「ナザレから来た」とは何を表しているのでしょうか。聖書が記していないナザレにおける生活を想像することは出来ます。間違いなく、全ての人と同じように、普通の人間としての生活をなさっていた筈です。父なる神が定められた時の来るまで、誰もが行うことを主イエスもまた行って来られたことでしょう。言わば「神の子であることが完全に秘められていた時代」と言うことが出来るでしょう。誰一人として神の御子が共にいることに気づかず、また主イエスもそれを明らかにされようとはされませんでした。それが主イエスのナザレでの生活であったのです。

しかし今や、主イエスはナザレを出られました。つまり、神の御子が隠されていた時代は終わったのです。抑えられ、忍耐の時を過ごして来られた神の時代は終わりました。まさに神の決断の時でありました。独り子を十字架につけてまで人間を救おうとされる御心が、今や実行に移されたのです。

聖書は、さりげなく「イエスはガリラヤのナザレから来た」と語っていますが、これは、神が「人間の世界に大いなる力をもって介入して来られた」ことを告げているのです。不安と絶望の中で生きる人間に、救いへの道が開かれたということです。

今実現する神の救いの御業。その恵みに預かるために必要なこと。それがヨハネのバプテスマでした。ヨハネのバプテスマは、4節に記されていた通り、救いのバプテスマではなく「悔い改めのバプテスマ」でした。自分の罪を認識し、過去の自分と完全に訣別して神を迎える姿勢を整えること、それが「悔い改め」(メタノイア)ということでした。それは、「心の向きを変える」という意味と先週申し上げました。

それでは何故、主イエスはこのヨハネのバプテスマをお受けになったのでしょうか。主イエス・キリストは神の御子です。ですから、主イエス御自身には神に背いた罪はなく、整えなければならない「心の乱れ」はない筈です(ヘブライ人への手紙4章15節)。神の御子は、何故、悔い改めのバプテスマを受けられたのでしょうか。

その第一の理由は、マタイによる福音書3章15節によれば、この時「その必要はありません」と言うヨハネに対して、主イエスは、「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と答えられたと記されています。神の御業に接する者に「例外はない」ことをあえて主イエス御自身が示し、全ての人間の先頭に立たれたと言えるでしょう。

私たちにも様々な生き方があります。様々な可能性を持ち、独自の歩み方があります。しかし、全ての人間が生きる姿の中で等しく実現されなければならないこと、それが「悔い改め」なのです。自分のこれまでの生き方を見直し、人生の方向を「自分の喜び」から「神の喜び」へ向け直すのです。これまで何を見つめて生きて来たのか。これから先何を求めて生きて行こうとするのか。その全てをもう一度考え直してみるべきではないでしょうか。御言葉を聞く者にはその準備が必要なのです。

主イエスがバプテスマを受けられた第二の理由は、救いを待つ人々と等しくなるということです。

イエス・キリストの御心は、一段上からではなく、人と共に生きるという愛に基づいています。御自分は高いところにいて、「さあ、上がって来なさい」と上から手を差し伸べるのではなく、救いを求める惨めさの中に共に立って下さり、その苦しさ・悲しさを共に味わわれるのです。神の愛は、神の御子が御自身を徹底的に虚しくされ、罪の深みにおける苦しみを共に受けて下さることから始まります。

「罪なき御方が、私たち罪人と共になられた」ということは、十字架を待つまでもなく、このヨルダン川において実現しました。そしてこの瞬間、聖書は「天が裂けて、『霊』が鳩のように御自分に下って来るのを、御覧になった。」とあります。ここの「天」とは、私たちが考える「大空」や「宇宙」ではありません。私たちが生きる「地」に対する「天」であり、神が居られる場を現す聖書的表現です。

人間の不幸や悲惨の原因は、この「天」がアダムとエバの罪によって閉ざされてしまったことによると創世記は語っているのです。神に対する信頼よりも蛇の言葉を受け容れたアダムとエバの罪のために、人間は楽園から追放され、神との交わりが絶たれました。それ以来、天は人間の前に閉ざされてしまったのです。

それ故に、人間の希望とは、この「天」が再び開かれることにありました。神の御前で全ての者が集い、神の眼差しを受けて生きること、それが真実の喜びであり幸福です。その時を待ち望み、失われた神との交わりが回復されることを願って長い時代を生き抜いて来たのが、旧約聖書が示すイスラエルの歴史でした。

マルコ福音書が告げるイエス・キリストの洗礼の出来事を見る時、今や待ち望んで来た「時」、「神の時」が遂に到来したということが知らされているのです。神と人間の間を閉ざしていた扉が神の側から押し開かれ、御子キリストが父なる神の御心を完全に表す御方として遣わされ、神の御計画は実現の時を迎えました。

「天が裂けた」とは、神の信頼を裏切り、神の愛に背を向けて自ら滅びの道を行く人間の罪を赦し、真実の交わりの回復を望む神の御心を象徴的に表現しています。この神の御心により、私たちは神に向って「父よ」と呼ぶことが許され、「子よ」と呼ばれる時が来たのです。

15節で「時は満ち」と述べられています。この「時」に関し、私たちが考える以上の忍耐をもって、神はこの日を待っておられたのです。私たちの幸福は、私たち以上に神の願いでありました。ですから、この「満ちた時」は御心を実現される「神の時」であり、先週も、お話ししたように如何なる意味でも「私たちの時」ではないのです。

私たち人間は罪の中に苦しみ、罪の故に新しい苦しみを招き続けています。それでもなお、神なき世界の誤りを正しく理解できず、その悲惨から抜け出せない者です。罪の中に留まり続けてしまう者です。

「時が満ち」たとは「苦しみが終わる」ということであり、もはや神の愛が、人間の苦しみを見過ごしには出来なくなったということを示しているのです。

そして、先週もお話しした、人間の孤独を象徴する荒れ野、サタンの誘惑にさらされる人生を象徴する荒れ野。その荒れ野すら、今やサタンが働く場ではなくなり、神の御子が御霊と共に住まう場になっているとマルコ福音書は12節以下の「荒れ野での40日間のサタンの誘惑」に記しています。

主イエスのガリラヤ伝道の開始に当たり、マルコ福音書は先ずこの決定的な「時の変化」を告げているのです。

私たちは今、どのような時の中に置かれているのでしょうか。どのような場に生きているのでしょうか。

「神の国は近づいた」と宣言されているのです。それは、神御自身によって、私たちの前に今差し出されているのです。

「時は満ちた」。その「満ちた時」とは、私たちのために用意された「神の時」です。この神の時の前にあって、私たちが「時の外」に生きることはあり得ません。神の愛が私たちの滅びを赦されないからです。

その「時」の中で、私たちの周りの大切な人々が滅びないよう、家族をはじめ私たちの近くに居る大切な人たちに「神の救いの御言葉」を伝えて行く者でありたいと望みます。

お祈りを致しましょう。

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荒野の叫び

《賛美歌》

讃美歌66番
讃美歌218番
讃美歌338番

《聖書箇所》

旧約聖書:マラキ書 3章1節 (旧約聖書1,499ページ)

3:1 見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は/突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者/見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。

新約聖書:マルコによる福音書 1章1節~8節 (新約聖書61ページ)

1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。
1:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、
1:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
1:5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
1:6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
1:7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
1:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

《説教》『荒野の叫び』

プロテスタント教会は説教を大切にし、聖書だけを語り、語る者の個人的な話やその時代の時事報道的な、所謂「混ぜ物をしない説教」を語ります。その説教も聖書の取り扱い方法で分類すると、注解書的説教、テキスト説教、講解説教、トピック説教などに分けられます。もっと分かり易く説教方法を分けると、何か一つの主題を論じる「主題説教」と、聖書の説き明かしに主眼を置く「講解説教」の2種類に分けるのが一般的です。この講解説教とは、字に書くと「講演会」の「講」に、解き明かすの「解く」と読む「解答」の「解」をあわせて「講解説教」と呼び、聖書の解き明かしを指します。この講解説教を聖書の始めから連続で進めるのが「連続講解説教」です。今日からは、この「連続講解説教」をしていきます。勿論、イースターやクリスマスなどは、関係する聖書箇所から説教させて頂きますが、基本的には「マルコによる福音書1章1節」から連続して講解説教をさせて頂きます。福音書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書があり、その約3分の1にも及ぶ頁が主イエスの生涯の最後の1週間、受難と復活の出来事に割かれていることから、福音書の中心点がどこにおかれているかは歴然としています。主イエスにおいて神様がこの世に下り、罪深い世の救いのために十字架上で死んで、よみがえり、神の聖と義と愛とをあかしされました。この喜びを告げ知らせ、それを信じて救われる者が起されることを願って、これら四福音書は書かれました。その四つの福音書で最も古く、他の福音書記述の元ともなったと言われる「マルコによる福音書」から連続講解説教を始めたいと思います。

私たちは主イエス・キリストに出会うために聖書を読みます。聖書の読み方にもいろいろありますが、少なくとも、キリスト者は聖書を通して、この世に来られた神の御子イエス・キリストと出会うことに、最も大切な意味を認めます。

主イエス・キリストについて最も詳しく、また具体的に語るのは言うまでもなく福音書です。私たちは福音書を通してキリストのお姿を知るのですが、しかしその際、必ず、バプテスマのヨハネという人物に出会わなければなりません。それぞれ異なる立場と特色を持って書かれた四つの福音書が共通してイエス・キリストに先立って示すのが、バプテスマのヨハネです。

バプテスマのヨハネに関して、それぞれの福音書を比較してみますと、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという四つの福音書は、バプテスマのヨハネ出現以前のところではそれぞれ違った物語を記しています。主イエスの誕生のクリスマス物語を見てもそれぞれ福音書ごとに違います。しかしながら、バプテスマのヨハネに関しては、殆ど一致しています。丁度、この礼拝堂に入るために、そこの入口を通らなければならないように、バプテスマのヨハネを通らなければ主イエス・キリストとの出会いが不可能であるかのように、描かれているのです。

聖書は、「バプテスマのヨハネを通らなければ主イエス・キリストに出会うことは出来ない」と語っているのです。私たちも聖書が示すこの道筋を通らなければなりません。マルコによる福音書1章2節から4節には、「預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」とあります。

ここに引用されている旧約の御言葉から、バプテスマのヨハネが、主イエス・キリストの露払い、先触れとして現れたことは明らかです。来るべき神の御子の活動に先立って、バプテスマのヨハネは父なる神の御旨を受けて先触れをしたのですが、それではいったい、ヨハネは何を告げようとしたのでしょうか。聖書がヨハネにおいて注意を促しているのは何でしょうか。

その、バプテスマのヨハネが告げようとした第一は「時」への目覚めです。2節に預言者イザヤの書に書かれているとありますが、これはマラキ書3章1節に書かれていることであり、3節だけがイザヤ書40章3節の言葉です。おそらく、メシアに関する聖句としてこの二つは結び付けられたのではないかとも言われています。

マラキ書3章1節は「神の支配と裁きを軽んじる者に対する警告」です。ですから、「遣わされた使者」とは罪を裁くための使者であり、終末の日の到来に先立ち、神の使者が裁きを告げるために送られて来るとマラキ書では語られています。その使者は預言者エリヤであり、エリヤの警告に従わなければ恐るべき日となり、「終末の日に生き残る者はない」と述べられているのです。バプテスマのヨハネがこのエリヤの姿を映し、重なっていることは明らかでしょう。神の裁きが近づく恐るべき終末の日・決定的なその日のために、救いに向けて選ばれた人々を目覚めさせる言葉なのです。

私たちは「生きる」ということを真剣に考えます。「人間、如何に生きるか」ということは、何時の時代、またどんな人でも変わりなく抱く問題でしょう。その誰もが考える「生きる」という問題を、何処に焦点を定めて考えているか、それが改めて問われなければなりません゜

その日の自分の生活だけを考える人もあるでしょう。自分の子供たちの将来のために努力を傾ける人もいるでしょう。自分自身の力の限界を確かめようとする生き方もあるでしょう。様々な生き方があります。しかしながら、その「生きる時」を「自分の時」だけに限定してよいのでしょうか。誕生から死にいたる一生涯。その生命のある間だけの生活。誕生と死の間に挟まれた人生は、果たして「自分だけの時間」と言えるでしょうか。

誰でも「死」が思いがけない時にやって来ることを知っています。そしてその死が訪れる時までを「自分の時」であると思っています。紀元前三世紀のギリシアの哲学者エピクロスは「私が生きている時に死はない。私が死んだ時は私はいない。だから、私にとって、死はない」と言いました。この哲学者にとって、自分の存在が全てであり、誕生と死の間に挟まれた生涯・生命の日々を「自分の時」として考えているのです。そして「自分の時」即ち人生を、自分だけが自由にすることの出来る「自分の独占物」であると思っています。これは現代でも最も一般的な考え方ではないでしょうか。

このような考え方に対して聖書は、私たちの時は「神の時」に組み込まれているということを告げています。私たちの肉体が生きているか死んでいるかに拘わらず、「神が定め給うた時の中に置かれている」ということ。そしてその「神の時」とは、「神の義が貫かれる時」なのだということなのです。

神は正しい義なる方です。悪を断じて赦すことのない徹底的に義なる方であり、人間の罪と悪は、絶対の主権を持たれる神の御前で裁かれずにはいられません。ですから、今、神の主権の下に置かれているということは、神の正義と直面して生きるということであり、神の裁きが、「今」という「神の時」の中で迫っているということを知らなければなりません。この緊迫した「神の時への目覚め」、それが主に出会う者に必要なのです。

ヨハネが告げようとした第二は、荒れ野に生きることの自覚です。ヨハネは荒れ野に現れたと記されています。荒れ野(エレーモス)とは、元来、「水のないところ」という意味です。私たちの日本にも荒れ野は沢山あります。狭い国土から見ればもったいないことですが、農地にしようと思っても出来ない荒地があります。しかしそれは、土壌が火山灰などを含んでいるため植物の成育がよくないということであり、降水量は十分あり木や草も生えています。作物は豊かに育たないかもしれませんが、生命のある世界に変わりはありません。

これに対してユダヤの地はまったく違います。水がないのです。水がなければ生命もありません。地中海側は比較的水に恵まれていますが、中央山地から東、ヨルダン渓谷に至る間はまさに荒涼とした荒れ野です。雨季に降る雨はそのまま流れ去ってしまい、水を地面に留める植物が育ちません。雨季の後、小さな草が生え出ても、ひとたび砂漠からのハムシーンと呼ばれる東風が吹けば、その熱風のために全ては瞬時に枯れ果ててしまいます。生命の存在を拒む世界、それが聖書で語られる荒れ野であり、ヨハネはその荒れ野で叫んでいたのです。

ヨハネは暖かい部屋や美しい森の中で神の御言葉を語ったのではなく、厳しい自然、荒涼たる荒れ野の中で、御子を迎える備えを語りました。そしてこの荒れ野こそ「私たちが生きている世界である」と聖書は教えているのです。砂漠でも花は咲きます。荒れ野に咲く小さな花を見るように、私たちもまた、この世で幾つかの小さな花を見つけることは出来るでしょう。しかし、せっかく見い出した幸福、心の安らぎは果たして何時まで続くのでしょうか。砂漠からの熱風によって枯れる荒れ野の草のように、うつろいやすく、儚いものでしかないと認めざるを得ないでしょう。

さらにまた、荒れ野とは身を隠す場所のないところです。ただ一人の自分が、自分だけの力で立たなければならないところです。それどころか、自分ひとりでは生きて行けないことを思い知らされる場でもあります。私たちは、日常的に見出すことの出来る様々な生き甲斐や、仕事、育児、娯楽に囲まれています。それらは確かに自分の弱さや惨めさを一時忘れさせてくれることに役立ちます。「あらゆることは気晴らしである」とパスカルが言うとおり、私たちはこの世の生活の中で、自分の本当の姿を覆い隠すためのものを次から次に作り出していきます。

しかし、神の御前に立ち、キリストと出会う者は、ただ一人、裸で立たなければなりません。神の御前において神の裁きに直面する時、自分を守ったり飾ったりするようなものは何一つないことを知らなければなりません。隠れるところは何処にもないのです。ただ一人で、絶対の正義を貫かれる神の御前に立つ厳しさ、これが荒れ野に生きることの自覚であり、キリストに出会う人間の避けることの出来ない宿命なのです。

ヨハネが告げようとした第三は、悔い改めの勧告を聞くことです。4節には「罪の赦しを得させるためのバプテスマ」と記されていますが、正確には「罪の赦しへ向わせる」と言うべきでしょう。罪の赦しは主イエス・キリストの十字架と復活によって与えられるものであり、神の独り子だけに可能な御業です。それゆえに、ヨハネが行ったのは「主イエス・キリストを迎えるための備えのバプテスマ」と呼ぶべきでしょう。そしてそれは悔い改めのバプテスマでした。ヨハネのバプテスマは、悔い改めを言葉だけではなく全身で表し、自分の罪を神の御前に承認することでありました。

悔い改めをギリシア語では「メタノイア」と言います。それは、「心の向きを変える」という意味です。私たちの社会で一般に言われる悔い改めとは「ああ悪かった」ということであり、口ではそう言いながら、心の向きは少しも変わっていないことが多いのではないでしょうか。「悪かった」とは「一つの行為の失敗」の表明でしかありません。刑務所に何回も出入りしている人々は、この「悪かった」を際限なく繰り返しているのです。何故、その失敗が起こったのかということを考えなければ、根本的な解決には決して結びつきません。真剣に問わなければならないのは、「悪かった」ひとつひとつの行為の反省ではなく、間違った方向に向って歩き続けた結果です。その間違った方向を転換しなければならないのです。しかも、それは私たちの「一度限りの人生」では人生の終点に着いてからでは間に合いません。「心の向きを変える」その方向が、主なる神が祝福してくださる方向へ向っていなければ何にもならないのです。人生の終点では、やり直しは効きません。過去へ戻ることは出来ないのです。

ヨハネは、人々を荒れ野に集め、荒れ野の厳しさの中で叫ぶことによって、安易な生活に溺れた人々の目を覚まさせ、滅びへ向う人生の歩みを止めさせました。5節には、「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。」とあります。

ヨハネは、それぞれの家、自分たちの町で慣れ親しんだ生活を過ごしている人々のところへ出かけたのではありません。むしろ、人々がこれまでの自分の生活を断ち切り、それらに背を向けることを要求しました。ですから、彼らは住み慣れた快適な村や町の日常生活の流れを止め、わざわざ苛酷な熱気と乾燥の世界へ出掛けて来たのです。ヨルダン渓谷に至るユダの荒れ野に好んで出かける人はいないでしょう。耐えられない暑さと極度に達した乾燥の世界です。

これこそヨハネが果たした最も重要な意味あることでした。御子イエス・キリストを迎える者は、この世の快適さに背を向け、荒野に出て行き、「神の時」の中で生きることの厳しさを知らなければなりません。荒野に生きることを自覚した者だけが、かつて主なる神が預言者を通して語った約束を聞き、その実現に目を向けるのです。ヨハネのその呼びかけを旧約聖書1,124ページ イザヤ書6節から8節に見ることが出来ます。お読み致します。

呼びかけよ、と声は言う。
わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。
肉なる者は皆、草に等しい。
永らえても、すべては野の花のようなもの。
草は枯れ、花はしぼむ。
主の風が吹きつけたのだ。
この民は草に等しい。
草は枯れ、花はしぼむが
わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。      (イザヤ書 40章6節~8節)

今、ここに、人間の力ではなく、人間の努力によってでもなく、一切の人間的可能性を超えた神の大いなる御業が始まるのです。コンコンと湧き出る泉の素晴らしさは、荒れ野に生きる者だけが知っています。この世の惑わしから解き放たれ、神のみを見つめて「心の向きを変えた者」の信仰の耳に、サマリアの町シカルにあったヤコブの井戸端でサマリアの女に語られた主イエスの御言葉が聞こえてくるでしょう。新約聖書169ページ ヨハネによる福音書4章14節、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」との主イエスの御言葉です。

この主イエス・キリストの御言葉を真実の喜びの言葉として聞くために、ヨハネは今、私たちに「荒れ野へ出よ」と告げているのです。神の御子は、この世におけるあらゆる可能性を投げ捨てた者の心にこそ、正しく迎えられるでしょう。御子を迎えるに相応しい姿を整えること、それが私たちの課題であります。

お祈りを致します。

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