怒る主イエス

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌Ⅱ-57番
讃美歌9番
讃美歌23番

《聖書箇所》

旧約聖書:コヘレトの言葉 3章19-20節 (旧約聖書1,037ページ)

3:19 人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、
3:20 すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。

新約聖書:マルコによる福音書 3章1-6節 (新約聖書65ページ)

◆手の萎えた人をいやす

3:1 イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。
3:2 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。
3:3 イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。
3:4 そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。
3:5 そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。
3:6 ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

《説教》『怒る主イエス』

本日からは、マルコによる福音書の3章に入ります。最初の1節に「イエスはまた会堂にお入りになった」とあります。1章の21節以下に、主イエスがカファルナウムの町の会堂に入って教えたことが語られていました。そして1章39節には、主イエスがガリラヤ中の会堂に行って教えを宣べ伝えたとあります。主イエスはガリラヤ地方で伝道の活動を始められたのですが、最初の頃にはあちこちの会堂で教えられました。会堂とはシナゴーグと呼ばれ、ユダヤ人が安息日ごとに集まって神様を礼拝し、律法の教えを聞く所です。主イエスはその安息日の礼拝に出席して、そこでお語りになったのです。

この日の会堂には、「片手の萎えた人」がいました。主イエスが話をしておられる、その礼拝、集会の場に、障碍を負って苦しんでいる人がいたのです。そこに集まっていた人々は、主イエスがこの人を見てどうなさるかに注目していました。2節には、「人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた」とあります。主イエスと弟子たちは安息日の掟をきちんと守っていない、という批判が高まってきていたのです。そういう中で、人々は主イエスが安息日に、この「片手の萎えた人」を癒すのかどうかを注目していました。それは「イエスを訴えようと思って」のことです。主イエスが癒しをされたら、安息日にはしてはならないことをしていると訴えよう、という悪意をもって注目していたのです。

ところで、安息日に人の病気を癒すことはしてはならないことなのでしょうか。当時の律法学者たちの見解においては、命の危険がある病気や怪我の治療は安息日にも行ってよい、とされていました。しかし今すぐ治療しなければ命に関わるのでない、明日まで待つことができる治療行為は、安息日には休まなければならない「仕事」に当たると考えられていたのです。普通の医院は休みだが救急病院はやっている、というのと同じです。この人が、「片手の萎えた人」だったと語られていることにはその点で意味があります。これは、今すぐどうにかしなければ死んでしまうという状況ではないということです。安息日はその日の日没には終わるのですから、数時間待って、日が暮れてから癒しを行えば、安息日の掟にひっかかることはないのです。今この会堂での安息日の礼拝の中でこの人を癒すというのは、当時のユダヤ人たちの感覚では、律法を意図的に破ることを意味していたのです。

 

まさに、主イエスご自身もまさに意図的にそれをなさったのです。3節に「イエスは手の萎えた人に、『真ん中に立ちなさい』と言われた」とあることから分かります。この人をわざわざ会堂の真ん中に連れ出したのです。それはある意味では残酷なことです。片手が萎えているという障碍を負って生きているこの人は、ただでさえ人々から好奇の目で見られ、つらい思いをしてきたのだと思います。なるべく人前に出たくない、人々に自分の姿を見られたくない、というのが、この片手の萎えた人の思いだったのではないでしょうか。それを、多くの人々が集まる安息日の会堂の真ん中に立たせるなんて、主イエスはなんと思いやりのないことをするのだ、とも感じられるかもしれません。

加えて、当時の人々が病気や身体の障害について持っていた特別な意識を理解しておく必要があります。これまでもお話ししましたが、当時の人々は、幸福が神からの賜物であると信じた反面、不幸、この場合身体に障害があること、そこに神の怒り・裁きを指摘し、苦しみは神の怒りの現れであり、「その惨めさの中で罪の悔い改めをしなければならない」と教えられていました。幸いを与えて下さる神が苦しみを与えたとするならば、それ相応の理由がある筈であるとしたのです。これはまことに残酷な考え方であり、病気・障害の苦しみという肉体的苦しみに、更に精神的な苦しみを加えるものと言えるでしょう。

神の罰を受けていると見做されている人が、この時、会堂に居たのです。もちろん、不自由な手を癒してもらうために来たのではありません。定められた日に御言葉を聞くために、肩身の狭い思いをして、会堂の隅にいました。

会堂の席は、長老を筆頭に、律法学者・ファリサイ派の人たち、そして地域の人々が席を占め、「罪人」と呼ばれ差別されていた人々は一番後ろとされていました。長年の病気や肢体の障害で苦しむ人々は、礼拝においても人々の眼を意識しなければならないのであり、会堂に入ること自体、既に苦痛であったでしょう。会堂に来ることに喜びが見出されなかったと思われます。

会堂とは神の御言葉を聴く場所であり、神の御心を求めて祈る場所です。語られる御言葉を通して神の愛が満ち溢れる場です。その安息日の会堂で、彼らは主イエスを「訴えよう」と伺っていたというのです。2節にある「イエスを訴える」とは「告発する」ということです。同じく2節の「注目していた」という言葉は「悪意をもって様子を伺う」という意味です。「訴える」根拠は「安息日に肉体の苦しみを癒す」ということでした。彼らの主張は、「安息日の癒しは神に背く行為である」ことだからです。

しかしながら、聖書には「安息日を聖別せよ」とは記されていますが、「安息日に病気を癒してはならない」とは書かれていません。「安息日には神との交わりを重んじよ」これが律法であり、御心です。その安息日の会堂を、形式だけを厳守して、神を讃美する場を裁きと憎しみの場に変えてしまった人々こそ、安息日を汚したと非難されるべきでしょう。

 

主イエスの御言葉は人々にとって意外なものでした。人々は「イエスが密かに何かをするかもしれない」と見守っていたのであり、どんな小さな過ちでも許さないという気構えで注目していたのです。しかし主イエスは、会堂に満ちた人々に本質を示される道をお選びになました。

主イエスは、その男に「真ん中に立ちなさい」と言われました。父なる神の御心が「ここに立っている不幸な男を見放したままで有り得るのか」。それを主イエスは人々に問い掛けられたのです。

そして、続く主イエスの御言葉の「善を行うこと」と「悪を行うこと」。「命を救うこと」と「殺すこと」、このどちらが良いかと問われ答えられない人はいないでしょう。誰にでも分かることです。極めて簡単明瞭であり、ファリサイ派の人々も律法学者たちもこのことを教えて来た筈です。しかし、「彼らは黙っていた」と記されています。この沈黙は何でしょう。「善を行うこと」「命を救うこと」。「それらが良いことである」と知っていながら、はっきり言えない人々、それがここに集まっている人々の姿なのです。

もし、単なる理屈であるならば、彼らは雄弁に答えることが出来たでしょう。ファリサイ主義は議論を重んじ、律法学者たちは聖書の引用によって神学を展開する専門家です。

しかし、主イエスは神学議論をしようと言っているのではありません。片手の萎えた男を真ん中に立たせ、「この男の姿を見ながら答えよ」と迫っているのです。善について語れ、愛について語れ、救いについて語れ。そういうことではなく、「今、ここで、行うべき正しい業は何か」と問い掛けておられるのです。

主イエスが「見よ」とおっしゃっているのは、「神の赦しを必死に求めている一人の人間」のことです。この人の苦しみに対し、この人の祈りに対し、今、何をなすべきであるのかということです。「手が不自由なら手を治してやればよいではないか」ということではありません。「障害を癒してやればよい」ということでもありません。それは、医師の務めです。

安息日の朝、この場に来た人々は神の御心を聴くために集まり、神の栄光を祈ろうとしている筈です。それならば、栄光の主の御前において、苦しむ者と共に祈り、神の慰めが与えられることを願うのが「安息日に相応しい信仰者ではないのか」ということです。

真実に神の御前に平伏し、御心に従い、神の愛を信じ、苦しむ人と心を共にする時、一刻も早く平安が回復されることを望むのが、安息日に生きる人間ではないでしようか。身体の障害の問題ではなく、罪の重荷を背負わされている人の苦しみを、自分の苦しみと思えなくなっている心が問われているのです。会堂に集まっている人々の心に、この人の苦しみがどのような形で伝わっているのでしようか。主イエスは、ファリサイ派の人々の姿が「形式に囚われている」ということだけを非難しておられるのではなく、「今、心が、本当に、神に向けられているか」ということを厳しく問い掛けておられるのです。

 

4節で主イエスは、「安息日に律法で許されているのは、どちらか?」とは、「私たちはどう思うか」「あなたはどう思うか」という判断を求めているのではありません。「神は何を望んでおられるのか」という信仰の根源の問題を問われているのです。ファリサイ派の人々の沈黙はこの問いへの沈黙であり、神の御前にあって、「神を見ようとしない姿」と言わなければなりません。それ故にこの沈黙は、神と人間との恐ろしい断絶を表すと言うことも出来るでしょう。そしてこの断絶は、今日に至るまで私たちと神の間に続いているとも言えましょう。

 

5節で、「イエスが怒った」と記されていますが、主イエスが怒られたのは聖書ではこの場面だけで、他に10章14節に「憤る」という言葉があるだけで、主イエスは極めて温厚な方でした。ここで明らかにされた主イエスの怒りは、人々の答えが間違っていたとか、答えようとしなかったからではありません。神を仰ごうとしない人間の頑なさに対する怒りです。御心を考えるべき時、神の判断を仰ぐべき時に神の判断を仰ごうとしない人間への怒りです。それは、人間に対する愛を貫き通そうとする、神の御心に背を向け続けている者への神の悲しみの怒りです。

主イエスは、集まった全ての人々を慈しみの眼差しで見詰めておられるのです。律法を読みつつもそこに込められた神の御心を見ることが出来なくなってしまった人々に、神の愛、神の御心が、人間の苦しみをこれ以上放置し得ないということを、この癒しの奇跡を通して示されたのです。病気を癒す力があることを誇示するのではなく、父なる神は、何時如何なる時でも人間の苦しみに対して敏感であり、救いに篤く、「明日まで待つ」などとはお考えにならないということを示しているのです。

 

最後の6節に出て来るヘロデ派の人々とは、福音書の中に3回出てきます(マタ22:16、マコ3:6、12:13)が、ヘロデ王朝を支持する利権を握ったユダヤ人の団体で、ローマ帝国の支配を背景に、ヘロデ王家のユダヤ支配を望んだ人々で、極めて政治的色彩の強い団体でした。信仰を軽視し、礼拝生活を重んじない政治グループです。この安息日の会堂にも居なかった筈です。安息日厳守のファリサイ派から見れば、とんでもない人間の集まりであり、ファリサイ派の人々が敵視する集団です。ファリサイ派が会堂から出て、そのヘロデ派と相談したとは何たることでしよう。敵の敵は味方同士というべき、神に心を向けず、キリストの御言葉に従わない人間は「会堂の外において一致する」という現代に通じる姿を示しており、彼らの一致は、「キリストを抹殺しよう」ということでしかないのです。

 

安息日に関する一連の論争は、このようにして、人間の罪の深さと惨めさとを隠すことなく暴露して終わりました。主イエス・キリストの愛を踏みつける人間の姿が、神様が定められた一番大切な日に、一番大切な場所で顕わにされたのです。

この物語、論争の終わりが、「会堂に留まる主イエス」であり、「会堂から出て行くのが反対者である」という6節は、実に暗示に富んでいると言えるでしょう。父なる神より遣わされた主イエスが居られるところに、そして主の御言葉のあるところに、この教会にこそ、私たちの留まる場はあるのです。

神の御心を求める者の傍らに、主は必ず共に居て下さるのです。

キリストと共に会堂に留まる時、永遠に変わらず注がれている神様の愛が、私たちを支え続けるのです。

お祈りを致しましょう。

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