主を迎える

主日礼拝

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌11番
讃美歌234A
讃美歌452番

《聖書箇所》

旧約聖書:ゼカリア書 9篇9節 (旧約聖書1,489ページ)

9:9 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。

新約聖書:マルコによる福音書 11章1-11節 (新約聖書83ページ)

11:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、
11:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。
11:3 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」
11:4 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。
11:5 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。
11:6 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。
11:7 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
11:8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。
11:9 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。
11:10 我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
11:11 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

《説教》『主を迎える』

マルコによる福音書は四つの福音書の中で最も短く16章しかありません。今日から、その11章に入るわけですが、この11章から最後の16章にかけて記されているのは、主イエス・キリス トのご生涯の最後の一週間のことです。本日の聖書箇所には主イエスがエルサレムにお入りになったことが語られていますが、それは週の初めの日、日曜日のことだと考えられています。その日から始まる一週間の内に、主イエスは捕えられ、死刑の判決を受け、金曜日に十字架につけられて殺されるのです。そのことが15章まで語られており、最後の16章は、次の日曜日の朝の復活のことです。エルサレムに入ることから始まり、逮捕、裁判、十字架の死、そして埋葬に至るこの最後の一週間のことを「受難週」と呼びます。今日の11章はその受難週の始まりであり、マルコ福音書は、この一週間のことを語るのに全体の三分の一以上の分量を用いているのです。これまで読んできた、主イエスの教えや御業を語ってきた部分は、受難のことを語るための序文だった、ということです。私たちは本日から、マルコ福音書の最も大切な中心部分に 入って行くのです。

主イエスはいよいよ、ユダヤ人の信仰の中心地であるエルサレムに来られました。主イエスがエルサレムに到着なさったというのは特別な出来事です。マルコも これを特別なこととして語っています。

マルコ福音書が書かれた時代(紀元60年代)、教会は未だ小さなものでした。社会的な保護どころか、ユダヤ人社会からの批判を避けて地下墓地の片隅や屋根裏部屋などで密かに集会を行い、ローマ帝国の圧力を避けつつ、信仰を守り続ける極めて小さな群れでした。

さらローマ帝国のユダヤ迫害も強まり、ローマ帝国に対する絶望的な反抗であるユダヤ戦争によって、エルサレムは紀元70年の神殿崩壊に直面していました。ペトロやヤコブを初めとする使徒たちも次々と世を去り、教会が新しい世代の人々に託されて行く時代に、「この苦難の中でキリスト者が生き残る唯一の武器はこれである」と書かれたのが、マルコによる福音書でした。

マルコは、イエスの最後の一週間を、「キリストに従う者に勝利を保証するもの」として語っていることは、言うまでもありません。聖書が語ることは、この世から逃避することではなく、この世の中を強く生きて行くために、神が与えて下さった「希望の信仰」なのです。

マルコの描く主イエスの最後の一週間は、ちょっと不思議な書き出しで始まります。「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。『向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい』」。 主イエスの一行は、この時、ベタニアから出発したので、これから行く「向こうの村」とは、ベトファゲのことでしょう。今、主イエスは、エリコ街道を登りきり、反対側のエルサレムを眼下に見下ろす地点に出ようとしているところでした。

これから行く先の村のことを、どうして主イエスは詳しく知っておられるのでしょうか。「これまでも何度か来られていたので知っていた」とは言えても、「今日、ロバの子が繋がれている」ということがお分かりになったのでしょうか。これについて、さまざまな説明がなされています。ある人はイエスの不思議な予知能力について説明しようとしますし、またある人は、予めなされていた「打ち合わせであった」とも言います。

ここで主イエスはろばの子に乗られた、これが極めて重要なことなのです。「ろばの子に乗る御姿」そのものが大切であり、主が示された「眼に見えるしるし」と言うべきでしょう。主イエスは、御自身のためにではなく、すべての人々のためにろばの子に乗られたのです。8節から「多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も『ホサナ』と叫んだ」とあります。「ホサナ」とは「救い給え」という意味です。ここに記されている「自分の服を道に敷く」とは、王国時代以来の支配者に対する服従のしるしです。また、「葉の付いた枝で歓迎する」とありますが、ヨハネ福音書12章13節ではこの枝がなつめやしの枝であったと記しています。この聖書箇所を旧約聖書に見ると、かつて、シリアとの戦いに勝利し、マカベア王朝の基礎を築いたシモン・マカベウスがエルサレム入城の際、民衆が同じなつめやしの枝をかざして迎えた故事が想い起させられます。そこで、ヨハネ福音書12章15節の指摘に従って先程司会者に読んで頂いたゼカリヤ書9章9節をもう一度見てみましょう。

娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。    ゼカリヤ書 9章9節

本日のマルコ福音書11章3節で主イエスは御自身を初めて「主」と呼ばれました。主イエスは、ろばの子に乗ることによって、「神によって遣わされた平和の主である」ことを、宣言されたのです。そしてそれは、すべての人々が、真実の救いを見ることが出来るようになることを意味しているのです。

今や、「時」は、父なる神の御計画の頂点である十字架に近づいているのです。神の長い忍耐の後、人間を苦しめるサタンを完全に滅ぼす「時」が近づいたのです。主イエスが大勢の巡礼者に混じって目立たず静かにエルサレムに入られなかったのは、「時の到来」を、ここに決定的に示されるためだったのです。

エルサレム入城をゼカリヤの預言と結びつけて、新しい時代の到来として明らかにしたのです。今、イエス御自身によって成し遂げられることのすべてを、人々に分かるように、敢えてろばの子に乗ってお示しになったのです。

ろばの子に乗ったメシアは、確かに平和の主です。戦場を駆ける猛々しい戦士は強靭な馬に乗るのであり、小さなろば、ましてろばの子に乗って闘う騎士はいません。ゼカリヤ書が記しているのはこのことであり、主イエスは「この姿を見よ」と告げているのです。

神の戦いは、神の子イエス御自身のほかに何も必要としないのです。剣も槍もそして馬も必要ではありません。神の御子は、御言葉によって数々の悪霊を滅ぼされるのです。ろばの子に乗られた主の御心は、神の御業実現のために来られた「メシア・救い主である」ことの宣言と共に、この世の力の無意味さを教えておられるのです。

救われる者の見るべきものは、ただ御子キリスト・イエスのみであり、その他の全ては何の意味も持たないのです。私たちを罪の中に閉じ込め、神に背を向けさせ、偽りの生活の中に導いたサタンとの最終的対決は、このように始まり、神の勝利は、このように実現するのです。

この時の主イエスを迎えた人々の喜びの叫びが、明確な信仰的自覚に基づいたものでないことは明らかですが、少なくとも、その時の人々は、ろばの子に乗られた御姿を見て、ゼカリヤの預言を思い出し「ナザレのイエスがメシアである」ことを教えられ、それを喜ぶことが出来たのです。

それ故に、私たちもまた、歓声を上げている人々の姿こそ、主イエス・キリストが望んでおられる人間の姿であることに気付かなければなりません。そして、この喜びの叫びが消えてなくならないように、常に主を慕い求め、祈り求めなければならないのです。

「あの時のエルサレムの群衆は間違っていた」と言って、ただ批判しているだけの人は、結局、「ろばの子に乗った救い主」を迎えることさえ出来ず、群衆以下と言えましょう。

信仰とは、評論家になることではなく、幼な子になって信じることです。素朴かつ単純に、「ホサナ、今、救いたまえ」と叫ぶことです。何よりも先ず、キリスト・イエスの前に敷く上着を脱ぐべきです。そして、歓声を上げる群衆を遠くから眺めるのではなく、その中に入り、彼らと共に、今、世に来られた神の御子を迎えるべきです。

主イエスは、それを喜んで下さり、御国への招きの御手を差し伸べて下さるのです。

お祈りを致します。

キリストの御心に包まれた者

《賛美歌》

讃美歌Ⅱ-188番
讃美歌162番
讃美歌217番

《聖書箇所》

旧約聖書:レビ記 13章45-46節 (旧約聖書181ページ)

13:45 重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。
13:46 この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。

新約聖書:マルコによる福音書 1章40-45節 (新約聖書63ページ)

1:40 さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
1:41 イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、
1:42 たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。
1:43 イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、
1:44 言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」
1:45 しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

《説教》『キリストの御心に包まれた者』

本日は重い皮膚病を患っている人が主イエスの御許にやって来ました。この物語も主イエスによる病気の癒しです。奇跡物語、特に病気の癒しを読むときに注意することは、前回にもお話ししましたが、聖書が語ることの真意を信仰的に正しく読み取らなければなりません。

この物語を読むときも、先ず誰でも感じることは、主イエスがこの男の病気を癒したということへの驚きではないでしょうか。そして、多くの人々は、「このようなことはありえない、信じられない」と言って、この聖書を信じるのに値しない書物、と考えてしまいます。

実は、この出来事を受け容れられないということは、神の御業を信じていた当時のユダヤ人も同じでした。不思議な力を持つ人によって病気が治るということ自体は驚くべきことではなく、神秘的な神の力が「特別な者」に与えられていると思うことは、この時代珍しいことではありませんでした。医師と祈祷師の厳密な区別がない時代です。それにも拘らず、ユダヤ人たちは、この物語を「有り得ないこと」として、はっきりと否定したのでした。

それは、聖書がここに語ることが、治療困難な病気を「主イエスがまたも不思議な力によって治した」という単純な奇跡物語ではないということなのです。この出来事そのものが、神を信じ、神の戒めに従って生きる人々にとって、「有り得ないこと」であったのであり、当時のユダヤ人にとってこの物語は最初から信じられないことでした。

最初に「重い皮膚病を患っている人が来た」と記されていますが、当時のユダヤ人なら、先ずそれを疑うでしょう。事実、当時の生活を知る者にとって、これは異常な出来事であり、ユダヤ人社会を知らない者の作り話としか思えなかったのです。

聖書で「重い皮膚病」と表現されている病気は、当時最も恐れられている病気でした。これは、必ずしも現代のハンセン氏病と同じとは言えませんが、極めて悪性の皮膚病全体を指す言葉でした。この病気に関しては、聖書が詳しく語っていますので、当時の生活に如何に密着した問題であったかが分かります。詳しいことは省略しますが、レビ記13章と14章の全てがこの病気に関する規定であることには驚かされます。

乾燥した砂漠地帯のため、水が乏しく、狭い居住空間に大家族が住む非衛生的な社会では、悪性皮膚病の伝染力は極めて強く、一度かかったら殆ど治ることなく、隔離も厳しく守られていました。病気に罹った者は誰が見ても明らかに異常な姿をしなければなりませんでした。自分から「わたしは汚れた者です」と叫ばなければなりません。町に入ることも許されませんでした。また、道で誰かに会っても挨拶を交わすことも出来ず、人に2メートル以上近づいてもなりませんでした。ですから、重い皮膚病の病人が前を通った店では「食物を買う人もいなくなった」とさえ言われているのもうなずけるでしょう。

さらに悲惨なことは、重い皮膚病は「普通の病気とは違う」と考えられたことです。普通の病気は神の怒りによって負わされた肉体の苦しみとみなされたり、或いは悪霊によるものとされていました。しかし、社会から追放されることはありませんでした。聖書にも、集会を行っている主イエスのもとへ友人たちが天井を破って吊り降ろされた「中風の男」、偉大な治癒力を受けたいと背後から主の衣に触った「長血の女」が記されていますが、彼らはいずれも社会から弾き出されてはいませんでした。

それに対して「重い皮膚病」は、神の御前に出ることが許されない「汚れ」としてとらえられており、レビ記第14章は、この汚れから清められたことが確認される時の儀式を語っています。主イエスが44節で、この人に「行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい」と言っておられるのは、この儀式を行いなさいということです。この人が清められたことを確認するのは祭司です。汚れているか清いかを判断するのは祭司の役目だからです。ですから逆にある人を汚れていると宣言するのも祭司の務めで、レビ記の13章は、祭司はどういう場合にその人を汚れていると宣言しなければならないかが定められています。そして、汚れていると判断された人はどうしなければならないかが、レビ記13章45節と46節に語られているのです。そこを読んでみます。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない」とあります。汚れていると判定されたら、その人は自分の汚れが人にうつらないように、人に会うごとに「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらなければならないのです。そしてさらに、「その人は独りで宿営の外に住まなければならない」とあるように、一般の人々の共同体の中にいることができません。「病」ではなく、「汚れ」であるがゆえに共同体から出て、別に暮らさなければならないのです。これが病であれば、家族や仲間たちが看護し、治療がなされていきます。しかし汚れている者は、その汚れを人に移さないために、家族や仲間たちから切り離され、隔離されてしまうのです。そこに、汚れていると判定された人々の、病気とはまた別の、深い苦しみ悲しみがあったのです。

その惨めさは、かつては一族の長でありながら、発病と同時に町の外のゴミ捨て場の灰の中に放置されたヨブの姿を思い浮かべれば十分でしょう。このような状態になった者は、極言すればもはや人間とは見做されないのです。

日本においてハンセン氏病の患者たちは、まさにこれと同じように家族や社会から切り離され、療養所に隔離されて深い苦しみ悲しみを体験してきました。しかもこの病気の原因が分かり、特効薬が開発されて治る病となってからも長く国の隔離政策が続き、不当な苦しみを受けてきたことを私たちは忘れてはなりません。主イエスに清めていただくことを求めてやって来たこの人が抱えていたのと同じ苦しみ悲しみを、ハンセン氏病の患者の人々は味わってきたのです。しかしこの苦しみをハンセン氏病の人々のみの苦しみとしてしまうのは間違いです。病ではなく汚れであるがゆえに生じる苦しみ悲しみは、様々なかたちで私たちの身近な所にあるのです。

現代の私たちから見れば「ひとつの病気」に過ぎないものを、何故、これ程までに「神の御前における汚れ」として規定するのか理解に苦しむところもありますが、重要なことは、当時の人々が「そう見做した」ということです。それほど恐ろしかったということでしょう。このようなことを確認した上で、40節を改めて見てみると、この出来事が如何に驚くべきことであったかが分かります。

この男は来てはならないところへやって来たのです。近づいてはならない人々のところへ近づきました。守らなければならない「私は汚れている」という言葉を叫びませんでした。彼は全ての律法を破っているのです。公然と律法を破る者は石打ちの刑に処すると定められていました。死刑です。

ですから、この日の出来事は、まさに当時では「有り得ないこと」であり、「考えられないこと」でした。その「有り得ないこと」「考えられないこと」が現実に起こったということが、ここに告げられているのです。

41節に、「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われ」たとあります。

ここの「深く憐れむ」という言葉は、本来、「はらわたが揺り動かされる」という意味の言葉です。そこから発展して、身体全体を揺り動かされるほどの感動を表す言葉となりました。主イエスは、彼の苦しみ悲しみをはらわたがよじれるような深い憐れみをもって感じ取って下さり、そして彼を清くしようと思し召しになったのです。

「手を差し伸べてその人に触れた。」これこそ革命的なことでした。この主イエスの意志、断固たる御業、聖書はそれを語りたいのです。接触を禁じ、隔離を命じた古い律法を、主御自身、明確に否定されました。

律法は何故、隔離を命じたのでしょうか。触れれば「汚れる」からです。しかし、主が触れた時、重い皮膚病は清められました。それは、この時「汚れが去った」と考えるより、「主イエスの清さが移った」と考えるべきです。主イエス、キリストとの触れ合いは、主が持っているものを戴くことであり、主から頂いた「清さ」がおのずから罪の汚れを取り除いてしまうのです。

主イエスのご意志は44節にも示されています。主イエスは彼にこうおっしゃいました。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい」。主イエスのご意志は、彼が祭司に体を見せ、清められたことを確認してもらい、レビ記14章に定められている儀式を経て人々に自分が清められたことを証明することでした。レビ記14章8節に、「清めの儀式を受けた者は、衣服を水洗いし、体の毛を全部そって身を洗うと、清くなる。この後、彼は宿営に戻ることができる」とあります。それまでは宿営の外で暮らさなければならなかったのが、宿営に戻り、家族や仲間たちと再び共に生きることができるようになるのです。もはや「わたしは汚れた者です」と呼ばわり、人々を避けて生きなくてもよくなり、通常の社会生活に復帰できるのです。主イエスは彼がそのように社会復帰することを望んでおられるのです。

彼の「清めの儀式」を通して社会復帰を主イエスが望まれたのは単なる日常生活への復帰ではありません。汚れた者は神の御前に出て礼拝をすることができなかっただけではなく、汚れた者が民の中にいると、その汚れが民全体に移って、神の民イスラエル全体が汚れて神を礼拝することができなくなると考えられていました。その汚れが清められたというのは、神の民の一員として神の御前に出て礼拝をすることができるようになった、ということです。ですから彼の社会復帰とは、礼拝への復帰です。神と共に生きる信仰生活への復帰です。主イエスはそのことをこそ望まれ実現して下さったのです。

更に、44節で主イエスが彼におっしゃったことがもう一つあります。それは「だれにも、何も話さないように気をつけなさい」ということです。主イエスが彼を清くしたことを誰にも言うな、ただ祭司にだけ体を見せ、清くなったことを確認してもらいなさい、と主イエスはおっしゃったのです。しかも43節には「厳しく注意して」とあります。ですからこれは、「このことはあまり人に言ってはいけないよ」という程度の穏やかな話ではありません。また43節の前半には「イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし」ともあります。あなたと一緒にいる所を人に見られたくないからすぐに立ち去れ、とおっしゃったのです。何だかずいぶん冷たい態度です。清めていただいたこの人は、主イエスについて行きたい、自分も弟子になりたい、と思ったかもしれません。しかし主イエスはそれをお許しにならなかったのです。それは何故でしょうか。45節以下に、彼は主イエスのもとを立ち去ると、「大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」のです。主イエスが厳しく誰にも言うなとおっしゃったのに、「イエス様が私を清めて下さった」ということを彼は語らずにはいられなかったのです。その結果何が起ったか。「イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た」とあります。大勢の人々が主イエスのもとに押し寄せて来たのです。あまりに多くの人が群がって来るので、もう町に入ることができず、町の外の人のいない所に留まらざるを得なくなったのです。これらの人々が主イエスのもとに来たのは、病気の癒しや、悪霊からの解放や、汚れからの清めを求めてです。その人々の思いは、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」というのとは全く違うものです。病の癒しや清めの業が独り歩きして伝わっていくとこうなることを主イエスは見通しておられたのです。人々が癒しや清めのみを求めて殺到してくることは、主イエスの願っていたところではありませんでした。主イエスはあくまでも、神の国の福音を宣べ伝え、人々が悔い改めて福音を信じるために宣教を行い、その一環として病の癒しや清めの業をしようとしておられたのです。それゆえにあんなに厳しく、「だれにも、何も話さないように気をつけなさい」とおっしゃったのです。

このことは、主イエスの十字架の死において、私たち全ての者にも与えられている恵みです。主イエス・キリストは、私たちと神様との間を隔て、私たちが神様の民として生きることを妨げている罪と汚れを全て背負って、十字架にかかって死んで下さったのです。私たちの罪も、汚れも、それによる苦しみや悲しみも、十字架にかかって下さった主イエスが全て引き受けて下さったのです。この主イエスの恵みによって私たちは、神様の民とされ、こうして毎週神の御前に出て礼拝をささげ、神様と共に生きることができるのです。私たちの地上の歩みはなお罪と汚れの中にあります。自らの罪や汚れによって様々な苦しみや悲しみを味わうことがあります。また私たち自身が汚れた者を作り出したり、人をいじめ苦しめてしまうようなことも起ります。しかしそのような中で私たちは、私たちのために十字架にかかって死んで下さった主イエスを信じて、主のみ前にひざまずき、「主よ、御心ならば、あなたは私を、私の罪と汚れから、そして苦しみや悲しみから、救って下さいます」と告白することができます。主イエス・キリストは私たちを深く憐れみ、み手を差し伸べて私たちに触れ、「清くなれ」と宣言して下さり、罪と汚れの苦しみ悲しみを取り除いて下さり、罪から解放して下さるのです。お祈りをいたします。

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神の心

《賛美歌》

讃美歌Ⅱ-1番
讃美歌338番
讃美歌242番

《聖書箇所》

旧約聖書:イザヤ書 61章1節 (旧約聖書1,162ページ)

61:1 主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。

新約聖書:マルコによる福音書 1章29~39節 (新約聖書62ページ)

1:29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。
1:30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。
1:31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。
1:32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。
1:33 町中の人が、戸口に集まった。
1:34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
1:35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。
1:36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、
1:37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。
1:38 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」
1:39 そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

《説教》『神の心』

主イエスはガリラヤ湖で漁師をしていたシモンとその兄弟アンデレ、そして、ヤコブとヨハネの兄弟の四人に声をかけられ弟子とされ、ガリラヤ地方で伝道を始められました。その伝道の方法はユダヤ教の会堂・シナゴーグで安息日に説教されるというものでした。

主イエスは、このユダヤ人の会堂を新しい時代の開始を告げる場としてお選びになりました。限られた人々が定められた形式だけを守っている神殿ではなく、一週間の生活に疲れた人々が、新たな日々のために慰めと勇気を求めて集まって来る会堂、「そこにおいて主イエスが語り始められた」ということこそ、福音の開始に最も相応しいとマルコは告げています。

キリストの福音は、疲れた心、求める心に語りかけられます。御言葉を聞かずには新しい日々へ向って行くことが出来ない人々に、主イエスは語りかけられるのです。そして神が定められた安息日とは、この主イエス・キリストの御言葉による「新しい時」の始まりの中にこそ見ることが出来るのです。まことの安息とは、主イエス・キリストによって実現する「神の国」において与えられるからです。

この主イエスが公生涯の初めとして語られた言葉は1章15節にある「時は満ち、神の国は近づいた」であると、マルコは極めて簡潔に記しています。

安息日の会堂で悪霊に対し神の子としての権威を示された主イエスは、集会が終わると、本日の29節にあるように、シモンとアンデレの兄弟の家に行きました。主は何をするためにシモン・ペトロの家に行かれたのでしょうか。この時の状況を注意深く見ると、次のようなことが分かります。先ず第一に、イエスは「すぐに」ペトロの家に行きました。ペトロの家は会堂の「すぐそば」にあったのです。次に気がつくことは、私たちの聖書には書かれていませんが、原文の30節は「しかしながら」という意味の言葉で始まっています。そして31節の「もてなした」とは「奉仕する」という言葉で食事の準備をすることです。

これらのことから考えられることは、初めて会堂でイエスの説教を聴き、悪霊の追放という驚くべき御業に接したペトロが、集会後「主イエスを食事に招待した」ということです。本日の聖書の箇所は、「病人の癒し」が中心になっているように思われますが、ペトロは「姑の病を癒してください」と言って主イエスを招いたのではなく、また主イエスも「病気を癒すために」この家に行ったのでありませんでした。集会後の愛餐、それがこの時の目的でした。ところが家に入ってみると、思いもかけずペトロの妻の母が熱を出して寝込んでいたのです。主イエスを食事に招待したくらいですので、これはペトロにとっては予想していなかった突発的なことであったのでしょう。ですから、この奇跡はまさに偶発的な出来事でした。会堂における悪霊との戦いのように断固とした態度を示されたのでもなく、心を痛めて病人の家に行ったのでもありません。マルコによる福音書は、この出来事によって何を語ろうとしているのでしょうか。

この時、主イエスは集会を終えたばかりで、会堂で明らかにされたことは「イエスこそ安息日の主である」ということでした。「福音が語られ神の御子が働かれる時、新しい時代が始まった」ということが宣言されたのです。そして今、ペトロの家に入ったのは、未だ日没前であり、当然、安息日の最中です。ユダヤの一日は日没が区切りですので、安息日が終わるのは「日が沈む」32節です。そして律法によれば、病気の癒しは安息日には固く禁じられていました。ですからこの日の午後、ペトロの姑の癒しは、律法からは、「許されないこと」だったのです。マルコ福音書は、安息日の午後、思いがけない成り行きによって禁じられている業を行われた主イエスのお姿を記すことによって、古い律法に縛られない新しい時代の到来をここに告げ、イエス・キリストは会堂の主であるのみならず、会堂の外においても、安息日においても主であられるということを明らかにしているのです。その安息日の終る日没になると、32節「夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は主イエスを知っていたからである。」とあります。ここに、「多くの悪霊が追い出された」と記されています。これがいったいどういうことなのか、この記事だけでは詳しくは分かりません。ここでは、単なる病の癒しではなく、私たちの理解を遥かに超える事柄が起こっているのです。

病気の癒しであるならば、現代医学は当時より遥かに進んでいます。ペトロの姑の発熱くらい、簡単に治るでしょう。そうすると、現代医学は主イエスの御業のある部分を肩代わりするということになるかもしれません。医学が進歩すればするだけ主イエスの御業は必要性を失い、やがては病気の治療に関して、医学のほうが「主イエスより遥かに多くの部分を受け持つ」ということになってしまうでしょう。もし、「病気の癒しそのもの」がこの物語の中心ならば、このような結論になってしまいます。さらにまた、この奇跡を誤解して、「祈れば病気も治るはずだ」と言う人もいます。または、「教会は何故病気を治せないのか」と非難する人さえいるかもしれません。しかし、もし「病気の癒しそのもの」が大切ならば、何故、主イエスは十字架で死なれたのでしょうか。何故、伝道開始以来僅か三年余りで死んでしまわれたのでしょうか。もっと何十年も長く生きて、多くの病人を癒したほうが遥かによかったのではないでしょうか。しかし、それは医者としてだけの主イエスの姿です。それは、決して救い主のお姿ではないでしょう。医学は、救い主・主イエスに取って代われるものではありません。医学の発展の前に信仰が不要になることも有り得ません。この奇跡物語を読み誤ってはいけません。私たちの驚きは、「病気が治った」という表面的な事柄にではく、主イエスの御業を通して聖書が告げようとしている事柄に目が向けられなければならないのです。

医学の発達していない当時の人々は病人を「悪霊に取り憑かれている」と信じていました。あらゆる思いを遥かに越え、自分自身ではどうすることも出来ない大きな力、人間を苦しめ傷つけ何時までも惨めさの中に閉じ込めるもの、それを人々は「悪霊」と呼んでいたのです。病気とは、この恐るべき悪霊に憑かれることから始まり、その力の下で苦しみ続けるというのが、避けることの出来ない人間の定めとして理解されて来ていました。ですから、病気の癒しは、何よりも「悪霊の追放」と結び付けられ、人間の力の及ばない事柄と考えられていたのです。そのことを知るならば、主イエスがここで何をなさろうとしているのかが明らになるでしよう。この物語の重要なところは、熱が去った・病気が治ったという現象的なことではなく、病人が人間としての正常な姿を取り戻したこと、「悪霊が追い出された」ということにあるのです。

病気は確かに恐ろしいものです。私たちの肉体を苦しめ、精神を傷つけ、死を招きます。しかしながら、キリスト者の生き方は病気による死によって終わるのではありません。その死の先にある希望を見なければなりません。イエス・キリストを救い主として信じる者にとって、人生の目標は父なる神の御国に召されることです。もし、眼に見えるこの世の生活が全てであるとするならば、確かに、その生活を奪い取る死は最も恐ろしい敵であると言えるでしょう。しかしキリスト者は、この世の生活を神の御国への旅路として見ており、死を越えて永遠の生命に生きることを信じているのです。その信仰を抱く者に「病気」は、一体、何をすることが出来るのでしよう。父なる神の御前に出るのに、「病気」が何の妨げになるのでしょうか。神の国に生きる者に「病気そのもの」は何の障害にもなりません。新約聖書18ページのマタイによる福音書10章28節には、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」と記されています。「病気そのもの」を恐れる必要はないのです。病気の苦しみに付け込んで私たちの心を神様から引き離そうとする存在にこそ、眼を向けなければなりません。それが「悪霊」と呼ばれているものです。

悪霊を単なる「古代人の幼稚な迷信」と考えてはなりません。現代的に言えば、神様に逆らい、私たちを「神様から引き離そうとする力」のことです。私たちの魂の自由を束縛する全てのものと言うことも出来るでしょう。このような力が人々の心を惑わしている事実は、現代でも肉体の病気を治すことに熱中するあまり、魂の自由を平気で売り渡す人が如何に多いかを見れば明らかでしょう。そこに、肉体の苦しみを利用して魂を真実の神から引き離そうとする巨大な力の働きを見ることが出来ます。身体と魂とどちらが本当に大切なものかを、先程お読みしたマタイ10章28節の「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」との御言葉を思い返さなければなりません。

病気と信仰は全く別な問題と言ってよいでしょうか。肉体の健康は医者、魂の健康はキリスト、と完全に分離できるのでしょうか。「私はただ人の傷に包帯を巻くだけであり、あとは神が癒される」と言ったキリスト者の医師がいます。もちろん、この言葉は医者の働きについて謙虚に語っているのであり、医師としての最大の努力は尽くしたことでしょう。語っていることの意味は、治療という事柄の中にも神の御業が現されている、という告白です。医師は、知識と技術によって神の御業に仕えているのであり、最後の決定は「ただ神のみがなされる」というのが私たちの信仰です。肉体も魂も全ては神の御手の中にあると信じるのがキリスト者であり、その神の絶対の権威の下で全ての奇跡を見なければならないのです。

今日の、この奇蹟物語は、イエス・キリストが人間の魂に自由を与え、神の御許に行く道を開いて下さるという福音の宣言を、「病気の癒し」という出来事を通して語っているのです。

主イエスがなさった病人の癒しは、会堂で語られたことの「眼に見えるしるし」に過ぎなかったのです。それにも拘らず、人々は「しるし」の目的を見ることなく、たまたま行われた「眼に見えることがらのみ」を追い求めたのです。そしてその「しるしとしての奇跡」も、苦しむ者を見過ごしに出来ない「主の憐れみ」によるものであることに、誰も気付きませんでした。38節で「私は宣教するために来た」と主は言われました。その御心を思わず、主の憐れみのみを利用することを考える人間の心の貧しさが浮かび上がって来ます。

あなた方を罪から自由にすると言われる主イエスの御心を省みず、自分の要求だけを押し通す人間の醜さが、私たちに突き付けられているのです。

私たちは今、どのような主イエスのお姿を信仰の眼に映しているでしょうか。どのようなことを期待して主イエスを追い求めているのでしょうか。新約聖書362ページ、フィリピの信徒への手紙 1章21節でパウロはいっています、「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」

罪という悪霊から解放された人間が、如何に大胆に勇気を持って生きることが出来るか、ということを、信仰の先達たちが多くの実例をもって示しています。

生死を御手の中に置かれるイエス・キリストが、全世界の主として私たちの前に立っておられるのです。主イエスが居られるところ、それが「神の国」です。父なる神の主権が御子キリストによって明らかにされているのです。

今日のマルコ1章29節以下の主イエスが行われた御業は、神の主権の所在と御子キリストの絶対の権威を強く宣言しているのです。主イエスとは何者かを語っているのです。

御子なる神のお姿に、神の義と愛とを正しく見る時、御子なる神のお姿に罪の惨めさと解放の喜びを知らされる時、その時こそ、主イエスに向って、「あなたこそ神の子キリストです」という正しい信仰告白がなされるのです。

その時、主イエスは、告白する私たちと共に、永遠に留まり続けてくださるのです。

この素晴らしいイエス・キリストの救いの御業を覚え、ただ感謝するだけでなく、お一人でも多くの方々に、この素晴らしさを伝えて行きたいものです。

お祈りを致しましょう。

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黙れ、この人から出て行け

《賛美歌》

讃美歌332番
讃美歌191番
讃美歌243番

《聖書箇所》

旧約聖書:ヨブ記 4章7節 (旧約聖書779ページ)

4:7 考えてみなさい。罪のない人が滅ぼされ
正しい人が絶たれたことがあるかどうか。

新約聖書:マルコによる福音書 1章21~28節 (新約聖書62ページ)

1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
1:22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
1:23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。
1:24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」
1:25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、
1:26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。
1:27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」
1:28 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

《説教》『黙れ、この人から出て行け』

今日のマルコによる福音書1章21節に「一行はカファルナウムに着いた。主イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた」とあるように、マルコは安息日の会堂での主イエス・キリストのお姿から語り始めます。

ここにマルコの意図が明らかにされていると言えるでしょう。「主イエスこそ安息日の主であり、主イエスこそ会堂の中心である」ということです。

マルコは主イエス公生涯の初めの御言葉を「時は満ち、神の国は近づいた」と、極めて簡潔に記していました。「時は満ちた」と言われましたが、その「時」は何時から始まるのでしょうか。「神の国の実現」の宣言は何処で語られるのでしょうか。マルコはそのことを、ここで明らかに示すのです。

主イエスの時代、イスラエルの信仰形態には二つの型がありました。第一は、エルサレムの神殿における祭儀です。そこは、神への供え物として動物を献げる一般の人々は立ち入ることの出来ない場所であり、そこでなされるのは、祭司たちの祈りと音楽と御言葉の朗読でした。そこには、神殿を訪れた人々に語りかける御言葉の説き明かしなどは一切ありません。神殿での礼拝は祭司だけの儀式であり、民衆が参加するようなものではなく、民衆は祭司を媒介にして神に祈るだけでした。

第二は会堂いわゆるシナゴーグでの集会です。各地に設けられた会堂は、紀元前六世紀のバビロン捕囚の時代から始まったものです。主イエスの時代には、ユダヤのみならず、世界の何処であろうと、ユダヤ人10家族がいるところには、必ず造らなければなりませんでした。シナゴーグは、その地域の中心であり、祈りと御言葉の説き明かしの場でした。当時それを「礼拝」とは言いませんでしたが、実質的には、現在の私たちの教会での礼拝に極めて類似していました。会堂長が管理の責任を負い、律法学者たちが自由に御言葉を語ることが出来ました。毎週、安息日の午前中に集会が守られ、人々は律法とその説き明かしを聞くことによって、祖先アブラハムに告げられた神の約束を確信し、信仰の希望を強められました。生活が苦しければ苦しいほど安息日の会堂は豊かな慰めの場となり、地域活動の中心としての役割を果たしたので、神の民として生きるユダヤ人にとって最も身近で大切な「神の御心との触れ合いの場」であったと言えるでしょう。

主イエスは、このユダヤ人の会堂を新しい時代の始まりを告げる場としてお選びになったのです。限られた人々が定められた形式だけを守っている神殿ではなく、一週間の生活に疲れた人々が、新たな日々のために慰めと勇気を求めて集まって来る会堂、常に聖書の御言葉が語られ、御言葉を中心にして祈る人々の信仰が確かなものにされて行く会堂、「そこにおいて主イエスが語り始められた」ということこそ福音の始まりに最も相応しいとマルコは告げているのです。キリストの福音は、疲れた心、求める心に語りかけられます。

御言葉を聞かずには新しい日々へ向って行くことが出来ない人々に、主イエスは語りかけられるのです。

この主イエス・キリストの御言葉の中にこそ、安息日の真実の姿である「新しい時」の始まりを見ることが出来るのです。まことの安息とは、主イエス・キリストによって実現する「神の国」において与えられるからです。

マルコは私たちに「安息日の会堂」に眼を向けさせています。安息日とは何か、会堂とはどのような場であるべきなのかということ、それを問いかけているのです。

22節に「人々はその教えに非常に驚いた」とあるように、この日の会堂は人々の驚きで始まりました。この時、人々は主イエスのお話しになった何に驚いたのでしょうか。

しかし、マルコは、そしてルカも、この時の主イエスの説教について何も記さず、その内容は1章15節に「『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」とまとめられている以外何も分かりません。マルコは、人々の驚きの様子以外に主イエスの説教そのものを語りません。

安息日の会堂で行われていたのは、聖書の朗読であり律法学者たちによる説き明かしです。この時会堂で読まれていた聖書は旧約聖書でした。旧約聖書は人間の罪を指摘しています。罪を責める預言者たちの激しい言葉で満ちています。

預言者アモスは神の正義が人間に対し容赦なく迫ることを警告し、そして同時に預言者ホセアは、その罪にも拘らず、人間を見捨てられない神の愛を語っています。

このように御言葉の説き明かしを会堂で毎週聞いていた筈ですが、御言葉をあらゆることの中心に置いているユダヤの人々の心に、何の衝撃も驚きも感動も与えていなかったのです。人間の罪に対決する神の正義と愛が、何の感動も呼び起こさなくなった会堂での礼拝の虚しさが想像されます。このような礼拝は、ただ宗教的な言葉や表面的な解説の繰り返しに過ぎない、中身のない形式的なものでした。毎週の安息日は、形式的な礼拝によって宗教的な雰囲気を味わい、自己満足にふける程度のものでしかなかったと言えます。

御言葉は日々の生活のあり方や道徳を規定する世俗的な戒めになってしまっていました。

その中心に在るのは、もはや主なる神ではなく人間であると言わざるを得ません。日々の生活を支える言葉が適当に選び取られる場に過ぎなかったと言えるでしょう。律法学者たちは知恵と知識の全てを傾けて聖書を説き明かしたでしょうが、彼らが語る言葉は神の言葉ではなく、人間に仕える者としてのみ聞かれていたのです。

そしてそのことは、23節にあるように、この時会堂に「汚れた霊に取りつかれていた男がいて叫んだ」ことからも明らかです。この「汚れた霊」とは、聖書のいたるところに現れる「悪霊」と同じものです。

「汚れた霊」即ち「悪霊」を、古代の人々の迷信と軽んじてはいけません。当時の人々は、一切の悪の根源をなすものを人格化して「悪霊」と呼びました。聖書に出て来る「悪霊」とは、現代社会では精神病とか肉体の病気の一種とするでしょうが、大切なことは、「悪霊に取りつかれる」ということが人間の罪と結びつけて考えられていたことです。

旧約聖書のヨブ記4章7節にこのような場面があります。悪霊であるサタンの策略によって子供たちを含め、全てをの財産を失い、自分自身も悪性の皮膚病で苦しむヨブに対し、訪ねて来た友人エリファズはヨブにこう言うのです。「考えて見なさい。罪のない人が滅ぼされ、正しい人が絶たれることがあるかどうか」とあります。

当時のユダヤ人は、人間が神に対して罪を犯すと、神が怒り、サタンの攻撃に対する神の守りがなくなると考えていました。その結果として「悪霊に憑かれて苦しむ」のであり、全ての人間の苦しみ悩みは、その人の神に対する罪の結果だということでした。

確かに、「悪霊」とか「汚れた霊」という表現は古代人のものです。しかし、人間全ての苦しみを、神への罪と結びつけて考えるというユダヤ人の倫理性は、大いに学ぶべきところがあるのではないでしょうか。

ですから、23節の「汚れた霊に取りつかれた男」とは、現代的な表現で言えば、「神を認めないで生きる者」のことである言ってよいでしょう。

律法は完全性と清潔さを常に重んじて来ました。それ故に、安息日の会堂には、神の怒りを受けていると見做された身体の不自由な者、重い病気にかかっている者、罪人として忌み嫌われている者などは、入ることは許されませんでした。その「安息日の会堂に、汚れた霊に取りつかれた男がいた」というのですから、誰の眼にも分かる肉体的障害や心の病いに苦しむ者でないことは明らかです。表面的には、ごく普通の人でした。従って、「汚れた霊に取りつかれていた男」とは、姿かたちや行いにおいてではなく、「心の中で神を認めない人間」とみることが最も適切であるでしょう。

本当に恐るべきことは、「心の中で神を認めない人間」が会堂の中にいても誰にも分からないということです。悪霊に支配されている人間が会堂にいたのです。

神を信じない人間、御言葉を聞こうとしない人間、御心に従おうとしない人間。このような者が「祈りの場」である会堂にいました。それに誰も気付かず、その男自身、そこに違和感を感じなかったというのです。

神に逆らう者がいても何も起こらない会堂。何の反響も起こさない説教。それが果たして真実の礼拝と言えるでしょうか。人間中心的な、またこの世の人々と妥協した「耳障りのよい御言葉の説き明かし」が如何に無意味で虚しいものであるかを、ここに見なければなりません。

主イエスの御言葉を聞いた時、その汚れた霊に取りつかれた男は沈黙していることが出来なくなりました。今までどおり、居心地よく会堂の椅子に座っていることが出来なくなったのです。

24節で、その男は「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」と叫びました。真実の福音とはそのような力を持つものです。罪からの解放を告げるだけでなく、人間を苦しめるサタンがそこにいたたまれなくなるような力を持っているのです。

彼はこの時主イエスを「神の聖者」と呼んでいます。皮肉なことに、この言葉は他の誰よりも主イエスを正しく見ていることを示しています。また、彼は「かまわないでくれ」と叫びました。この言葉は、正しくは「私と何の関係があるのだ」という意味です。主イエスを神の子・聖者と認めながら、キリストとの関係を拒否し無関係に生きようとしているのです。

神の御子を認めながら、神の御心を否定してしまう自分自身に気付かない上に、その会堂にいる誰もがそのことに気付かないのです。会堂の礼拝の場が、「汚れた霊に取り付かれた男」にとって、居心地のよい場所であったということに驚かなければなりません。

25節に、主イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになったとあります。どのような時でも神の御心に従わない者の存在を主イエスはお許しになりません。主イエスは「出て行け」と言われ、「ここにいるな」と命じられるのです。

主イエス・キリストが語られる時、福音が明かに告げられる時、それを聞く人間には「そこに集まる者」と「追い出される者」との二通りしか有り得ません。神に従うか、罪の中を歩み続けるのかの分かれ道です。

主イエス・キリストは、私たちに完全な服従、新しい生き方のみを求められます。古い自分を捨てきれない者を断固として追い出されるのです。

27節には、「人々は皆驚いて、論じ合った。」とあります。ここでもまた、「人々は皆、驚いた」と記されているのです。彼らは「主イエスが悪霊を追い出した」ということに驚いていますが、私たちは、「キリストが『私のために』悪霊を追い出してくださる」ということに驚きをもって感謝しなければならないのです。

主イエスの御言葉が何を指し示して語られているかを聞き取らなければなりません。全ての造られたものの主、創造主なる「私たちの力を遥かに超えた」御方が、私たちに何を語られているのかを聞き取らなければならないのです。

万能の力を持つ主なる神が、「取るに足りない一人の人間に向けて御業を明らかにされる」ということに驚かなければなりません。

あの時、カファルナウムの会堂で始まった主イエス・キリストの御業は、今もここに続けられています。

あの日のカファルナウムの会堂で主イエスが語られた御言葉が今も語られ、あの時叫ばれた御言葉が今もこの成宗教会の礼拝堂に響いており、あの日実現した正しい礼拝の回復が、今、私たちの教会を支えているのです。

福音の物語、即ち、私たちの救いの物語は、「礼拝を正したキリストの御業に始まる」というマルコによる福音書の核心を、心して聞くべきでしょう。

お祈りを致しましょう。

<<< 祈  祷 >>>

私について来なさい

《賛美歌》

讃美歌152番
讃美歌224番
讃美歌494番

《聖書箇所》

旧約聖書:エレミヤ書 16章16節 (旧約聖書1,207ページ)

16:16 主は言われる、見よ、わたしは多くの漁夫を呼んできて、彼らをすなどらせ、また、そののち多くの猟師を呼んできて、もろもろの山、もろもろの丘、および岩の裂け目から彼らをかり出させる。

新約聖書:マルコによる福音書 1章16~20節 (新約聖書61ページ)

1:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
1:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
1:18 二人はすぐに網を捨てて従った。
1:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
1:20 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

《説教》『私について来なさい』

先週は聖書記者のマルコが先を急ぐように「すぐに…」という言葉を大変多く用いて、私たちが「神の時」に生きることについて語られました。

私たちは時の流れの中で生きています。昨日から今日へ、今日から明日へと向う時の流れの中です。そして今日を生きるということによって、常に新しい時に出会っていると言えるでしょう。現在とは、未来という時を過去に変えるものであり、毎日一つずつ卵を産む鶏のように、私たちは毎日過去を生み出しているのです。

過去とは古い時であり、既に背後に追いやられた時です。一方、未来とは「新しい時」であり、未だ誰も知らないことが起こる時です。その「新しい時」を如何に生きるか。それが私たちの課題と言わなければなりません。

もちろん、この「新しい時」とは自覚なしに迎える自然の時の流れだけを問題にするのではありません。自然のサイクルから言えば、朝、眼が覚めた時、「新しい一日が始まった」ということは事実です。

しかし、自分の生きざまを深く省みて問うならば、朝の目覚めにおいて出会う一日が、果たして「新しい一日」「新しい時」と無条件に言い得るでしょうか。

判で押したような日常生活の中で、何を「新しい時」と言うのでしょう。

2000年前のガリラヤ湖の湖畔で起こった、この出来事は、その「新しい時」への招待でした。

16節に「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。」とあります。そして19節には「また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れしているのを御覧になった。」とあります。

ここは、別のルカ福音書によれば、時は朝でした。シモンとアンデレは未だ朝の漁をしており、ヤコブとヨハネは一晩の漁で痛んだ網を繕っている、ガリラヤ湖の漁師たちにとって昨日と変わらない朝でした。

早朝まで魚をとり、陽が昇ったら漁を終え、岸に上がって明日のために網を繕う。そして昼間は休み、また日暮れと共に湖へ出て行く。これまで何年もの間続けて来た昨日と少しも変わらない同じ朝であり、一日の始まりでした。ガリラヤ湖の漁師として、父親もそのまた父親も、同じようにして過ごしたであろう生活がここに繰り返されているのです。

シモンにもアンデレにも、ヤコブにもヨハネにも、それぞれ夢や希望があったことでしょう。しかし、生活のためには大きな冒険は諦めざるを得ません。昨日と同じような今日を過ごし、明日もまた同じ仕事を続けて行かなければなりませんでした。そしてその日常生活の中で、ささやかな夢や希望をそれなりに実現して行く。これは私たち誰もが過ごしている人生です。

私は何時までこの仕事をしなければならないのか。何故、この仕事をしなければならないのか。私たちは、よくこのようなことを考えるのではないでしょうか。

そして、もしかすると、他にもっと生き甲斐のある良い仕事があるのではないか、とも思います。しかしながら、そう思いながらも、やはり、昨日と同じように、同じことを繰り返している自分を見出さざるを得ません。

朝、仕事に出かける時に、あるいは夫を送り出した後洗濯掃除に追われる急がしい時に、このような自分の姿を見出すことはないでしょうか。そこには「新しい朝」を迎える「新しい気持ち」は感じられないでしょう。

シモンもアンデレも、ヤコブもヨハネも、そのような朝を迎えました。誰もが迎える「昨日と同じ朝」それがこの場面です。しかしながら、その「少しも変わることのない昨日と同じであった筈の朝」が、突然、「全く新しい朝」になったのです。

そしてこの出来事において、「新しい時」というものが自分の思いとはまったく別に向こうからやって来ることを教えられるのです。

四人にとって、主イエスとの出会い、それが「古い生活」から「新しい生活」への転換を引き起こしました。16節にも19節にも「イエスが御覧になった」と記されています。「御覧になった」とはどういうことでしょうか。主イエスが漁師の仕事を物珍しく興味をもって見たということなのでしょうか。主イエスの眼差しは、彼らの仕事へではなく、その仕事をしている人間そのものに向けられているのです。「その人が何をしているか」ではなく、「その人がどのように生きているか」ということに向けられているのです。私たちが今、何をしているのか、何をしようとしているのかということに関りなく、常に、主イエスの眼差しは私たちの内面、心に向けて注がれているのです。

そしてキリストの眼差しを自覚した時、「新しい朝」が訪れるのです。シモンたちは誰一人として、その日、自分の生活を変えようとは思っていませんでした。与えられた環境の中で、ただひたすらに生きて行くことだけを考えていました。

しかし今や、彼ら自身全く考えていなかったことが始まろうとしているのです。

17節に「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう』と言われた。」とあります。「私について来なさい」。主イエスが新しい朝に語りかけるのは、この言葉です。「ついて行く」とは、ただわけも分からず「後ろからついて行く」ということではありません。原文を忠実に訳すならば、「来なさい、わたしの後ろに」、砕いた言い方では「おいで、私のあとに」となります。主イエスはここで、「来なさい」「おいで」と招いておられるのです。

それは、あのマタイ福音書11章28節の主イエスのお言葉、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と同じです。「わたしのもとに来なさい」と主イエスは招いておられるのです。その招きに応えて主イエスのもとに行き、主イエスの後ろについて歩んでいくのです。

よく「あの人の生き方にはついていけない」とか「あの人の考え方にはついていけない」という表現がなされます。また以前は、結婚式のときなど「夫を信じて何処までもついて行きます」などという覚悟が語られたものでした。このような表現は、ただ単に、表面的に追従することではなく、生きる営みを共にするということであることは言うまでもありません。

「私について来なさい」と主イエスが言われる時、それはイエスと共に生きる生涯への招きであり、キリストと共に人生の営みを全うすることへの呼びかけなのです。

主イエスは彼らに、「人間をとる漁師にしよう」と言われました。この言葉は直訳すると「人の漁師にしよう」であり、誤解されやすい面があります。「あなたがたは今、魚をとる漁師をしているが、魚よりも人間をとる方が尊い仕事だから、あなたがたを今よりもっと大事な働きをする人へと格上げしてあげる」という意味に理解してしまったら全くの間違いです。人間をとる漁師にするというのは、彼らが主イエスの後について行く者となることによって与えられる新しい歩み、それまでとは違う新しい人生が与えられるということです。「人間をとる」とは、主イエスが神様の独り子、救い主としてこれから成し遂げようとしている救いのみ業、それによって実現する神の国に人々を招き、人々が主イエスの救いにあずかって新しく生きることができるように導くこと、つまり伝道の働きを担う者となるということです。18節に「二人はすぐに網を捨てて従った。」、そして20節には「この二人は父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。」と実に驚くべきことが書かれています。仕事を捨て、家を捨てた人間がここに描かれているのです。

この物語を読む時、「誰が、本当に、このようなことを行えるのか」と、思ってしまうでしょう。しかも聖書には、「すぐにそうした」と記されています。

「すぐに」という言葉は先週も申し上げた通りマルコ福音書を特徴付ける言葉です。ただ、時間的速さだけで理解するのは間違いです。もちろん、主の呼びかけに対して応答を先に延ばす決断の弱さは責められなければなりません。

ここまで、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という主イエスのお言葉の意味を見てきました。主イエスは四人の漁師を静かに見つめ、このように語りかけて彼らをお招きになったのです。シモンとアンデレは「すぐに網を捨てて従った」と18節にあります。またヤコブとヨハネは「この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った」と20節にあります。

ここには二つのポイントがあります。

一つは、彼ら四人が皆、主イエスの招きを受けてすぐに従って行ったことです。もう一つは、「網を捨て、父と雇い人を舟に残して」とあるように、自分の大事なものを捨てて、また家族を離れて従ったということです。

私たちはこれを読むと不思議に思います。どうしてそんなにすぐに従って行くことができたのだろうか、また大事なものを捨てたり家族と別れたりできたのだろうか、と思うのです。マルコ福音書特有の「すぐに」ということは、あれこれ条件を確認したりせずに、ということなのです。主イエスについて行くとどうなるのか、こんな場合にはどうか、あんな時にはどうすればよいのか、などと一切質問をしていないということなのです。また、ついて行くことによってどういう酬いがあるのか、主イエスは自分に何を約束してくれるのか、という確認もしていないのです。また、ついて行くことができるように自分の状況を整えたいので、それまでもう少し待って、ということも言っていません。それらの条件を一切顧みることなく、つまりそれらのことを全て捨てて従ったのです。ですから先程二つのポイントと言いましたが実際は一つと言えます。それは「献身」という一言で言い表すことができます。

主イエスの弟子となるとは、主イエスに、そして神様に自分自身をお献げし、委ねることなのです。彼ら四人は献身したのです。そこに、彼らの人生の転換、それまでとは全く違う新しい歩みが始まったのです。

さらにこの主イエスの呼びかけは、個別性あることに注意しなければなりません。この主イエスの招きは、「そこにいる皆」とか「あなたがたの誰でも」というようなものではなく、はっきりと名指しされているのです。

20節で「彼らをお呼びになった」とは「名を呼ぶ」ということです。大勢の人々に向って語られた言葉に感動して「その中から誰かが従った」ということではなく、「この私に向けて呼びかけられた」ので、キリストの招きに従ったのです。

主イエスは私たちを、常に、一人の人格として扱って下さるのです。決して十羽ひとからげに扱うようなことはなさいません。

シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの決断を見るときに、名指しで召される主イエスの招きを、各自が個別の問題として考えなければなりません。ですから「よくも仕事を捨てられたものだ」「親を捨てることなど誰が出来るか」などと考える人たちは、既に聖書を読み違えていると言わなければなりません。仕事を捨て親を捨てたというのは、伝道者として召されたシモンたちの「この時」の応答の仕方なのです。

彼らは主イエスの召しにそのように応えたのですが、私たちの召しはシモンたちとは違います。私たちにはそれぞれ違う召しがあり、それぞれ独自な応答があるのです。それが個別性というものです。

「仕事を捨て、親を捨てた」という外面的なことに拘るのではなく、そのようなシモンたちの個別の問題の底に流れる普遍的なもの、私たちとの共通な特徴に眼を向けることが大切です。

昨日行ったことを今日もまた同じように繰り返して行くことを断ち切ることです。仕事を辞めたり、肉親の絆を切ることが必要なのではなく、それらの生活を続ける中で、無自覚に惰性的で生きることを止め、主の呼びかけに応え、キリストと共に生きる生活の中に飛び込んで行くことが大切なのです。

自分の喜びのため、自分の欲望のために生きることから、神様の喜びのために仕える人間に変わり、神様の喜びは自分のどのような生き方の中に求められているかを正しく聞き取るのです。

私たちもまた、今日の生活の中でキリストの招きを聞かなかったならば、決して新しい「神の時」である「新しい一日」を迎えることができないことを知るべきです。

主イエス・キリストはガリラヤの漁師を使徒としてお立てになりました。そして彼らは、主イエスの御言葉の前に服従したのです。その直前まで予想もしなかったこと、考えることさえなかった新しい生き方の中に飛び込んで行きました。

ここに神の召しの特徴があると言えるでしょう。自分の能力、性格、興味の対象など、人間的価値や判断はそこでは一切意味を持ちません。

「召しの相応しさ」とは、自分の姿を省みて足を止めることではなく、キリストへの信頼によって、自分の内にある日常性を乗り越えることなのです。

シモンもアンデレも、ヤコブもヨハネも、各人が持つ数々の欠点にも拘らず、使徒としての名を聖書に残しました。召された者は、その召しに応える生涯をもって、神様の選びの正しさを証すると言えるでしょう。私たちにとっての「新しい一日」とは、その神様の御業の証人としての目覚めでなければならないのです。この素晴らしい救いの恵みを未だ知らない人々に伝えていく者となっていくのです。そのみ業の前進のために必要な全ての条件は、神様ご自身が整え、与えて下さるのです。

お祈りを致しましょう。

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