「放蕩息子」のたとえ

《賛美歌》

讃美歌247番
讃美歌257番
讃美歌267番

《聖書箇所》

旧約聖書:イザヤ書 55章7節 (旧約聖書1,153ページ)

55:7 神に逆らう者はその道を離れ/悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる。

新約聖書:ルカによる福音書 15章11-32節 (新約聖書139ページ)

15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
15:23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
15:25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
15:26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
15:27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
15:28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
15:29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
15:30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
15:31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
15:32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

《説教》『「放蕩息子」のたとえ』

今日、示された聖書箇所はあの有名な『放蕩息子』のお話です。このイエス様ご自身による有名な“放蕩息子のたとえ話”は聖書の中でも『福音書中の真珠』と言われるほどに絶賛されている物語で、皆さんも何度も読み、お聞きになった筈です。今日は、この『放蕩息子のたとえ話』について再び考えてみたいと思います。

始めの11節にあるように『息子が二人いた』ことから、このたとえ話は「二人の息子のたとえ話」とも呼ばれていて、前半は弟の話で、後半は兄の話になっています。

二人の息子の年齢などははっきりとは分かりませんが、弟は10代後半から20代の年齢の独身の若者と考えられるます。続く12節で、弟が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言いだすと、父親は財産を二人に分けてやったのでした。この時代、父親が元気なのに「財産の分け前」を請求するのは異例の事と言えます。旧約聖書p.313の申命記21章16~17節に「長子権について」の記述がありますが、その通りにすると、兄の取り分2に対し弟に1の割合、この場合二人兄弟らしいので、弟は兄の半分の財産を分けてもらったことになります。しかし、後半の話から考えると父親は全ての財産を兄弟2人に分け与えてしまったのではなく、ここでは弟にだけ分け与え、兄には財産を分ける約束をしただけか、または、分け与えても父親が財産管理をしていた様に思われます。そして、13節には、「何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。」とあります。弟は折角譲ってもらった財産をすべて金に換えて家を出てしまいました。この「遠い国」とは父親なき世界、息子に対する父親の支配の及ばない国といった意味で、異邦人の地と考えられます。それはこの後の15節に出て来る家畜の「豚」がユダヤ人が汚れた動物として忌み嫌って、飼う事など決してなかったことからも「遠い国」が「異邦人の地」であると容易に想像できます。その異邦人の国で、弟は父親の目もなく、まったく自由気侭に遊び廻ったのでした。

しかし弟のそんな放蕩生活が当然長続きする筈もありませんでした。結果は14節に「何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。」とあります。弟は親から貰った財産を使い尽くした時、遊びや金が縁で出来た友人達は、誰も彼を助けようとしなかったのでした。そんな時にひどい飢饉が起こるとは、勿論予期出来なかったことです。そして、15節、「その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。」とあります。この『その地方に住むある人』とは、先程お話した様に明らかにユダヤ人ではない異邦人で、そのある人がユダヤ人の忌み嫌う『豚』の世話をさせたのでした。『豚』は、旧約聖書の時代からユダヤ人に最も忌み嫌われた不浄の動物で食べることはおろか、飼うこともしない動物でした。この様に、弟はユダヤ人の良家の子息が決してしない仕事であった『忌み嫌う動物である豚の世話』に従事する羽目になってしまった、つまり極端に落ちぶれてしまったわけです。ちなみに、現代のユダヤ人も『豚』は口にしないそうです。16節には、「彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。」とあります。この『いなご豆』とは、俗称「ヨハネのパン」とも呼ばれる豆で、貧しい人々は食用にする事もあったらしいのですが、ここでの強調点はそれが『豚の餌』である『豚の食べるいなご豆』だったという点です。現代に例えれば「ドック・フード」や「キャット・フード」などまだましで、忌み嫌う動物である『豚の餌』すらも食べたいと思うほどに空腹で、自分が「豚以下」であるという惨めさと、誰ひとりとして「助けてくれる人のいない孤独」を表しているのです。17節の初めに『我に返って』とあります。この時に弟の「悔い改め」が始まったと言えるのです。『我に返って』とは自分自身のその救い難い状態に目覚めると共に、彼の帰るべきところは『父のところ』だと気付いたのです。故郷の父の家は、『あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがある』と記されている様に、豊かに潤っていたのでした。そして、彼は18節から19節で、「ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と。」悔改めます。ここの、『父のところに行って言おう』以降は、明確な『罪』の告白です。この罪の告白は、自分が価値のない者であると認める「へりくだりの言葉」でもあるのです。そしてその言葉は、『あなたの子』として父親に甘えるのではなく、『雇い人のひとり』として父のために働こうと決意する「へりくだり」へと明らかに繋がっているのです。

弟の「悔い改め」に到るまでの前半部分を受ける形で、中盤が始まります。この20節から24節は「父の愛のたとえ」とも「待っている父のたとえ」とも呼ばれる部分です。父の深い愛を示していると言える聖書箇所です。20節で、弟は父のもとに帰る決意を実行に移すべく『彼はそこをたち、父のもとに行った』のでした。このたとえ話で、お分かり頂けるように「悔い改め」とは、神のみもとに立ち返ることなのです。20節の『ところが』からは、彼の父親への「悔い改めの告白」に先行する、この父親の大きな愛と赦しの心が描かれていると言えます。この父親の行動は、息子への赦しと交わりの完全な回復です。同じく20節にある『憐れに思い』とは、このたとえ話の非常に重要なキーワードです。この『憐れに思い』が父親の深い愛を現わすキーワードになっているのです。続く21節で、「息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』」と告白します。

ここで彼は用意した父親に対する「悔い改め」の言葉を言いますが、用意した『雇い人の一人にしてください。』という最後の「申し入れの言葉」というか、予め用意していた言葉の最後までは、父親は言わせませんでした。大きな父親の愛が悔い改めた過去の罪を赦し責めなかったのです。そして、22節で、「父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。』」と言います。ここで、父親は、“自分勝手に出て行った放蕩息子”として責めるのではなく、愛する自分の子として扱っています。ここで父親の指示した『いちばん良い服』を着せることは、その社会的地位、家族としての地位を回復させることを現わしています。そして、『手に指輪をはめてやり』は、当時は印章にも用いる指輪であり、当時の権威を表すものと言えます。そして、『履物』は、当時は奴隷や僕は履物を履かなかったことから、身分の回復であると言えます。

そして、息子の帰還を喜ぶ父親は祝宴を開く決心をする23節へと移ります。ここでは、父親の喜びが、この後の24節にある「祝宴」という言葉によって表現されていると言えます。この『肥えた子牛を屠る』とは特別なもてなし用に飼育された子牛のことで、父親の開いた祝宴の盛大さ・大切さを物語っているのです。そして、父親自身によるこの『祝宴』の開催理由の説明がされています。『死んでいたのが生き返り』とは、勿論本当に死んだのではなく、象徴的な意味で、“霊的に死んでいた”と言えば分りやすいでしょう。そして『死んでいたのが生き返り』は、それぞれ次の『いなくなっていたのに見つかったから』と対句をなしていると言えましょう。

弟が家を出て放蕩して失敗する前半部分、悔い改めて父親のもとに戻ってくる中盤部分を受けて、この最後の25節から32節は兄のたとえ話となります。24節までの弟のたとえ話では、父なる神が、悔い改めて父なる神のみもとに帰って来る罪人を喜び迎えて下さることを語っていることは明らかと言えましょう。続く25節以降で兄が登場し、彼の気持ちが語られるのはどうしてでしょうか。そこにも、父なる神の御心を知るための大切な教えが語られているのです。

ここで、『畑』にいた兄が帰ってきますが、何かの手違いなのか、喜び過ぎた父親がうっかり忘れたのか、働き者の兄には、弟が戻って来たので、父親が祝宴を開くとの知らせが届けられませんでした。少々奇妙な話ですが、その明確な理由はここでは語られていません。そして、知らされていなかった兄は祝宴が開かれている理由が分らずに、家の外に僕のひとりを呼び出して、何事が起きているのか聞いたのでした。すると、「僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』」とあります。兄に家の外に呼ばれた僕が祝宴の理由を『[あなたの]弟さん』が帰還したことを告げ、『[あなたの]おとうさん』が開いた喜びの祝宴ですと説明しました。兄はここで始めて弟が帰って来たことを知ることとなりました。すると、父親は兄に事前に説明してなかったことを思い出したのか『父親が出て来てなだめた』とあります。この父親の姿は、先程、弟を出迎えた父親の姿と同様に、兄にも丁寧に、愛情深く対応していると言えます。そして、兄が自分の思いを訴える場面です。

ここでは、兄の父親に対する不満と批判の言葉が綿々と連ねられています。この兄の言葉には父親への感謝と尊敬の念が欠けていることは明らかです。また、言葉だけの問題かもしれませんが、弟が父親に21節にある様に「お父さん」と呼びかけるのに対し、兄はその「お父さん」という呼びかけの言葉を発していません。兄は形の上では父親のそばにいて父親を大いに助けていたのでしょうが、父親を敬ったり、大切にしたりはしていなかったとも考えられます。兄は、ここで父親に対して、『長年父親に厳格に仕えたのに、何もくれなかった』と大いに不満と批判をしています。そして、弟に関しては『娼婦どもと一緒に父親の身上を食いつぶした』と断罪と軽蔑の言葉を向け罵(ののし)っています。兄にとっては、父親との大切な絆は、愛に基づく信頼ではなく、『仕えること』と『言いつけを守ること』でしかなかったのだと言えます。ここで使われている『仕える』とは「奴隷として仕える」という意味の言葉です。つまり、兄は自分の父親に対して「息子」の様にではなく「僕」のように忠実に父親に仕えてきたと訴えているのです。この兄は『何年もの間、自分は親の「奴隷」だった』とでも言うかの様に訴えているのです。また、ここで、兄が貰えなかった『子山羊1匹』とは、弟のために屠った『肥えた子牛』に比べはるかに安いものなのに、父親はそれすら自分にくれなかったではないか、と父親をなじっているわけです。この兄の心の動きは、弟を「私の弟」と親しく呼ばずに『あなたのあの息子』と他人行儀に呼んでいることからも推し量る事ができます。そして、31節以下です。

この冒頭で、父親は兄に「子よ」と呼びかけています。父親にとっては兄もまた当然「子」であって、決して「奴隷や僕」ではありません。この父親は、「父よ」と呼び掛けなかった兄をとがめずに『お前はいつもわたしと一緒にいる』ことの幸いに気付かせようと話し掛けているのです。そして、更に全財産を兄にやるつもりだとまで告げているのです。父親は兄を愛してこの様に、重ねて説得するのですが、兄には父親の愛がまったく分ってないと言えます。続く最後の32節で父親の言う『お前のあの弟』は、30節の『あなたのあの息子』と対照的に「弟は私の息子であると同時に、おまえの大切な弟なんだよ!」と言う父親の気持ちを込めた言葉と言えます。そして、その大切な弟が帰って来たことを喜ぼうという大きな愛が教えられ、兄に語られているのです。

この物語のテーマは、人の罪を赦して、温かく迎えてくださる、父なる神の愛です。

創造者である父なる神に創られた『被造物』でありながら、その被造物であることすら忘れた「罪人」である我々人間が『悔い改め』て、神のみもとに立ち返るのを、父なる神は待ち望んでおられるのです。この『放蕩息子のたとえ話』にある様に、迷える子羊である人間は、父なる神の救いを必要としているのです。

しかし、「福音書中の真珠」とまで称賛されているこの物語にはしっかりと「兄の話」が語られていることを私たちは忘れてはなりません。弟として父なる神の愛をしっかりと受けた筈の私たちクリスチャンは、救われて月日を重ね、ややもすると「兄」となってしまってはいないでしょうか。キリスト・イエスの十字架の救いに与かり洗礼を受けた我々クリスチャンは、ついつい「兄クリスチャン」になって、「弟クリスチャン」を見下し、裁いてしまってはいないでしょうか。

「放蕩息子」であり「弟」であった私たちが神様に救われて喜んでいるうちは幸いですが、年月が経って行くに従って「兄」となってしまうのではなく、益々ヘリ下って、御子に似たものに砕かれます様、祈り求めましょう。

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