弟子たる者

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌326番
讃美歌352番
讃美歌225番

《聖書箇所》

旧約聖書:詩篇 41篇2節 (旧約聖書874ページ)

41:2 いかに幸いなことでしょう
弱いものに思いやりのある人は。
災いのふりかかるとき
主はその人を逃れさせてくださいます。

新約聖書:マルコによる福音書 3章13-19節 (新約聖書65ページ)

3:13 イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。
3:14 そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、
3:15 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。
3:16 こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。
3:17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。
3:18 アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
3:19 それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。

《説教》『弟子たる者』

今日の聖書箇所は、主イエスが十二人の人々を選び出し使徒に任命する物語です。彼らは、主イエスに最も近く仕え、親しく教えを受け、驚くべき御業の数々に立会い、教会の基礎を築きました。

しかし、主イエスにはもっと沢山の弟子たちがいたのです。前回読んだ7節以下には、おびただしい群衆が主イエスに従って来たことが語られていました。本日の聖書箇所に語られているのは、その多くの弟子たち、従って来た人々の中から、「使徒」と呼ばれる特別な弟子たち十二人が主イエスによって選ばれ、任命されたのです。

主イエスがこの十二人を選び出した目的として語られていること、「彼らを自分のそばに置くため、また派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるため」というのは、まさに使徒たちの働きの内容です。「使徒」とは「派遣された者」という意味です。主イエスによって派遣され、主イエスの使者としての役目を果すのが使徒です。十二人の弟子たちがそういう務めへと任命されたのです。

しかしながら、そのように重要な人々であるということを意識して聖書を読んで行くと、奇妙なことに気づきます。何故なら、この十二人の弟子たちが大変有名であるにも拘らず、聖書は彼らについて極めて簡単にしか記していません。実際に、どのような生涯を送ったのかといったことについても、聖書は殆ど何も書き残してはいません。更に、この十二人が、教会の歴史の先頭に立つに相応しい人物であるとも語ってはいません。

十二使徒の中でも、最も有名なのはケファとも呼ばれたシモン・ペトロです。使徒に選ばれる前はガリラヤ湖の漁師でした。妻子もあり、弟子の筆頭として、福音書には多くのエピソードも記されていますが、彼の生涯の後半で聖書に登場するのは、使徒言行録12章17節に「そこを出てほかの所へ行った」と曖昧に書かれているだけで、それから先は、辛うじて使徒言行録15章のエルサレム会議に姿を見せるだけで、あとは分かりません。これ以前の彼の様々な行動については、聖書に多く記され、皆さんもよくご存知でしょう。

ゼベダイの子ヨハネも漁師でした。若者であり、十字架にまで付き添った唯一の弟子であり、常に主イエスの傍らにいたのですが、「そこにいた」というだけで、殆どの場合、彼自身は何も発言していません。

ゼベダイの子ヤコブは彼の兄と思われますが、漁師であるということ以外、「雷の子」という気短なあだ名が紹介されているだけで、発言は僅か二回、まともなことは語っていません。

アンデレはペトロの弟とされていますが、ヨハネ福音書でペトロを主イエスに紹介したとだけ記されています。

フィリポも漁師ですが、彼もヨハネ福音書以外姿を見せません。

バルトロマイについては何も分からず、マタイは徴税人であると言う以外何も分かりません。マタイ福音書の著者という説も確認されていません。

トマスは主イエスの甦りが信じられなかったという消極的エピソード以外不明です。

アルフアイの子ヤコブとタダイは名前のみです。

熱心党のシモンも政治結社である熱心党員であるか不明です。

裏切りで有名なイスカリオテのユダでさえ、ナルドの香油物語での発言のほかは、祭司長への密告事件以外、何も記されていません。

ヨハネ福音書を除くと、ペトロ、ヨハネ以外、殆どの人物については、些細なエピソードを除いて何も語られていないのです。これらのことから聖書は、十二人を決して特別扱いしてはいないと言えます。彼らは平凡な人間の集まりであり、人々から尊敬され重んじられていたわけでもなく、もちろん、学問的に優れている者でもありません。むしろ、粗野なガリラヤ湖の漁師たち、人々から嫌われていた徴税人、ローマ帝国に対する憎しみを暴力によって抵抗しようとしている熱心党員、そして最後には主イエスを裏切る「心・弱い人々」であり、要するに、何処にでもいる庶民の集まりに過ぎませんでした。

このような人々を見る時、とても「神の使徒」として選ばれるような必然性は何一つ見出せません。もし、主イエスが彼らを呼び出し、「使徒」という名をお与えにならなかったなら、誰一人として指導者になり得なかったでしょう。この選びが、何故、神の御業の新しい段階と言えるのでしょうか。

この使徒たちの選びの場面を見て、「これが教会の原型・ひな型であった」と言う人もいます。「教会」とは「召された人間の集まり」を指すからです。「教会」(エクレシア)とは、「呼び出す」という動詞から出来たものであり、「呼び出された者の集まり」という意味です。決して、同じ考えの人々が集まった団体というものではなく、目的を同じくする者の集団でもありません。キリストに選ばれ、キリストに召し出され、特別に集められた者のことを聖書はエクレシアと呼んだのであり、それを「教会」と訳しているのです。

「私たちの教会・エクレシア」は、私たちを呼び出された主イエス・キリストの意志・御心が全てなのです。

このように、キリストの召しを受けた全ての人間の原点が、本日の御言葉に示されていると言えるでしょう。そしてこの意味を十分に理解するとき、聖書が語る重要な点が、十二人の名前にではなく、個性にでもなく、「彼らがどのように選ばれ、何をなすべく立てられたのか」という点にあることが分かるのです。

先ず13節から、「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。」とあります。

十二使徒の任命は、山の上でなされたのです。その選びが「山の上」でなされたということは、何を意味するのでしょうか。ルカによる福音書の並行箇所、6章12節以下を読みますと、主イエスは山に登って、一晩祈り明かされたことが語られています。山は、主イエスの祈りの場所なのです。主イエスが徹夜の祈りをなさった上で、十二使徒を選び出されたことを強調しています。マルコ福音書は、ただ「山に登って」とだけ語っていますが、やはり主イエスの祈りを暗示していると言ってよいでしょう。使徒たちの任命の根本には主イエスの祈りがあると言えるのです。

同じく13節に、「これと思う人々を呼び寄せた」と記されていますが、これは文語訳や口語訳のように「御心に適った者」と訳すべきでしょう。つまり、神に召された者とは、神の御心に適った者であるのです。これは驚くべきことです。何故なら、私たちは誰でも正直に自分の姿を見詰めるならば、到底神の御心に適うような者ではないということを告白せざるを得ません。

そして続いて、十二人を「任命し」と訳されていますが、この「任命する」とは原文では「造る」という言葉です。直訳すれば「十二人を造った」となるのです。このことは私たちが心に刻みつけておくべきことです。「任命する」には、「君➁はこの任務を果す能力と資格があると認められるから、この務めに任命する」というニュアンスがあります。そしてそのように任命された者は、上司が自分を評価してくれたことに感謝して、その期待に応えるように頑張るのです。しかしこの「造った」という言葉は違います。主イエスが十二人の使徒たちを「造った」のです。主イエスご自身が彼らを「使徒」として造り出したのです。彼らが与えられた使命、神の国の福音を宣べ伝える力も、悪霊を追い出す権能も、全て主イエスによって与えられたもの、主イエスが彼らの中に造り上げたものなのです。使徒たち十二人は、ここで主イエスによって新しい者として造られたのです。十二人の使徒の任命とはそういう出来事だったのです。

キリスト者としての私たちの存在は、「キリストが私たちを愛し、選び出して下さった」ということ、ただそれのみに起源を持ち、私たちがキリスト者であり続けるということは、このキリストの愛への生涯をかけた応答なのです。

人間の価値は愛に対する応答で決まります。愛を無視したり、忘れたりする者は、自らの価値を低めるもの以外の何ものでもないと言えるでしょう。神様からのただ恵みによって愛の中に招かれた者は、その無償の愛に応えることに生き甲斐を見出すものです。

続く、14節から、「彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせためであった。」とあります。彼らの使命は、主イエスの使者として派遣され、神の国の福音を宣教することとその神の国、神様のご支配の印として、悪霊を追い出す業を行うことです。けれどもここには、それに先立ってもう一つのことが、使徒が立てられた目的として語られています。それは「彼らを自分のそばに置くため」ということです。使徒たちは、遣わされてあちこちへと出かけて行く前に、先ず、主イエスのそばに置かれたのです。主イエスの傍らに常におり、主イエスのみ言葉を間近で聞き、主イエスのなさる癒しのみ業、悪霊追放のみ業を目の前で見たのです。彼らの使徒としての働きはそこから始まったのです。主イエスが弟子たちを引き連れてガリラヤ中を宣教し、悪霊を追い出されたと語られていたのも、彼らをご自分のそばに置いて、主イエスご自身の宣教の言葉を聞かせ、悪霊追放のみ業を見せるためだったのです。そのような準備期間を経て、実際に彼らが宣教へと派遣されて行ったのです。

神の愛は、愛する者に新しい生き方を用意しているのです。

よく「生き甲斐とは何か」「人間らしく生きるとはどういうことか」と問われます。聖書が示す答えはただ一つです。それは「キリストの愛の中を生きる」ということです。何故なら、キリストは私たちに働く場を特別に用意して下さっており、その働く場において、私たちは御心に応える自分の姿を発見することが出来るからです。

キリストの召しとは、全ての召した者にそれぞれ固有の使命を与えられるのです。全ての者が、どのような時にも同じことを行うのではなく、それぞれが置かれた場で個性を活かし、その時と場に相応しい働く場を与えられるのです。

ここで弟子たちに与えられた使命とは何でしょうか。「宣教」とは神の国の到来を伝えることです。「悪霊を追い出す」とは神のご支配の確かさの告知であり、神の国は現実にここにあるということの証明です。

これらは、もともとキリストの御業でありました。主イエスが初めて明らかにされたことでした。とするならば、選ばれた者に与えられた「権能」とは、「キリストの御業を、キリストに代わって、この世で行うことが許された」ということです、k。つまり、「~せよ」と言われ、「その命令に服従することが求められている」ということではなく、この素晴しい務めを「私の代わりに行うことを許す」という、新しい人生の可能性の宣言として受け取ることが出来るのです。

この時、主イエスは彼らを「使徒」と名付けられました。「使徒」(アポストロス)とは、本来、「遣わされた者」という意味であり、遣わした方の権威を代行する者のことです。古代では国家の権威を代表して海外へ赴く艦隊の司令官などを表し、現代的な意味では「大使」「外交官」を意味すると言えるでしょう。

つまり、「選ばれた」「愛された」ということは、感情的な問題ではなく、キリストの代理として立てられたのであり、神の権威を表す者として生きることを、公式に認められたということなのです。

そしてこれが、現在、私たちが受けている使命です。たとえ私たちが、各地を巡ったペトロたちのような伝道者ではないとしても、キリストの権威を現す者、神の国の外交官として、「特別な務めを負っている」ということに変わりはありません。

私たちは、この使命を日々の生活の中で如何に果たしているでしょうか。「何を行っているか」ということではなく、日々の生きる姿によって「何を表しているか」ということが大切なのです。

私たちにはそれぞれ生活があります。しかし、その生活は「私の生活」ではなく、「神の国を表す生活」なのです。

私たちが、日々の生活の中で、キリストと共に生きるならば、共に生きる喜びを表すならば、それこそ、神の国に生きる人間の姿として、世の人々への証しとなるでしょう。

主に召され、神の聖なる選びの中に置かれた時、私たちは、もはや、つまらない人間ではなく、キリストによって立てられた「神の国の大使」として、この世を生きているのです。

神の国に生きる私たちの姿が、私たちのごく近くで共に生きている家族などの親しい人々に自然に伝わっていくのが私たちの伝道です。この素晴らしいキリストの救いを自分自身の生きる姿で伝えて行けますようお祈りを致します。

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主の山に備えあり

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌23番
讃美歌338番
讃美歌512番

《聖書箇所》

旧約聖書:創世記 22章1-19節 (旧約聖書31ページ)

22:1 これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、
22:2 神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
22:3 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
22:4 三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、
22:5 アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
22:6 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
22:7 イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
22:8 アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
22:9 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
22:10 そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
22:11 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、
22:12 御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
22:13 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
22:14 アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
22:15 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。
22:16 御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、
22:17 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。
22:18 地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
22:19 アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。

《説教》『主の山に備えあり』

本日の物語は、大変有名な聖書箇所です。旧約聖書で最も難解な箇所の一つとも言われてきました。この物語は謎に満ち、私たちを戸惑わせ、混乱させます。この箇所の説教で、ある牧師は、「私はアブラハムのようには出来ません」という結論で説教を結び、聴衆を唖然とさせたそうです。

この物語は、私たちに何を告げようとしているのでしょうか。確かに、ここに記されているのは、神様のご命令で父アブラハムが息子イサクを殺そうとする場面です。次々と疑問が溢れてきます。なぜ神様はアブラハムに息子イサクを捧げることを求めたのでしょうか。なぜアブラハムは、この神様の求めに素直に従ったのでしょうか。イサクは薪の上に載せられるとき、なぜ逃げなかったのでしょうか。アブラハムは本当に神様が子羊を備えてくださると信じていたのでしょうか。

イサクは、アブラハム100歳、妻のサラ99歳の時に授かった奇跡の一人息子です。彼は、アブラハム召命以来の使命を全うすべき約束の子でした。この頃はもう薪を背負って行ける年頃になっていたようです。

モリヤの山は、後のエルサレム神殿の丘と言われていますので、アブラハムの住んでいたベエル・シェバから直線で約80キロ、「三日の距離」(4)でした。「焼き尽くす献げ物」とは「燔祭」のことであり、犠牲の動物を焼き、その香りを天に届かせる古代世界共通の礼拝形式です。分かり易く言えば、主なる神は、約束の子イサクを「焼き殺せ」と命じられたのです。

アブラハムは神様のご命令を受け止め、イサクを献げるためにモリヤまで旅をし、山上で殺す直前、身代わりの雄羊によりイサクの命が救われました。これが本日の物語です。

これはとても恐ろしい物語であり、しかも目的が「アブラハムへの試み」と記されていることから、信仰のテストとして受け止める時、耐えがたい恐怖をもたらすと言うべきです。

私たちは、聖書を読む時、登場する人物に自分たちを重ね合わせて読むことが多いのではないでしょうか。しかし、この物語は、アブラハムに自分を重ねても、イサクに自分を重ねても、いよいよ混乱するだけです。我が子を神様への捧げものとして自分の手で殺すことなど、想像するだけてゾッとします。逆に自分が父親に殺されることなど考えることもできません。最初にお話しした牧師は、自分とアブラハムを重ね合わせ、混乱し、この聖書の箇所からきちんとメッセージを受け取ることが出来なかったのでしよう。

しかし、聖書を読む時、もう一つ大切な方法があります。それは、聖書をキリストを指し示しているものとして読むことです。聖書の謎をイエス様の十字架の出来事という最も深遠なる謎と重ね合わせる時、私たちは初めてその謎を解く入り口に立つことか出来るのです。

この物語はアブラハムの人生の最後を飾るものです。この出来事以後、聖書ではアブラハムは背後に退き、イサク物語に移って行きます。それでこの物語は、アブラハムの生涯の総決算であり、アブラハム物語の頂点とも言われるのです。

物語は「神はアブラハムを試された」と始まります。神の御前に立つ者が避けることの出来ない神の御業が、ここから始まるのです。

神様の呼びかけに対し、アブラハムは「はい」と答えました。この「はい」との言葉は11節でも繰り返されており、ヘブライ語で「ヒンネーニー」です。これは少年サムエルが、初めて神に呼ばれた時の応答の言葉でもあります。原語では「このわたしを見よ」ということですが、実際には、私たちの聖書のように、「はい」と訳すことが出来ます。しかし多くの学者たちは、この箇所におけるアブラハムの姿勢を重視し、敢えて「私はここにおります」と訳しています(フォンラート、ヴェスターマン、関根正雄他)。口語訳聖書もこの立場を取っていました。

「アブラハムよ」と、主なる神から個別に呼びかけられた人間が、御前に自分を明らかにし、自分の存在のすべてを賭けて御言葉に応えようとしているのです。人格のすべてを賭けた応答、それがこの「ヒンネーニー」という言葉に込められています。そしてアブラハムは、本日の物語の中で、神様に対して、この「ヒンネーニー」の一言以外、まったく口にしません。

神の御言葉、「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」(2)は大変厳しいものでした。「あなたの息子」「あなたの愛する独り子」「イサク」。この三通りに語られた言葉は、献げられるものの大切さを強調しています。アブラハムにとって、イサクは特別な存在でした。アブラハムは、「すべての人の祝福の源となる」という主なる神の約束を受けて旅立って来ました。主の御言葉を信じた彼は、それまでの生活、過去のすべてを捨てました。そして、年老いた日に奇跡的に与えられたイサクは、その約束の「しるし」でありました。何故なら、「すべての人の祝福の源となる」ということは、子供があって初めて可能なことであり、イサクの存在は、彼の生涯の過去及び未来のすべてを意味づけるものであったからです。

ですから、イサクを犠牲にして献げるということ、「殺す」ということは、可愛い子供を失うということにとどまらず、これまで過ごして来た人生のすべての意味を失うことでした。

ヨブ記1章21節に「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」というヨブの告白があります。イサクが、主なる神御自身による、人間の可能性を越えた奇跡的誕生をしたことを考えれば、その通りでしょう。まさしく「主は与え、主は奪う」ということです。しかし、親と子という人の情を考えれば、そのような理屈は受け入れ難いものがあります。この時のアブラハムの心情について聖書は何も記していません。ただ、人間としての苦しみに必死に耐えたであろう、ということは想像に難くありません。

「主は与え、主は奪う」という原理は分かっていても、「どうせ奪うなら、初めから与えられなければよかったのに」という気持ちがわいて来るのではないでしょうか。おおよそ、すべての人間はやがて失う命を生きているに過ぎないのですが、それでも、その死を迎える時期については不満を言うのです。私たちの予想を超えた死に対する怒りであり、「時」を定められる神に対する不満となるのです。死を見つめることは、まさに厳しい限界状況に直面することです。

そのような苦しみ、悲しみを越えて、なお、アブラハムが「向かって行った」ということに注目しなければなりません。壮絶な葛藤があったでしょう。なぜこのような運命に耐えなければならないのか、という疑問が生じたことでしょう。御心を尋ねて見たいという思いもあったでしょう。

アブラハムは危険な荷物は自分で背負い、イサクにはただ薪だけを背負わせました。アブラハムは万感の思いを持って、イサクと共に二人だけで山に登りました。

この時のイサクの質問、「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」との問いかけは何を意味しているのでしょうか。アブラハムの答え、「焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」とは、極めて恐ろしい言葉です。

もし、神御自身が犠牲の小羊を用意してくださるであろう、という希望を持ってここまで来たのでしたら、アブラハムは、本当は、イサクを殺す決断をしていなかったのであり、神の御言葉に服従するためにここまで来たのではないと言わなければならないでしょう。

また、もし、これがあきらめの言葉であったならば、そこにあるのは、「どうにもならない」という虚しさだけであり、これほど信仰から遠いものはないでしょう。

それでは、アブラハムは、イサクの問いに対して何を答えているのでしょうか。何も答えていないのです。彼には分からないのです。それ故に、アブラハムの言葉は曖昧であり、どう答えてよいのか分からない苦しさの籠もるものでした。

ただ、彼は「きっと、神が…」と語りました。確かに、分らないことばかりであり、誰にも説明出来ない命令の中に置かれていたのです。イサクに語れることは、それが神の命じられた「神の御心」であるということだけでした。そして、「神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。」(9-10)とあります。抵抗する様子もなく縛られ薪の上に寝かされたイサク。まさに、恐るべき瞬間です。

アブラハムは、この試練に耐え得る特別に強い人間であったのでしょうか。彼の生涯を振り返る時、それと正反対な人間であったことを知らされるでしょう。自分の安全のために妻サラを見捨てた弱さ。甥のロトを救うために神に何度も執り成しをした優しさ。そのアブラハムが、なぜ、このような決断をなし得たのでしょうか。

この物語が、信仰の英雄アブラハムの物語ではなく、神の物語であるということを改めて考えなければなりません。人間がぎりぎりまで追い込まれた限界状況の中で神が何をされるのかということです。甘い期待ではなく、自分の尊厳のすべてと、命を委ねた決断の中で、信仰の本質があぶり出されるのです。

このギリギリの場面で、イサクに代えて、「木の茂みに角をとられていた一匹の雄羊」(13)が与えられ、主なる神は、「あなたが神を畏れる者であることが、今、分かった」と言われました。すべてをご存知の主なる神が今まで分からなかったのでしょうか。ここで改めて、この物語の冒頭1節に記されている「試み」ということが問われます。これは、神の信仰テストに合格した、ということなのでしょうか。

ここで明らかになったのは、アブラハムの服従の信仰であり、信仰とは命がけのものである、ということです。

しかし、アブラハムの信仰深さを知るために神はこのような厳しいテストをされたのでしょうか。これはテストではありません。すべてを御存知である神が、敢えてなさったことであり、それがアブラハム自身のためであった、ということなのです。

パウロは、フィリピの信徒への手紙4章19節で、「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」と記しています。私たちが何かをしようと思う時、何かをしなければならない時、その時すでに、神は私たちの決断に先立って働いておられるのです。ということは、アブラハムの決断は、彼の超人的な精神的努力の結果ではなく、彼の卓越した信仰によるものでもなく、主なる神が働きかけ、主なる神御自身が導いたものに他ならない、と言うべきでしょう。

1節の「神はアブラハムを試された」とは、この命令が、彼に可能かどうかを試すテストではなく、アブラハムに「出来る」ということを教える「訓練」であったのです。「主の山に、備えあり(イエラエ)」(14)とは、神の試みと、それに対する「備え」です。試みとは、信仰に生きる者に、神と共に生きる素晴らしさを教え、神の顧みの豊かさを教える恩寵の手段であり、その喜びに生きる信仰の奇跡なのです。

「試み」は「神の備え」があって、初めて意味を持ちます。主は、これだけの備えをした上で、アブラハムを信仰の試練の中で鍛えられたのです。

コリントの信徒への手紙一 10章13節に、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」とあります。

父なる神は、私たちを信仰の豊かさに導き、神と共に生きる世界を実現するために、独り子なる神を十字架に付けられました。アブラハムのために雄羊が用意されていたように、私たちのためには、御子キリストが備えられたのです。

神と共に生きる喜びとは何でしょうか。それは、あなたの罪は赦されたという宣言を聞くことに始まり、神と共に永遠を生きる望みを受けることです。主なる神は、その喜びに私たちを導くために、御子を身代わりの犠牲としてゴルゴタの丘に備えられたのです。

この物語全体を通じて、アブラハムは、ヒンネーニー「私はここにおります」と言う以外、神に対して何も語っていません。御前における沈黙は、不平、不満の沈黙ではなく、絶望の沈黙でもなく、神を信頼し、すべてを委ねた人間の姿を表すものなのです。御言葉に従う以外、行くべき道を知らない人間の姿、それがアブラハムの沈黙でありました。そしてこの沈黙の素晴らしさを教えることが、アブラハムに対する、神の最後の顧みであったのです。

「主の山に備えあり。」私たちが生き、礼拝へと導かれる世界、それが「主の山」であり、備えられた恵みの大きさを味わう場です。今、御言葉によって召し出され、聖霊によって立てられた教会に集まる者は、この恵みの前に沈黙する幸いを得た、と感謝すべきでありましょう。

お祈りを致します。

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イエスの拒否

《賛美歌》

讃美歌187番
讃美歌217番
讃美歌332番

《聖書箇所》

旧約聖書:エゼキエル書 35章15節 (旧約聖書1,354ページ)

35:15 お前がイスラエルの家の嗣業の荒れ果てたのを喜んだように、わたしもお前に同じようにする。セイル山よ、エドムの全地よ、お前は荒れ地となる。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。

新約聖書:マルコによる福音書 3章7-12節 (新約聖書65ページ)

3:7 イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、
3:8 エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。
3:9 そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。
3:10 イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。
3:11 汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。
3:12 イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。

《説教》『イエスの拒否』

先週の礼拝では、安息日に主イエスがユダヤ人の会堂で片手の萎えた人を癒されたことが語られました。この癒しのみ業がなされた結果、ファリサイ派の人々は出て行って、ヘロデ派の人々と、どのようにして主イエスを殺そうかという相談を始めたのです。

本日はその続きです。初めに、「イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた」とあります。湖とはガリラヤ湖です。主イエスと弟子たちは会堂を出てガリラヤ湖の方へと立ち去られたのです。ここは口語訳聖書では「退かれた」となっていました。その方が原文のニュアンスを伝えています。ただ立ち去ったと言うよりも、退いた、退却したのです。それはファリサイ派やヘロデ派の人々の敵意、殺意が高まっていたからでしょう。ユダヤ人の会堂はファリサイ派のホームグラウンドです。そこから逃れてガリラヤ湖の方に退却したのです。

しかし、その退いた主イエスの周りには沢山の人々が集まって来ました。すぐ後に、「ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。」とあります。

ここに出てくる地名で、「ガリラヤ」とは主イエスの活動の中心地であり、ガリラヤ湖の西側、当時カナンと呼ばれていた地方の北部にあたります。それに対して続いて挙げられているる「ユダヤ」とはエルサレムより南の地方、カナンの南半分をさしています。

また、「エルサレム」とはその真ん中、古くからの都というよりユダヤ人にとっては世界の中心である都を意味していました。これらの地域は、サマリヤを除くカナンの全域であり、ユダヤ人の全居住地を意味します。

続く「イドマヤ」とはユダヤの南、ネゲブ砂漠に隣接するエドム人の地、ヘロデ大王の出身地です。

また、「ヨルダン川の向こう側」とは現在のヨルダン王国であり、当時のペレア・ギレアドなどパレスティナ東部を指します。最後の「ティルスやシドン」とは、遠く現在のレバノンの海岸地方であり、これらはユダヤ人の居住地に隣接する全ての地域を含んだ広大な地域です。

この頃の主イエスが「これほど広く人々に知られていたとは考えられない」と言われますが、多分その通りでしょう。事実、これよりかなり後の主イエスが十字架に架かられた時でさえ、ユダヤの地方総督ポンテオ・ピラトはナザレのイエスのことを何も知らなかったのですから、主イエスの活動の初期の時代、ここに記されているような広範囲に及ぶ地域の評判を得ていたとは考えられません。

ここに挙げられている地名は、初めに見たとおり、ユダヤ人が住む地域と隣接するあらゆる地域です。ガリラヤの農民や漁師たちにとって、境を接する地域が、言わば庶民たちの「全世界」でありました。ですから、マルコによる福音書が語ることは、あらゆる所から人々が集まって来たということであり、主イエスの御前に立つ者は「一定の地域の人々、限られた人々」ではなく、「全ての人間がイエス・キリストに関っている」ということなのです。ファリサイ派たちの敵意とは別に、群衆は指導者たちの意に反してナザレのイエスを追い求めて集まり、今や、誰も止めることが出来ない勢いになっていたのです。それを聖書は「あらゆるところから人々がやって来た」と述べているのです。

しかしながら、大勢の人々が集まり、主イエスを取り囲んでいますが、群衆に囲まれた主イエスに、少しの喜びもないのは何故でしょうか。むしろ、主イエスはそこから「逃れたい」と思っておられると見ざるを得ません。

私たちは、神の栄光を表すことを人生の目標としています。キリストの喜びを願って日々の生活を送っている者です。その私たちは、このような「キリストの拒否」を考えたことがあるでしょうか。もし、キリストの喜び、キリストが受け容れて下さることを願うならば、何故ここで主イエスがこのような「拒否」を示されるのかを十分に理解しなければなりません。

今、「イエスは逃れようとしている」と言いました。この部分の主題は、まさに「逃れるイエス」なのです。7節に「イエスは立ち去られた」と記されています。「立ち去る」と訳されている言葉は「危険を避けて逃げ去る」という意味でもあり、マルコ福音書で、この言葉が使われているのはここ一箇所だけです。

7節に記されている「湖の方へ立ち去られた」とは、単なる移動ではなく、カファルナウムの街なかにある会堂から「湖岸へ逃げ去って行った」ということなのです。主イエスは何故彼らに背を向けたのでしょうか。

あえて言えば、「論争からの回避」と言うべきでしょう。2章1節からここ迄、ファリサイ派との論争を主イエスは続けられましたが、その論争から何がもたらされたでしょうか。議論をして相手を改心に導くことは極めて困難なことです。議論の危険性は、自分を見失ってしまう傾向が強いということです。たとえ自分の全てをかけた真面目なものであっても、いつの間にか、その言葉が自分を離れたところで空転して、議論のための議論となってしまうことがあるのです。

私たちの議論とは、自分の持っている知識や経験をひけらかすことから始まり、果ては屁理屈と感情的な反発でどうにもならなくなることがあります。議論で敗れたからと言って、直ちに態度や主張を変える人は極く稀れであり、後には憎しみと怒りが残るだけです。こんな経験は誰にもあることでしょう。主イエスの御言葉と御業の前に敗北した結果、「殺してやる」とまで考えるようになった6節のファリサイ派の人たちの姿は、憎しみしか残らなかった自己主張で凝り固まった多弁な私たち人間の典型でありました。

主イエスが背を向けた「危険」とは、ファリサイ派の人たちの心の中に増大するそのような「新たな罪」でした。神の御子と共に居りながら自分の頑なさに囚われ、自分の立場の砕かれることに怒りを感じる人間、ただ憎しみを募らせるだけの人間、罪に囚われた人間の惨めさ。その現実を前にして、これ以上、敵意と憎しみを増大させないために、主イエスは自ら立ち去られたのです。

実り少ない議論に終始する人間に対し、主イエス御自身、遠ざかることによって、新たな罪を増し加えることをさせぬ憐れみを示されたと理解すべきでしょう。私たちも、自分の雄弁がキリストを遠ざける結果になるということを自覚すべきではないでしょうか。

9節から10節には、「そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからである。」と、主イエスは群衆から逃れようとしています。「押し寄せた」ことが危険なのではありません。「触れようとした」ことが問題なのです。

人間は古くから、「神聖なものに触れると力を受ける」と信じて来ました。5章25節以下に記されている「十二年間も出血の止まらない女」が、主イエスに近づき、「密かに後ろから触った」と記されています。「服にでも触れれば癒していただける」と信じたからです。

「触れれば治るのか」などと笑ってはいけません。東京名所の浅草寺の本堂正面の大きな鉢で、香が焚かれています。その煙を身体に付ければ無病息災、手のひらで煙を掴んで悪いところへ付けています。毎日、数え切れない数の人々が煙を自分の身体に付けようと一生懸命です。

このような行為の問題点は、「煙に力があるか否か」ということではなく、触るのが「人間自らの自発的な行為である」というところにあります。立ち上る煙に奇跡を生む力があると思う人間の意志と、その力を利用しようとする人間の行為が奇跡を生むと考えられています。それ故に、人は先を争って煙に手を差し伸べるのです。不思議な力を持つ神を自分の欲求のためにのみ利用しようとする人間の姿。これが「罪」の現実であり、現在の世界の実情を雄弁に物語っていると言えましょう。

既に見たとおり、マルコは「あらゆる所から人々が集まって来た」と語っていました。そして、その人々がただ主イエスを利用するだけであるとするならば、実は、「あらゆる人々が全て罪の中にある」という決定的な告発になっているのです。ここに記されているのが全ての人間の問題であるとするならば、全ての人間はキリスト・イエスの御前で罪の姿を示していることをマルコは語っているのです。

主イエスはその人々を拒否されたのです。罪の中にある者をキリストが拒否されるということには、理解し難いものがあるかもしれません。もちろん、キリスト・イエスは、罪の中にある者を救うためにこの世に来られた方です。しかし決して、罪の行為に迎合する人間を赦されないのです。私たちは、その罪を知り、御心から離れた自己本位な姿勢が、御子キリストから徹底的に拒否されていることに目覚めなければなりません。私たちが、その自分の罪を知り、御心から離れた自己本位な姿勢から離れること、それこそが、「悔い改め」なのです。

そして、11節には、「汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、『あなたは神の子だ』と叫んだ。」とあります。何とそれに続く12節では「イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。」とあります。

汚れた霊たちの「あなたは神の子だ」という言葉は、確かにファリサイ派の人々や群衆より正しいと言えるでしょう。

ファリサイ派は主イエスが神の子であることを認めませんでした。群衆は主イエスが神のような力を持つことしか認めませんでした。それに反し、汚れた霊ども、つまり汚れた霊に憑かれた人たちは「イエスは神の子である」と人々の前で叫んだのです。その言葉は私たちの「信仰告白」と同じです。しかしその告白を主イエスは拒否されたのです。

「厳しく戒められた」と記されていますが、「戒める」と訳されている言葉は「叱る」という意味の言葉です。「イエスは悪霊を厳しく叱りつけ、そのようなことを絶対に口にしてはならないと命じられた」という意味です。

正しい告白が、何故、拒否されるのでしょうか。主イエスは、何故、その告白を禁じたのでしょうか。

「汚れた霊」「悪霊」とは徹底的に神に敵対するものです。主イエスが神の子であるとの正しい認識を持ったとしても、その本質は変わりません。「汚れた霊に憑かれた者」とは、昔の人々の迷信ではなく、正しい知識を十分に持ちながら、また正しくその事柄を認識しながら、なお自分自身を変えようとしない人間を意味するのです。自分自身が「小さな神」となり、永遠なる神の絶対性を信じない者、神を自分の都合のためにのみ利用しようとする者、それらを「汚れた霊に憑かれた者」「悪霊に憑かれた者」と呼ぶことが出来るでしょう。

主イエス・キリストは、そのような人々との共存を拒否されるのです。「信仰告白」とは、単なる言葉ではなく、その言葉を「生きる姿で如何に表しているか」ということを問われているのです。

ここまで、主イエス・キリストが、人間の罪に対して徹底的に背を向けられることを見て来ました。私たちはこの主イエスのお姿から、罪の世界に埋没した人間の悪に対する、毅然とした姿勢を読み取らなければなりません。主イエスは人々の罪に対して、いささかの妥協もなさらないのです。如何に多くの人々が集まろうとも、ただそれだけで喜ばれることはないのです。

この日の会堂に集まった人々は、期待外れで落胆したでしょう。自分の苦しみを解決して貰えなかった人々は、かえって絶望したかもしれません。故郷ガリラヤの人々を愛する主イエスにとって、むしろ実に辛いことであったでしょう。

しかし主イエスは、この辛さに耐えて行かれたのです。いやそれどころか、むしろそれ以上に、罪に埋没している人々の姿を見ることによって、更に、十字架への道を歩むことの意味とその必然性を確信されたと言えます。

主イエス・キリストの十字架は、自己中心に生きる私たちに対する、神の正義による拒否です。そしてその拒否こそ、愛の頂点なのです。神様が喜ばれる生き方とは、キリストの断固とした拒否の中に「愛の道標(みちしるべ)」を見出し、御前に悔い改めてヘリ下ることから始まると言えましょう。

お祈りを致します。

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怒る主イエス

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌Ⅱ-57番
讃美歌9番
讃美歌23番

《聖書箇所》

旧約聖書:コヘレトの言葉 3章19-20節 (旧約聖書1,037ページ)

3:19 人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、
3:20 すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。

新約聖書:マルコによる福音書 3章1-6節 (新約聖書65ページ)

◆手の萎えた人をいやす

3:1 イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。
3:2 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。
3:3 イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。
3:4 そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。
3:5 そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。
3:6 ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

《説教》『怒る主イエス』

本日からは、マルコによる福音書の3章に入ります。最初の1節に「イエスはまた会堂にお入りになった」とあります。1章の21節以下に、主イエスがカファルナウムの町の会堂に入って教えたことが語られていました。そして1章39節には、主イエスがガリラヤ中の会堂に行って教えを宣べ伝えたとあります。主イエスはガリラヤ地方で伝道の活動を始められたのですが、最初の頃にはあちこちの会堂で教えられました。会堂とはシナゴーグと呼ばれ、ユダヤ人が安息日ごとに集まって神様を礼拝し、律法の教えを聞く所です。主イエスはその安息日の礼拝に出席して、そこでお語りになったのです。

この日の会堂には、「片手の萎えた人」がいました。主イエスが話をしておられる、その礼拝、集会の場に、障碍を負って苦しんでいる人がいたのです。そこに集まっていた人々は、主イエスがこの人を見てどうなさるかに注目していました。2節には、「人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた」とあります。主イエスと弟子たちは安息日の掟をきちんと守っていない、という批判が高まってきていたのです。そういう中で、人々は主イエスが安息日に、この「片手の萎えた人」を癒すのかどうかを注目していました。それは「イエスを訴えようと思って」のことです。主イエスが癒しをされたら、安息日にはしてはならないことをしていると訴えよう、という悪意をもって注目していたのです。

ところで、安息日に人の病気を癒すことはしてはならないことなのでしょうか。当時の律法学者たちの見解においては、命の危険がある病気や怪我の治療は安息日にも行ってよい、とされていました。しかし今すぐ治療しなければ命に関わるのでない、明日まで待つことができる治療行為は、安息日には休まなければならない「仕事」に当たると考えられていたのです。普通の医院は休みだが救急病院はやっている、というのと同じです。この人が、「片手の萎えた人」だったと語られていることにはその点で意味があります。これは、今すぐどうにかしなければ死んでしまうという状況ではないということです。安息日はその日の日没には終わるのですから、数時間待って、日が暮れてから癒しを行えば、安息日の掟にひっかかることはないのです。今この会堂での安息日の礼拝の中でこの人を癒すというのは、当時のユダヤ人たちの感覚では、律法を意図的に破ることを意味していたのです。

 

まさに、主イエスご自身もまさに意図的にそれをなさったのです。3節に「イエスは手の萎えた人に、『真ん中に立ちなさい』と言われた」とあることから分かります。この人をわざわざ会堂の真ん中に連れ出したのです。それはある意味では残酷なことです。片手が萎えているという障碍を負って生きているこの人は、ただでさえ人々から好奇の目で見られ、つらい思いをしてきたのだと思います。なるべく人前に出たくない、人々に自分の姿を見られたくない、というのが、この片手の萎えた人の思いだったのではないでしょうか。それを、多くの人々が集まる安息日の会堂の真ん中に立たせるなんて、主イエスはなんと思いやりのないことをするのだ、とも感じられるかもしれません。

加えて、当時の人々が病気や身体の障害について持っていた特別な意識を理解しておく必要があります。これまでもお話ししましたが、当時の人々は、幸福が神からの賜物であると信じた反面、不幸、この場合身体に障害があること、そこに神の怒り・裁きを指摘し、苦しみは神の怒りの現れであり、「その惨めさの中で罪の悔い改めをしなければならない」と教えられていました。幸いを与えて下さる神が苦しみを与えたとするならば、それ相応の理由がある筈であるとしたのです。これはまことに残酷な考え方であり、病気・障害の苦しみという肉体的苦しみに、更に精神的な苦しみを加えるものと言えるでしょう。

神の罰を受けていると見做されている人が、この時、会堂に居たのです。もちろん、不自由な手を癒してもらうために来たのではありません。定められた日に御言葉を聞くために、肩身の狭い思いをして、会堂の隅にいました。

会堂の席は、長老を筆頭に、律法学者・ファリサイ派の人たち、そして地域の人々が席を占め、「罪人」と呼ばれ差別されていた人々は一番後ろとされていました。長年の病気や肢体の障害で苦しむ人々は、礼拝においても人々の眼を意識しなければならないのであり、会堂に入ること自体、既に苦痛であったでしょう。会堂に来ることに喜びが見出されなかったと思われます。

会堂とは神の御言葉を聴く場所であり、神の御心を求めて祈る場所です。語られる御言葉を通して神の愛が満ち溢れる場です。その安息日の会堂で、彼らは主イエスを「訴えよう」と伺っていたというのです。2節にある「イエスを訴える」とは「告発する」ということです。同じく2節の「注目していた」という言葉は「悪意をもって様子を伺う」という意味です。「訴える」根拠は「安息日に肉体の苦しみを癒す」ということでした。彼らの主張は、「安息日の癒しは神に背く行為である」ことだからです。

しかしながら、聖書には「安息日を聖別せよ」とは記されていますが、「安息日に病気を癒してはならない」とは書かれていません。「安息日には神との交わりを重んじよ」これが律法であり、御心です。その安息日の会堂を、形式だけを厳守して、神を讃美する場を裁きと憎しみの場に変えてしまった人々こそ、安息日を汚したと非難されるべきでしょう。

 

主イエスの御言葉は人々にとって意外なものでした。人々は「イエスが密かに何かをするかもしれない」と見守っていたのであり、どんな小さな過ちでも許さないという気構えで注目していたのです。しかし主イエスは、会堂に満ちた人々に本質を示される道をお選びになました。

主イエスは、その男に「真ん中に立ちなさい」と言われました。父なる神の御心が「ここに立っている不幸な男を見放したままで有り得るのか」。それを主イエスは人々に問い掛けられたのです。

そして、続く主イエスの御言葉の「善を行うこと」と「悪を行うこと」。「命を救うこと」と「殺すこと」、このどちらが良いかと問われ答えられない人はいないでしょう。誰にでも分かることです。極めて簡単明瞭であり、ファリサイ派の人々も律法学者たちもこのことを教えて来た筈です。しかし、「彼らは黙っていた」と記されています。この沈黙は何でしょう。「善を行うこと」「命を救うこと」。「それらが良いことである」と知っていながら、はっきり言えない人々、それがここに集まっている人々の姿なのです。

もし、単なる理屈であるならば、彼らは雄弁に答えることが出来たでしょう。ファリサイ主義は議論を重んじ、律法学者たちは聖書の引用によって神学を展開する専門家です。

しかし、主イエスは神学議論をしようと言っているのではありません。片手の萎えた男を真ん中に立たせ、「この男の姿を見ながら答えよ」と迫っているのです。善について語れ、愛について語れ、救いについて語れ。そういうことではなく、「今、ここで、行うべき正しい業は何か」と問い掛けておられるのです。

主イエスが「見よ」とおっしゃっているのは、「神の赦しを必死に求めている一人の人間」のことです。この人の苦しみに対し、この人の祈りに対し、今、何をなすべきであるのかということです。「手が不自由なら手を治してやればよいではないか」ということではありません。「障害を癒してやればよい」ということでもありません。それは、医師の務めです。

安息日の朝、この場に来た人々は神の御心を聴くために集まり、神の栄光を祈ろうとしている筈です。それならば、栄光の主の御前において、苦しむ者と共に祈り、神の慰めが与えられることを願うのが「安息日に相応しい信仰者ではないのか」ということです。

真実に神の御前に平伏し、御心に従い、神の愛を信じ、苦しむ人と心を共にする時、一刻も早く平安が回復されることを望むのが、安息日に生きる人間ではないでしようか。身体の障害の問題ではなく、罪の重荷を背負わされている人の苦しみを、自分の苦しみと思えなくなっている心が問われているのです。会堂に集まっている人々の心に、この人の苦しみがどのような形で伝わっているのでしようか。主イエスは、ファリサイ派の人々の姿が「形式に囚われている」ということだけを非難しておられるのではなく、「今、心が、本当に、神に向けられているか」ということを厳しく問い掛けておられるのです。

 

4節で主イエスは、「安息日に律法で許されているのは、どちらか?」とは、「私たちはどう思うか」「あなたはどう思うか」という判断を求めているのではありません。「神は何を望んでおられるのか」という信仰の根源の問題を問われているのです。ファリサイ派の人々の沈黙はこの問いへの沈黙であり、神の御前にあって、「神を見ようとしない姿」と言わなければなりません。それ故にこの沈黙は、神と人間との恐ろしい断絶を表すと言うことも出来るでしょう。そしてこの断絶は、今日に至るまで私たちと神の間に続いているとも言えましょう。

 

5節で、「イエスが怒った」と記されていますが、主イエスが怒られたのは聖書ではこの場面だけで、他に10章14節に「憤る」という言葉があるだけで、主イエスは極めて温厚な方でした。ここで明らかにされた主イエスの怒りは、人々の答えが間違っていたとか、答えようとしなかったからではありません。神を仰ごうとしない人間の頑なさに対する怒りです。御心を考えるべき時、神の判断を仰ぐべき時に神の判断を仰ごうとしない人間への怒りです。それは、人間に対する愛を貫き通そうとする、神の御心に背を向け続けている者への神の悲しみの怒りです。

主イエスは、集まった全ての人々を慈しみの眼差しで見詰めておられるのです。律法を読みつつもそこに込められた神の御心を見ることが出来なくなってしまった人々に、神の愛、神の御心が、人間の苦しみをこれ以上放置し得ないということを、この癒しの奇跡を通して示されたのです。病気を癒す力があることを誇示するのではなく、父なる神は、何時如何なる時でも人間の苦しみに対して敏感であり、救いに篤く、「明日まで待つ」などとはお考えにならないということを示しているのです。

 

最後の6節に出て来るヘロデ派の人々とは、福音書の中に3回出てきます(マタ22:16、マコ3:6、12:13)が、ヘロデ王朝を支持する利権を握ったユダヤ人の団体で、ローマ帝国の支配を背景に、ヘロデ王家のユダヤ支配を望んだ人々で、極めて政治的色彩の強い団体でした。信仰を軽視し、礼拝生活を重んじない政治グループです。この安息日の会堂にも居なかった筈です。安息日厳守のファリサイ派から見れば、とんでもない人間の集まりであり、ファリサイ派の人々が敵視する集団です。ファリサイ派が会堂から出て、そのヘロデ派と相談したとは何たることでしよう。敵の敵は味方同士というべき、神に心を向けず、キリストの御言葉に従わない人間は「会堂の外において一致する」という現代に通じる姿を示しており、彼らの一致は、「キリストを抹殺しよう」ということでしかないのです。

 

安息日に関する一連の論争は、このようにして、人間の罪の深さと惨めさとを隠すことなく暴露して終わりました。主イエス・キリストの愛を踏みつける人間の姿が、神様が定められた一番大切な日に、一番大切な場所で顕わにされたのです。

この物語、論争の終わりが、「会堂に留まる主イエス」であり、「会堂から出て行くのが反対者である」という6節は、実に暗示に富んでいると言えるでしょう。父なる神より遣わされた主イエスが居られるところに、そして主の御言葉のあるところに、この教会にこそ、私たちの留まる場はあるのです。

神の御心を求める者の傍らに、主は必ず共に居て下さるのです。

キリストと共に会堂に留まる時、永遠に変わらず注がれている神様の愛が、私たちを支え続けるのです。

お祈りを致しましょう。

<<< 祈  祷 >>>

安息日の主

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌239番
讃美歌497番
讃美歌67番

《聖書箇所》

旧約聖書:申命記 5章12-14節 (旧約聖書289ページ)

5:12  安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。
5:13  六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
5:14  七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。

新約聖書:マルコによる福音書 2章23-28節 (新約聖書64ページ)

2:23 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 2:24 ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。
2:25 イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。
2:26 アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」
2:27 そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。
2:28 だから、人の子は安息日の主でもある。」

《説教》 『安息日の主』

明けましておめでとうございます。今年もこうして皆様と共に聖書に耳を傾ける新しい年を迎えられたことを感謝します。今年は引き続きマルコによる福音書を連続してご一緒に読み進めて行きたいと思いますので、宜しくお願いいたします。

本日は「安息日」に関するお話ですが、「安息日」とは聖書で定められている最も重要な規定です。それがどのような意味で定められた日であるかを、先ず確認することが大切です。

ヘブライ語で“シャッバット”と呼ばれる「安息日」とは「休む」という意味です。そのことから、誰でも安息日と言えば、「休みの日」と考えるのが当然かもしれません。しかし、キリスト者であるならば、この「休む」ということが何から始まり、何を意味しているかを、聖書から考えてみたいものです。

この「安息日」とは、先ず第一に、「神様が祝福し、聖別された日」です。それは旧約聖書2ページ、創世記2章1~3節にあるように、「天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」と、創造の御業の最期に祝福し、聖別された日でした。

第二には、「神様との契約のしるしの日」であり、生命をかけて守らなければならない「聖なる日」「最も厳かな日」です。それは、旧約聖書146ページ、出エジプト記31章13~16節にあるように、「あなたは、イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちは、わたしの安息日を守らねばならない。それは、代々にわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである。安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる。六日の間は仕事をすることができるが、七日目は、主の聖なる、最も厳かな安息日である。だれでも安息日に仕事をする者は必ず死刑に処せられる。イスラエルの人々は安息日を守り、それを代々にわたって永遠の契約としなさい。」と、死をもってしても守るべき日でした。

第三には、出エジプト、「神様の救出を想い起こす日」です。旧約聖書289ページ、申命記5章15節には、「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。」とあります。

これら三つが、「安息日の制定」です。神の民イスラエルは、この安息日を厳守することで、周囲の諸民族の中に埋没しがちな弱小民族でありながら、自分たちの独自性とアイデンティティを維持し続けて来ました。

安息日は確かに「休みの日」です。如何なる仕事もしてはならず、それを汚す者、即ち仕事をする者は死刑に処せられると定められた厳粛な日です。同時に一週間に一回の休日でもありました。しかし、その「休み」とは、人間が身体の疲れを癒すことに第一の目的があるのではなく、ましてや、天地創造された「神様の休養」にお付き合いをする日でもありません。

天地創造の第七の日に「神はその日を聖別された」と記されています。「聖」と訳されているヘブル語の“コーデシュ”は、元来「分ける」「分離する」という意味で、信仰の問題に用いられる場合、神と人間との分離を示し、神に属するものと人間に属するものとの区別を表しました。「聖なるもの」とは「神にのみ属するもの」であり、「神によって特別に選ばれたもの」「特別により分けられたもの」を意味するのです。天地創造の第七の日を「神がその日を聖別された」ということは、その日を「特別な日として定められた」ということです。「特別な日」とは「神の創造を覚える日」であり、「神の契約の記念日」であり、「人間を奴隷の苦しみから救い出された神」への信仰を新たにする日なのです。主なる神の恵みを思い、「神の民・しもべ」としての姿を明らかにし、礼拝を献げる日であり、『その礼拝を守るため』に仕事を休むのです。

「仕事を休む」とは、「主のために休む」のであり、主なる神の御心に応える時、結果的に、一週間の労働で疲れた身体を休めることになるのです。三千年以上の昔から一週間に一度仕事を休んでいたのは、イスラエル民族をおいて他にありませんでした。六日間の労働で疲れた身体に安らぎを与え、社会生活の中で荒んだ心に神様を仰ぐ喜びを呼び戻すことが、安息日を定められた神の御心でした。安息日とは、私たち人間を見詰められる神の御心、愛の満ち溢れる日なのです。

本日の、マルコ福音書2章23節には、「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた」とあります。実にのどかな光景で、都会生活では味わえない農村風景が本日の舞台です。時は安息日とあります。弟子たちは何故「麦の穂を摘み始めた」のでしょうか。よく、面白半分で、何気なく道端の木の枝を折ったり、草をむしったりすることがあります。しかし>
この時の弟子たちは、マタイ福音書12章1節によると、「空腹になったので」と理由が記されています。そしてこれは、イスラエルでは認められていることでした。律法にはこのように定められています。旧約聖書317ページ、申命記23章25~26節に、「隣人のぶどう畑に入るときは、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよいが、籠に入れてはならない。隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよい>が、その麦畑で鎌を使ってはならない。」と、あります。これは、「家に持って帰るほど取ってはならないが、そこで食べるのはよい」ということです。おおよそ、一人の人が腹一杯食べたとしても、どれほどの損害になるのか。まして、そのようなことをする人はよほどの空腹であり、その空腹を癒すことが出来ることを喜ぶべきではないのか。これが律法というものの本来の精神です。律法は神から与えられた戒めであり、人間が正しく生きるための道しるべです。神が教えて下さった人間の正しい生き方とは、疲れた者を慰め、飢えた者を満たすことにあります。貧しい者が苦しむことなく、互いの助け合いによって日々の生活を喜ぶことが出来る生き方なのです。

では、ファリサイ派の人々は何を非難したのでしょうか。24節にあるように、「安息日にしてはならないことをした」というのがその理由でした。「安息日にしてはならないこと」とは、先程の出エジプト記31章14節以下に記されている通り「仕事」です。既に見て来たとおり、律法は安息日に仕事をすることを固く禁じていました。そこで神の御民として直ちに問題にせざるを得ないのは、それでは「仕事とは何か」という定義です。「してよい事」と「してはいけない事」の境目を明らかにしなければ、律法に従う生活を遵守することが出来ません。そこで律法学者たちは、律法の内容を事細かに定義して行きました。紀元二百年頃に編纂された権威ある口伝律法集ミシュナーには、伝承されて来た膨大な規定が残され、安息日に関する規定だけでも、何と24章にもわたって記されています。

ファリサイ派が律法を何よりも大切なものとして受け入れ、御言葉を重んじたということ自体は誤りではありません。律法は神より与えられたものであり、御心そのものと考えられていました。しかしながら、律法を見る彼らの眼が、律法本来の精神から離れ、「それをどのように守るか」ということのみに向けられたことが問題なのです。安息日は「聖なる日」であり大切な日です。しかしファリサイ派の眼は、「安息」即ち「休む」ということへ重点的に向けられていました。律法の専門家として、「安息日には仕事を休まなければならない」と教え、このことに「神の民イスラエルの基本的な姿が示されなければならない」と説いたのです。本来の目的と付随的な結果とが入れ替わってしまったと言えるでしょう。

このような理解に立つファリサイ派によれば、この時の主イエスの弟子たちの行為は「安息日に禁じられている四つの罪」を犯していることになります。麦の穂を摘むことは「刈り入れの罪」、穂から実を取ることは「籾殻を取り分ける罪」、手でもんで食べることは「臼で引く罪」、そしてこれらを合わせて「食事の準備をした罪」ということです。

25節から26節で主イエスは、「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」と言われました。

これは旧約聖書サムエル記上の21章1節以下に記されていることです。昔、サウルに追われ逃れたダビデがノブの聖所に立ち寄った時、祭司アヒメレクは、空腹で逃亡中のダビデに、祭司以外の者が食べてはならない「祭壇から下げてきた聖別された供え物のパン」を与えました。これは非常の場合、「例外はあり得る」という有名な故事であり、規定上は違反であったとしても律法の精神はそこにあるという実例です。

安息日に麦の穂を摘んだ弟子たちを責めるファリサイ派の人たちに、主イエスは「形を守ること」ではなく、「御心に従うこと」に重要な視点があることを告げたのです。ファリサイ派の立場から言えば弟子たちの行為は明白に律法違反でした。しかしそれは、父なる神がどのような眼差しで空腹な者を御覧になっているかということは、全く考えられていません。空腹に苦しむ者に、「安息日だから空腹のままで我慢せよ」と主なる神が言われるでしょうか。そもそも、聖書の何処にも「安息日に食事をしてはならない」などとは書かれていません。むしろ、安息日こそ、人間が最も大切にしなければならない日なのです。愛し合い、助け合い、支え合って生きる人間の姿を喜ばれるのが御心であり、そのように生きる人々との交わりの日を望まれるのが主なる神です。

弟子たちが麦の穂を摘んだことの背景に、この神の御心を見なければなりません。神が定められた安息日に、御子キリストと共に歩み、神によって許された食物を採る、この姿こそ、恵みの中にある人間の姿そのものと言えるでしょう。

さらに重要なことは、ファリサイ派の人々が安息日を論じるに当って、「礼拝」について全く触れていないということです。もし、主イエスの弟子たちがこの日、神を讃美することを怠っていたならば、この非難は正当であったでしょう。礼拝を怠ることは、どんな理由があったとしても正しい弁明にはなりません。何故なら、安息日こそが礼拝をするための日であり、仕事を休むことは礼拝を守ることから生じる恩寵の結果であったからです。そのことから見ても、ファリサイ派が、安息日の意味を「礼拝」よりも「仕事を休む」ことの方に重点を移してしまったことは明らかでしょう。

現代でも、この意味でのファリサイ主義は横行しています。日曜日は仕事を休む日であり、遊ぶ日、休息の日、家族慰安の日という考えが支配しています。「日曜日に何故家族サービスをしないのか」と言われて後ろめたい思いをする人もあるでしょう。「何故、せっかくの休みに教会へ行かなければならないのか」と言われて反論出来ない奇妙なクリスチャンも少なくありません。熱心なファリサイ派も不熱心な現代のクリスチャンも、主なる神が居られることを忘れている姿では、全く同じだと言わざるを得ません。

そして27節から28節で更に、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」と言われました。

「人のための安息日」とは、人が自由に行動して良いということではなく、人間が「正しい人間であるための日」という意味で理解すべきです。「イエス・キリストは主である」という告白を、他の六日間よりも純粋に、真心から告白できる日が現代の安息日、即ち「聖日」の意味なのです。

本日の物語では、ファリサイ派の人々の律法理解がいかに本末転倒になっているかがよく分かります。しかしこれは決して他人事ではありません。私たちは、神様が安息日を与えて下さった意味を本当にしっかりとわきまえているでしょうか。私たちがもし、教会に集うことで、神様からの安息をいただくのではなく、有意義な働きや意味ある奉仕をすることを第一とし、自分が役に立つ者となることを追い求め、その結果信仰に生きることは疲れることだと思い、自分より多くの奉仕をしている人には心苦しさを感じ、自分より奉仕をしていないと思う人を裁いたりしているならば、ファリサイ派の人々と同じ本末転倒に陥っていると言わなければならないのです。

このことをわきまえるなら、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会の礼拝に集い、神様を礼拝しつつ神様に仕えて生きる信仰の生活において、自分が有意義な働きや意味ある奉仕をすることを目的としてはならないことが分かります。礼拝を守って信仰者として生きることは、私たちが良いことをし、役に立つ人になるためではなくて、神様が、独り子主イエス・キリストによって与えて下さる救いにあずかり、まことの安息、休みを与えられるためなのです。しかもそれは私たちの自己満足や誇りを満たすことによる安息ではありません。むしろ神様は私たちを、そのような自己満足や誇りを満たすことを求める思いから解放して下さるのです。主イエス・キリストは、そういう疲れから私たちを解放し、まことの安息を与えて下さるのです。神様の独り子である主イエス・キリストが、何の役にも立たないどころか、神様に迷惑をかけてばかりいる罪人である私たちのために十字架にかかって死んで下さり、罪を赦し、神様の子として生きる新しい命を与えて下さったのです。私たちは、有意義な働きも意味ある奉仕も何もなしに、ただ神様の恵みによって安息を与えられ、明日へと歩み続ける力を、今日も礼拝によって与えられるのです。

お祈りを致しましょう。

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・・・以 上・・・