つまずき

主日礼拝説教

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌122番
讃美歌448番
讃美歌502番

《聖書箇所》

旧約聖書:申命記 18章15節 (旧約聖書309ページ)

18:15 あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。

新約聖書:マルコによる福音書 6章1-6節a (新約聖書71ページ)

6:1 イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。
6:2 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。
6:3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
6:4 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
6:5 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。
6:6 そして、人々の不信仰に驚かれた。

《説教》『つまずき』

先週のマルコによる福音書5章36節で、主イエスは「恐れることはない、ただ信じなさい」とおっしゃいました。会堂長ヤイロはそのみ言葉を聞いて、主イエスと共に歩き続けたのです。いやむしろ、主イエスが歩き続けるので、よろめきながらその後について行ったというべきでしょう。主イエスの後について行くことは信仰を持って生きることを象徴しています。信仰に生きるとは、確信を持って堂々と力強く生きるということばかりではないのです。恐れを抱きつつ、絶望をかかえつつ、しかし主イエスが「恐れることはない、ただ信じなさい」と言って先頭に立って歩いていかれる、その主イエスに引きずられるようによたよたとついていく、信仰を持って生きるとはそういうことでもあるのです。むしろ私たちにおいてはそういうことの方が多いのではないでしょうか。

本日からの6章には、主イエスがご自分の故郷にお帰りになり、安息日に会堂で教え始められたこと、しかし故郷の人々は主イエスの教えを受け入れず、つまずいたことが語られています。最後のところに「人々の不信仰に驚かれた」とあります。主イエスの故郷の人々は、主イエスが驚くほどの不信仰に陥ったのです。

主イエスが公生涯に入られるまでナザレで暮らしておられたことはよく知られていますが、そこでの生活については聖書には殆ど記されていません。ナザレでの主イエスの姿を記すのは、マルコ福音書ではここだけですが、弟子たちもいない伝道の最初の時期、ルカ福音書によれば、初めてナザレで説教した時、町の人々は憤慨し「イエスを崖から突き落とそうとした」(ルカ4:28-29)とさえ記されています。ナザレは主イエスにとって、決して「心温まる故郷」ではありませんでした。

今日はそのナザレに、ペトロたちを連れて帰って来た話です。自分を崖から突き落とそうとした人々、気狂い扱いにした人々、自分を追い出した人々、その人々に神の御言葉を語るために、主イエスは故郷のナザレに再び来られたのです。

ナザレの人々はどうであったでしょうか。主イエスをお迎えするために用意して待っている町ではありませんでしたし、会堂に集まった人々も、主イエスの説教を聞きたくて来たわけでもありませんでした。

律法に忠実なユダヤ人は、安息日に会堂以外の場所へ行くのを禁じられており、必ず、全員集まるのが原則でした。また、会堂の集会は、説教者が決まっているわけではなく、管理者である会堂長、先週登場したヤイロも会堂長でしたが、会堂長がその都度申し出た人を説教者として奉仕することを許可していました。そのため、誰が説教者であるかは、集会が始まるまで分からないこともあったと言われています。

ですから、この日、町の人々は、「思いもかけない場所でイエスの説教を聞くことになった」のです。

2節から3節に、「安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。『この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである』と言われた。」とあります。

これが主イエスの御言葉に接したナザレの人々の反応でした。町の人々は「驚いた」と記されています。何に驚いたのでしょうか。あまりにも素晴しい説教に驚いたのでしょうか。それとも、自分たちに対して示された神の恵みの大きさに驚いたのでしょうか。

「驚いた」と訳されている言葉は、普通に用いられる「驚く」「びっくりする」という程度の言葉ではなく、「雷に打たれたような驚き」に用いられるものであり、大変な驚きを意味します。ここを岩波訳聖書では、「仰天した」と訳しています。彼らは何を感じたのでしょうか。

また、2節から3節にかけて三回も用いられている「この人」という言葉は、多少、軽蔑の響きのある言葉です。岩波訳聖書では「こいつ」と訳しています。下品な訳かもしれませんが、こちらの方が正確と思われます。

さらに、「どこから得たのだろう」とあるのは、意味から言えば、「どこから仕入れて来たのか」ということであり、決して、「何時の間にこんなに勉強したのか」というような「褒め言葉」ではありません。はっきり言えば、「こいつは、何処からこんな知恵を仕入れて来たのかと言って驚いた」ということであり、感心したのではなく、それどころか、「とんでもないことだ」という非難を込めた驚きでした。

ここで、主イエスが何を語られたのかは、記されていませんが、容易に想像することが出来ます。旧約聖書以来の預言の成就を語り、「神が定められた『時』、『救いの時』がやって来た」ということを告げたのです。

その福音の御言葉を聴きながら、人々は何故このような反応を示したのでしょうか。

「この人は大工ではないか」。これが彼らの呟きでした。ナザレの家はみな土や石で造られており、日本のように木材の豊富な土地ではありませんので、家を作る大工という職業はなく、家具や道具を作る職人であったと考えられます。しかしながら、間違っていけないのは、「職人であった」ということがこの時の人々の軽蔑の原因ではないということです。律法は全ての人に手に職を持って働くことを勧めています。ですから、当時の律法学者の多くは職業を持ち、働いていました。これは天幕造りという職を持っていたパウロの例からも明らかでしょう。主イエスの大工という仕事も認められることはあっても軽蔑される仕事ではありません。ここでは、職業云々ではなく、家族の名前が挙げられていることから、「それほどよく知っていた」ということであり、ナザレの人々は、主イエスのことも家族のこともよく知っていました。「私たちはみな、同じ仲間ではないか」と言っているのです。

私たちは、ここを読み、「身近な人は小さな欠点まで知っているので、まともに話を聞こうとしなかった」と理解しようとするでしょうが、それは完全な思い違いです。確かに、私たちにもそのような経験があります。

たとえば、私たちにとって、一番難しいのは家庭伝道ではないでしょうか。家族には日常生活の全てが知られています。朝寝坊はする、忘れ物は多く、そそっかしくて失敗ばかりし、ちょいちょい喧嘩もして破れ多い姿をさらしています。何を言っても、「偉そうなことを言う前に、生活態度を変えて欲しい」と言われ、そこで悔し紛れに、「預言者、故郷に容れられず」などと、いい加減なことを言うのがオチです。

私たちは、このような失敗を何度も繰り返していますが、それを主イエスに当てはめられるのでしょうか。

神の御子は、たとえ人となられても、私たちと同じ「人間としての弱さをさらけ出して生きた」と考えるのは大間違いです。視点を完全に変えなければなりません。むしろ、ナザレの人々に主イエスの生活態度を積極的に批判し得る者は「一人もいなかった」と考えるべきです。

彼らの驚きの理由はただひとつ、3節に記されているように、「我々と一緒に住んでいるではないか」ということ、即ち、「私たちと同じ町の人間ではないか」ということであり、「よく知っている仲間だ」ということです。そして問題は、まさにここにあるのです。

「同じ仲間」なら、何故いけないのでしょう。「同じ町の者」ということが、何故彼らにとって躓きになったのでしょうか。「躓いた」とは、動物が罠にかかるという意味の言葉に基づくものであり、この場合、人を神から遠ざける「障害物になった」という意味です。「何が」人を神から遠ざける障害になったのでしょうか。

彼らは、決してまともに聞かなかったり、初めから馬鹿にしていたのではありません。町の人々は、主イエスの説教から、明らかに自分たちとは違うもの、異質なものを感じ取っていたに違いありません。ですから、「授かった知恵」とか「奇跡」ということがここに語られているのです。今、彼らは「知恵」とか「奇跡」と表現できる「何か」に出会っているのです。人間の知恵、人間の力、社会での常識、それらを超える「何か」を感じたことは確かであり、これはまさに、衝撃的瞬間であった筈です。

かつて、ガリラヤ湖のほとりで漁師をしていたペトロは、一晩中漁をしても魚が獲れずがっかりしていた時に、主イエスの指示に従って網を入れたところ、舟が沈みそうになるほど沢山の魚が獲れ、御前にひれ伏しました。その時のペトロの言葉は「私は罪深い者です」という告白でした。これは、自分を遥かに超える方と出会ったとの自覚でした。「私は何と小さな者か」「私は何と愚かな者か」という自己認識は、常に、自分を超える方との出会いにおいて起こるのです。ガリラヤ湖で起こったことも、ナザレの会堂で起こったことも、同じものであった筈です。

しかしナザレの会堂では、その驚きが逆の方向に進んでしまいました。確かに、主イエスの説教は神の御心を説き明かす福音の宣言でした。人々のこれまでの生き方に対して、全く異質なことが語られていました。彼らはそれをはっきりと聴き取ったのです。ですから、表面的な知恵や、単純な奇跡そのものを問題にしているのではありません。

彼らは、主イエスと出会い、あのペトロが仰ぎ見た主イエスを、「不快に感じた」のです。ここが最大の問題点です。主イエスが語られた福音を、自分たちが仰ぎ見て、そこへ向う「高み」として受け止めたのではありませんでした。あまりにも異質なものに対する憤りであったとさえ言うことが出来るでしょう。

誰もが進歩を求め向上することを願います。より良いものへと変わって行くことを願います。しかしながら、その向上心は共通であっても、進歩に遅れてしまった者は、「自分も共にそこへ行こう」と考えるより、自分より進んでいる者を引き降ろすことに熱心になるのです。

私たちの心の中には、自分を超える者への恐れと不安が何時もあるのです。そしてその不安が、自分の現在の立場を守るために「新しいものへ進む」ことを拒むのです。ある人はそれを弱者の防禦本能と呼び、ある人はそれを「罪がもたらす人間の惨めさそのもの」と言っています。

主イエスの御言葉を聞いたナザレの人々が、他の町の人々と比べて特別に信仰が弱かったということではありません。むしろ、同じ時代の全ての人々のように、救いの実現を望んでいたことでしょう。ただその宣言が、自分たちと「同じ仲間」によってもたらされたことに我慢できなかったのです。

主イエスを「自分たちと同じ仲間」として見た時に働く、「自分たちと同じ立場に留まらせよう」とする意識が、そこにあるのです。主イエスが、御自分を「神の子キリスト」とお示しになった時、人々は、主イエスに「ナザレの大工」として留まることを要求しているのです。

もちろん、主イエスも、ナザレの人々を「御自分と同じ仲間」として見ていました。ただその見方がまったく違いました。

主イエスは、「みんな同じ仲間だから、父なる神のところに一緒に行こう」と語っておられるのに、ナザレの人々は、「お前は私たちの仲間だから、私たちのところに留まっていればよい。そんな偉そうなことを言うな」と嘲笑ったのです。

6節で主イエスは「人々の不信仰に驚かれた。」とあります。

不信仰とは、神の御言葉を自分の世界、自分のレベルへ引き下げてしまうことです。自分が御言葉によって変わるのではなく、御言葉を自分たちと同じレベルに引き下げ、自分たちの生活に合わせて「変えてしまおうとすること」、それが不信仰というものの本質です。

5節にある主イエスの「何も奇跡を行うことが出来なかった」とは、力を発揮出来なかったというのではなく、信仰なき者に対する主イエスの拒否です。自分から恩寵に心を開こうとしない者に対する裁きです。

キリストが私たちにかけてくださる「あなたがたは私の家族なのだ」と言う御言葉こそ、私たちが聞く新しい希望です。「私と同じだ」というのは、主イエス御自身が十字架の苦しみと復活を通して、初めて私たちに与えられた信仰の恵みです。私たちが気付かぬ間に、罪に支配されてしまうこの世界を、神の家に変え、「神の家族」を取り戻そうとする主イエス・キリストの御心を想わなければなりません。

「あなたがたは私の家族なのだ」。背を向ける人々にさえ、このように語り続けられる主イエスの御心を感謝して受け止める時、私たちは自分一人の思いから抜け出して、自分の大切に思う人、愛する人を主イエスと共に歩む「神の国」への道、「救い」へと誘えるのです。

お祈りを致しましょう。

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