生きる目標

主日礼拝説教

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌23番
讃美歌191番
讃美歌494番

《聖書箇所》

旧約聖書:創世記 22章1-14節 (旧約聖書31ページ)

22:1 これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、
22:2 神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
22:3 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
22:4 三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、
22:5 アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
22:6 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
22:7 イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
22:8 アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
22:9 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
22:10 そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
22:11 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、
22:12 御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
22:13 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
22:14 アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。

新約聖書:マルコによる福音書 9章30-32節 (新約聖書79ページ)

9:30 一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
9:31 それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。
9:32 弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。

《説教》『生きる目標』

本日の聖書箇所は、主イエスご自身による二回目の受難の予告です。マルコによる福音書は、受難予告を三度も繰り返すことによって、何を語ろうとしているのでしょうか。

最初は8章31節でした。その時、主イエスがはっきりと語られたことに対して弟子たちは何も分からず、かえって「サタン、引き下がれ」と叱責される始末でした。二回目が本日の聖書箇所で、ここでは、最後の32節で、「この言葉が分からず、怖くて尋ねられなかった」と記されています。三回目は10章32節以下で、予告が最も詳しく語られたにも拘わらず、先頭に立ってエルサレムへ向かう主イエスの毅然たるお姿に、弟子たちは、「驚き、恐れた」とあります。十字架へ向かわれる主イエスの凄まじい気迫に圧倒されている弟子たちがそこに描かれています。

主イエスと弟子たち一行は、これまでユダヤ人居住地の北の外れフィリポ・カイサリアに居ました。ペトロの信仰告白がなされ、山上の変貌という大いなる出来事が起こったのもここでした。しかしこれから、主イエスは一気に南のエルサレムへ向かって進まれるのです。「そこを去って、ガリラヤを通って行った」とは、「通り過ぎて行った」の意味です。エルサレムへ向かう主イエスの視線には、もはやガリラヤはなかったのです。

ガリラヤは、主イエスがお育ちになったところであり、親しい人々が沢山おり、福音を語られた最初の場所、力ある業を最も多く為されたところでした。そして、弟子たちの殆どはガリラヤ出身であり、一行にとって、懐かしい故郷でした。

しかし今、主イエスはそこを通り過ぎて行かれたのです。主イエスを必要とする人々がもういなくなったのでしょうか。主イエスは、ガリラヤ地方に対する愛着を捨ててしまわれたのでしょうか。

確かに、反対者たちの妨害活動は次第に激しくなって来ました。しかし、遥か北のフィリポ・カイサリア地方でさえ、噂を聞いて多くの人が集まったことを考えると、ガリラヤの人々は益々主イエスを求めていた筈です。素晴しい御言葉、力ある御業を追い求めて、人々はなおも集まって来たに違いありません。これらの人々に対する主イエスの愛と憐れみが「冷めてしまった」などということは全く考えられないことです。

それでは、何故、主イエスは、この愛すべき故郷ガリラヤを通り過ぎて行かれるのでしょうか。

 

私たちの人生にも、さまざまな状況があります。自分を受け入れてくれる温かい場もあれば、まったく顧みられない場もあります。それどころか、「あなたには居て欲しくない」といった苛酷な場さえあるでしょう。様々な場で、私たちは生き続けます。そして、その幾つもの場の中で、自分に最も適合した場を選び取ろうとするでしょう。

自分を受け容れてくれる場、自分の能力を活かせる場、快適に過ごせる場を、生涯の働きの場として「選び取ろう」と考えます。もちろん、そのような場に恵まれるかどうかはまったく別な問題ですが、私たちの「願い」であることに間違いありません。職業を転々と変えたり、職場の不満を呟き続ける人々、その様な人々は、大抵「私には向いていない」「私には合っていない」と言います。

しかしながら、主イエスは、今、御自分に最も適した働きの場に背を向けられました。幼い時代を過ごしたナザレを除いて、他の殆どの場所で、常に大勢の群衆に囲まれ歓迎され続けていました。この華やかな時代を「ガリラヤの春」と呼ぶことが出来ます。それにも拘わらず、その場を棄てられたのです。30節に、「人に気づかれるのを好まなかった」とあります。誰にも会おうとはされなかったのです。

領主ヘロデの迫害から逃れるため足を速めていたのでもありません。共に歩む弟子たちが、口を挟むことさえためらう程の厳しい御顔で前方を見詰めておられたのは、御自身に与えられた生涯の目標をはっきりと見詰めておられたからです。もはやガリラヤに「留まるべきではない」と見極めておられたからに他なりません。

人生において、目的と手段を混同してはならないことは言うまでもありません。私たちの日毎の生活の全ては、目的を達成するための手段です。毎日繰り返される生きる努力は、今与えられている生命の日々に於いて「何を明らかに示し得るか」というための手段であり、目的に至る一段階に過ぎません。生活が目的そのものではなく、日常の生活は、主が与えて下さった人生の究極的目標を実行して行くための場なのです。ですから、そこで大切なことは、その状況が「如何に自分に合っているか」ということではなく、また「どれほど受け容れられているか」ということでもなく、キリスト者にとって、「私は何を為すべく生かされているのか」ということを考えるべきです。

 

皆さんは、アルベルト・シュヴァイツァーという人について良く御存知でしょう。アフリカで医療と伝道に生きノーベル平和賞を受賞した彼は20世紀の偉人として児童向けの偉人伝には必ず登場します。彼は、神学者としても第一級の学者でした。特に大著である「イエス伝研究史」は、現在でも新約学を学ぶ者に必読の書物です。また、音楽家としても第一級の才能を持つ人で、特にバッハ演奏家としてヨーロッパでは有名でした。

しかし彼は、その栄光を捨て去りました。アフリカに赴き、一病院の院長として働きました。それを、「必ずしも成功とは言えない」と批評する者も居ます。或いはそうであったかもしれません。しかしそれは、キリストの福音を聴いた一人の人間としての彼の決断でした。彼もまた、御心に従って、この世的には自分の能力を最も評価されると思われる場を、自分から棄てた人間でした。そして御心に従う人生には、このような決断が、常に有り得るのです。

 

キリスト者にとっては、自分の生活がどうか、自分の気持ちがどうか、というだけではなく、「主なる神が、今、私に何を命じられているのか」を考えることこそが大切なのです。そして、御言葉を真正面から受け止めた時、それまで最も快適であった場が、実は「通り過ぎるべき場」であったことに気づくのです。

31節で、主イエスは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」とハッキリと語られました。

主イエスの眼差しは、周囲の人々への愛と憐れみに満ちていました。その御業で示された、「真実の愛に生きること」「苦しむ人々への徹底した憐れみとしての癒し」「虐げられ、疎外されている人々の仲間になること」、その全ては、御子キリストが、自らの行いで示されたことでした。

しかし、主イエスが示された愛の御業は御子キリストの本当の目的ではありませんでした。神の独り子が栄光の御姿を棄て、自ら人として世に来られた目的は、罪の中に苦しむ者を救出するために、贖いの御業を実現することでした。それだけが、御子がこの世に来られた目的であり、弟子たちとの旅の途上で語り続けて来られたことはこのことであったのです。

今、主イエスが、父なる神より託されたこの使命を全うするために、御自身のこの世に於ける最大の目標へ向かわれるために、敢えて、愛する人々、主イエスを必要としている人々を残されるという厳しい決断を、ここに見なければなりません。

32節には、弟子たちはこの言葉が分からなかったが、「怖くて尋ねられなかった。」とあります。

何が怖かったのでしょうか。直前に、「この言葉が分からなかった」と記されています。弟子たちは、十字架へ赴かれる神の独り子の使命を悟ることもなく、受難の必然性など考えてもいませんでした。弟子たちは、「コトの本質」を全く理解していなかったと言うべきなのです。とするならば、この時の弟子たちの「怖くて尋ねられなかった」原因は、エルサレムへ向かわれるう「主イエスの御姿そのものにあった」、と見ることが出来ます。

神に従う決断は、神の命に服してモリヤの山で息子イサクを献げるアブラハムにも見られます。自分の生涯のすべて、生き甲斐のすべて、人生のすべてをそこに賭けるのです。「愛する人々」と「愛する場」に訣別を告げる決断は、決して簡単なものでは有り得ません。

エルサレムへ向かわれる主イエスの毅然とした御姿は、弟子たちの眼には、このアブラハムの姿のように見えたのではないでしょうか。他の何者も介入することを許さない決断の厳しさを、そこに見た筈です。

受難予告を聞かされた弟子たちの沈黙は、この主イエスの決断に「ついて行けなかった」ことを示しています。弟子たちと主イエスとの間には、超えることの出来ない大きな隔たりが存在していました。

その隔たりとは何でしょうか。それは、人間が「何に仕えているか」ということによって決まるのです。

「自分の生涯の目標を何に向けているか」という違いが、人と人との隔たりを造るのです。そして私たちはその人の目標へ向けての決断が理解出来ない時、「私はもうこれ以上あなたについて行けない」と呟くのです。

弟子たちが抱く主イエスへの期待が、彼ら自身の「この世的関心にしかなかった」ということは、これまで繰り返し学んで来た通りです。弟子たちは、主イエスの「十字架の贖いの御業」を考えも付きませんでした。彼らは、この世に於ける名誉と誇りを求めていました。彼らなりの「栄光のメシア」と言ってもよいでしょう。そして「栄光のメシア」は、主イエスの下に集まって来た全ての人々の期待でもありました。主イエスもそのことは知っておられたでしょう。人々の求めが何であるのかを、十分知っておられたに違いありません。

しかし、主イエスは決して弟子たちや多くの群衆の求めに妥協されませんでした。何故なら、主イエス・キリストは、「従うべき方は、どなたであるか」ということを、はっきりと認識しておられたからです。

受難予告は、既に8章31節でも記されていました。十字架と復活は、単なる未来のひとつの可能性として語られたのではなく、『そうなることに決まっており、それ以外ではあり得ない』という「神の御心の必然」、信仰のdei/:デイであるのです。それ故に、人々にではなく、父なる神に仕える道の厳しさを、主イエスはここに示しておられると理解すべきでしょう。

 

今、私たちは、このような主イエス・キリストの御姿を見るとき、私たちもまた、自分の生きる道筋を見極めることの重要性を、教えられるのではないでしょうか。主に従う旅の途上に自分を見出さなければなりません。主と共にその道を行く時、神の御子が生涯を賭けて獲得して下さった永遠の生命を、生きる目標として選び取るのです。

周りの人々にではなく、自分の心にでもなく、ただ神の御心にのみ仕えて行く生涯が、主イエス・キリストによって開かれていることをここに確信すべきです。御心を悟らない人々が恐れるような、毅然とした生き方が、キリスト者には必要であり、可能なのです。その生き方は、キリスト者でない人々には理解できない生き方とも言えましょう。

私たちは、この世界に永遠に留まるものでもなければ、墓石の下で終わるものでもありません。御子キリストによって罪が贖われ、神の御許に於いて永遠の生命を生きるべく、召されて行くのです。

「救われた者」として、棄て去るべきものに心惑わされることなく、通り過ぎる場に心囚われることなく、主によって備えられた一筋の信仰の道を、ただ、ひたすらに歩むべきです。

そして何より、家族を始め、自分の愛する周りの人々から捨て去られる人々が出ないように、共に「救われた道を歩む者」として「永遠の生命」を目指さなければならないのです。

お祈りを致します。