イースター(復活日) CS合同礼拝 (2021年4月4日 № 3747)

受付:興津晴枝
司会:齋藤 正
奏楽:吾妻愛子
前奏
招詞
讃美 147
主の祈り (ファイル表紙)
使徒信条 (ファイル表紙)
交読詩編 13078節(交読詩編p.149 [赤司会・黒一同]
祈祷
讃美 500
聖書 イザヤ書 1216 (旧約 p.1,079)
マタイによる福音書 28章1-10節 (新約 p.59)
説教
「キリストの復活」
成宗教会 牧師 齋藤 正
讃美 148
聖餐式
献金 547 齊藤 紀
頌栄 543番
祝祷
後奏

 

正しさとは何か

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌66番
讃美歌187番
讃美歌354番

《聖書箇所》

旧約聖書:イザヤ書 49章25節 (旧約聖書 1,144ページ)

49:25 主はこう言われる。
捕らわれ人が勇士から取り返され
とりこが暴君から救い出される。
わたしが、あなたと争う者と争い
わたしが、あなたの子らを救う。

新約聖書:マルコによる福音書 3章20-30節 (新約聖書66ページ)

3:20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。
3:21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。
3:22 エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。
3:23 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。
3:24 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。
3:25 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。
3:26 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
3:27 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
3:28 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。
3:29 しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」
3:30 イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

《説教》『正しさとは何か』

主イエスの周りには大勢の群衆が集まっていました。「食事をする暇もないほど」と記されていますが、原文では「食事をすることも出来なかった」となっており、時間がないということではなく、押し寄せた群衆によって小さな家が一杯になり、「食事どころではなかった」ということでした。主イエスに興味をもった人々で満ち溢れていたのが、初期のガリラヤ伝道でした。そして、集まって来た人々の期待は、主イエスの超自然的な癒しなどを求めてのことであり、主イエスを正しく理解していなかったということも事実でした。

先週1月31日に、13節以下をご一緒に読んだ時、この弟子たちと主イエスのお姿は教会の原型であることを述べました。教会とは主イエスが中心にあって、弟子たちを含むすべては、付随するものとも言えるのです。もちろん、弟子たちが何もしなかったのではありません。彼らも一生懸命に働いたことでしょう。しかしそれでもなお、中心に立たれるのは主イエス・キリストであり、教会に働く者は、たとえそれが十二使徒であろうと、ただキリストに従っている者に過ぎないのです。

それでは、この時、人々の目に映った主イエスのお姿はどうであったでしょうか。既に繰り返して来たように、主イエスの癒しの御業などに対し、人々が大きな興味と期待を寄せていたことも確かです。自分たちの要求、自分たちの眼に写る身近な幸福への願い、そのような人間の自己中心主義・エゴイズムが彼らの心にあったことに間違いありませんが、ただそれだけとも言えません。

自分の要求を第一とするエゴイズムは、誰にでも有るものであり、現代の私たちも同じでしょう。当時の人々と現代の私たちとは、問題や要求する事柄は違っていても、心の底にある自己中心性は変わっていないでしょう。

それならば、何故、あの時の熱狂が現代にはないのでしょうか。ガリラヤにおいて主イエスに向った爆発的と思える人々の集中には、単なる「物珍しさ」を通り越した「何か」があったと見るべきです。「イエスへの要求」という人間のエゴイズムだけを見るのではなく、かくも人々の心を引き付けた「何か」を、ここに読み取らなければならないのです。

続く21節から、「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者たちも、『あの男はベルゼブルに取りつかれている』と言い、また『悪霊の頭の力で悪霊を追い出している』と言っていた。」とあります。

主イエスの家族の者たちは「イエスが気が変になった」と思いました。「気が変になった」とは曖昧な表現ですが、正しくは口語訳聖書にあるように「気が狂った」と記されているのです。また、ユダヤ人の宗教的指導者である律法学者たちは、「イエスは悪霊の頭ベルゼブルに取りつかれている」とも非難しました。

しかしながら、主イエスが、病人を癒し、悪霊を追い出しているだけであったならば、家族の人々は「気が狂った」とは思わなかったでしょう。自分たちの家族の一人であるイエスが「どうしてこのような癒しの力を身に付けたのか」と不思議に思ったとしても、「取り押さえに来る」ことはなかった筈です。ナザレからカファルナウムまで約25km、石がごろごろしているガリラヤの山道を丸一日歩かなければなりません。31節を見れば、母マリアまで来ているのであり、大変な思いで駆けつけて来たと思われます。

それ程までしてナザレからやって来たということは、ただごとではない「気が狂った」としか思えない「何かがあった」と考えるべきではないでしょうか。そして弟子たちも、主イエスと同じ姿をとっていたに違いないのです。

何が、「狂った」と言われるほどに異常だったのでしょうか。それは、「何をしているか」ではなく、「どのように生きているか」ということでした。

それは先ず、彼らが平凡な生活を否定したことに見ることが出来るでしょう。ペトロたちはガリラヤ湖での主イエスとの出会い以来、家も職業も捨てたと思われ、御言葉を聞く人々にも自分たちのような在り方を勧めていたため、これ迄の生活を守る堅実な生き方を否定する危険な思想のように受け取られたのかもしれません。

また、主イエスは、多くの人々からバプテスマのヨハネの再来と見られたように、この世の権力を真っ向から否定はしなかったものの、それに従うのではなく、新しい権威、新しい価値観を説いていたと思われます。

祭司や律法学者たちは民衆の指導者であり、尊敬され、大きな権限を持っていました。会堂を中心としたユダヤ人の日常生活は、伝統的な体制に依存していました。そのため主イエスたちは反社会的行動をしていると見做されていたでしょう。加えて、主イエスの周りには当時の社会で軽んじられている人たちばかりが群がっていました。ガリラヤ湖で魚を採っていた漁師たち、軽蔑されていた徴税人、危険思想を持つ熱心党員、それらに加えて、娼婦として軽蔑されていた女性たちや難病に苦しむ人々、苦しい生活を強いられた未亡人たち。主イエスの周りに集まったのはこのような人々でした。

「神の国の到来」という福音を宣べ伝える主イエスの姿勢は、その時代の一般的な人々、特に体制派の人々には受け入れられないものでした。当時の常識的な人生の価値観と共存出来るものではなく、その時代の現実の社会体制の中で生きる者にとって「異質なもの」と見做されたのです。

私たちの周りには時折、「イエスの時代に生まれ、イエスの説教を直接聴いたら、素晴しい信仰者になったであろう」と言う人がいますが、それは大変な思い違いです。主イエスの御言葉を聴く者は、それまで自分が守って来たもの、大切にして来たものを否定する言葉を聴くのです。福音は、それまでの生活の流れを徹底的に変えることを要求しました。

今ここで、聖霊なる神が導かれる教会で、聖書を読んで分からない人は、何処へ行っても分からないでしよう。何故なら、それは聖書が難しいのではなく、心が固いからです。御言葉を拒否してしまっているからです。主イエスの時代の人々と同じように、福音を自分とは異質なものとして聴いているからです。主イエスの家族は、「言うことは分かるが、それほど迄にすることはあるまい。これはもう行き過ぎている」と思ったのです。

私たちはどうでしょうか。自分のこれまでの生活のリズムがある程度保たれ、社会の人々と折り合いをつけられるのであれば、異なる意見に対しても寛容であり得ます。しかし、自分を守る最後の場が否定されれば相手に対して寛容になることは出来ないでしょう。

律法学者たちが主イエスの奇蹟の御業を目の当たりにし、そこで示された偉大な力を見てそれを認めながら、それでもなお、悪霊との結び付きしか考えられないのも、主イエスの家族と同じ状態にあることを示しています。自分の考え、自分の生き方に合わないもの全てを、「まともではない」と決め付けるのです。

主イエスを愛する家族たちも、主イエスを憎む律法学者たちも、主イエスに対する対応が同じであるならば、それは、個人の感情的な問題ではなく、まさに人間の持つ罪の姿と言う以外ありません。福音とは、神様に背を向けた人間の眼には、「狂っている」としか見えないようなことがあるのです。

更に23節から主イエスは、「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることは出来ない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。」と言われました。

この28節以下は主イエスが「悪霊の頭ベルゼブルに取りつかれている」という批判に対する論駁です。そして27節の「強い人」とは、その悪霊を指しています。悪霊は、その力で人を罪と死の奴隷にし、「家財道具」のように家に閉じ込めているのです。この悪霊である「強い人」の家に押し入り、その支配下にある「家財道具を略奪しよう」とは、「悪霊に縛られている人を解放しよう」としているのです。そのためには、まず「強い人」を縛り上げるほどの強い力が必要であり、「わたしが悪霊を追い出しているのは、わたしが悪霊よりもはるかに強い力を持っていることの証明である」と、主イエスは言われているのです。

主イエスは悪霊との結び付きを完全に否定しています。そして、悪霊に憑かれていることが「気が変になっている」ということと同じであるとするならば、主イエスはここで、御自分の姿こそ「正常である」と言っているのです。そして更に、もし主イエスが正常であるならば、主イエスを「まともではない」と言う人こそ「まともではない」ということになるでしょう。「正しい」とか「まともである」ということは、それが何を基準にして判断されるのか、明らかに示されなければなりません。

主イエスは御自分の正しさをはっきりと宣言されました。そしてそれは、御自分の家族を含めて、多くの人々が「正常ではない」という宣言でもありました。「正しさ」とは「存在の正しさ」です。私たちが、今、どのように生きているかという問題です。どれだけ、世のため、人のため、また教会のために尽くしているかということではなく、どれ程人を愛して来たかということでもありません。「何のためになされるのか」ということが問われているのです。それは、「神様のため、神様に喜ばれるため」に他ならないのです。

この本来のあるべき姿を失った時、人は全て正常ではなくなると言わざるを得ません。かくて、神様に背を向けて生きる全ての人々は「まともではない」のです。信仰を与えられ神の御前に立つということは、この世の信仰のない人々の生き方から見れば異常な姿に見えるでしょう。信仰を与えられ人本来のあるべき姿として、神の国を生きる時に、人は正常な者として自分を新たに発見するのです。与えられた信仰こそが正しく人を生かすのです。

そして、28節から主イエスは、「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」と言われました。

この世で人間の犯す全ての罪は赦される、しかし、永遠の罰が定められるのは聖霊を汚す者だけとあります。それは何故でしょうか。

聖霊なる神とは、キリストから遣わされて私たちのところに来られた「助け主」です。聖霊を拒否する者は、聖霊が与えて下さる神様の赦しを拒否する者であり、神様の赦しを拒否する者は最終的な裁きを受けざるを得ないのです。

ですから、全ての人間に、神様の赦し、つまり正常な人間に戻る道が備えられているのです。福音を信ずるならば全ての人間は救われるのであり、滅びる者は、自分から赦しを拒否して破滅への道を進んでいるのです。

私たちが、今、キリストに属する者、キリストの弟子として教会に召されたということは、この神様の救いの御心が、全ての人々に対して向けられている、ということを証しするためなのです。

聖書が告げる主イエス・キリストの喜びは、私たちがこの世に埋没してしまうことではなく、この世の人々と平和に共存してしまうことでもなく、弟子たちのように、周囲の人々とは違う生き方、新しい生き甲斐を持つ人間の姿を示すことなのです。「いったい、どちらが正常なのか。」との問い掛けを、生涯をかけてこの世に向って証ししていくのが、私たちキリスト者なのです。私たちの日々の生活、生きる姿によって、聖霊に助けられてこの証し人となるのです。

お祈りを致します。

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キリストの御前に出る

《賛美歌》

讃美歌Ⅱ-30番
讃美歌187番
讃美歌000番

《聖書箇所》

旧約聖書:イザヤ書 43章25-26節 (旧約聖書1,132ページ)

43:25 わたし、このわたしは、わたし自身のために/あなたの背きの罪をぬぐい/あなたの罪を思い出さないことにする。
43:26 わたしに思い出させるならば/共に裁きに臨まなければならない。申し立てて、自分の正しさを立証してみよ。

新約聖書:マルコによる福音書 2章1-12節 (新約聖書63ページ)

2:1 数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、
2:2 大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、
2:3 四人の男が中風の人を運んで来た。
2:4 しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。
2:6 ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。
2:7 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
2:8 イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。
2:9 中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。
2:11 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」
2:12 その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

《説教》『キリストの御前に出る』

先週の説教では、重い皮膚病を患っている男の「癒し」というより、「救い」を主イエスがなさり、その評判を聞いた人々が癒しを願って殺到し、主イエスはカファルナウムの町に入ることができなくなりました。町の外の人の居ないところに移られましたが、それでも人々が主イエスのもとに集まって来てしまいました。

1節から、「家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった」とあります。この家とはおそらくシモン・ペトロの家と考えられます。

物語に入る前に、当時の庶民の家の構造をお話ししておきましょう。木材が極端に乏しいパレスティナでは、土に藁などを混ぜて固めた日干し煉瓦で壁を作りました。雨の殆ど降らない砂漠の国だから使える材料です。この家は壁が厚いので、夏は涼しく、冬は暖かいという利点もありました。壁から壁に約1米間隔で渡された梁があり、その上に泥で塗り固められ平たい屋根を乗せたというような簡単な作りになっていました。ペトロの家もおそらくこのようなものであったでしょう。

2節に、「戸口の辺りまですきまもないほど」と記されていますが、狭い漁師の家であり、近所の人々が集まっただけで一杯になり、入りきれない人々が戸口から中を覗いていたという状況が思い浮かびます。

この人々が何を期待して集まっていたのかは聖書からは分かりませんが、おそらく、再び奇跡を求めて来たのではないでしようか。しかしここで主イエスがなされたのは神様の愛の宣言であり、人間の救いに関する福音の説き明かしでした。人々は期待外れの思いをしていたでしよう。そんな話より噂に聞いた素晴らしい奇跡を見たいものだ。誰もが見たことのない驚くべき力を早く示してくれないだろうか。集まった人々の心はおそらくこのような奇蹟を期待するものであったでしょう。しかし、主イエスは福音を語られたのです。それが教会の始めであり、教会とはそのようなものでなければなりません。しかしながら、この集まりは思いもかけないことによって中断されてしまうのです。

3節と4節には、「イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。」とあります。既に述べた当時の庶民の家の構造から、緊急の時に屋根をはがすことは決して考えられないことではありませんでした。

ところが、そうは言っても、他人の家の屋根を剥がして、家の中を土煙・土埃まみれにして、行われている集会を中断させ、集まった人々の真ん中に頭上から病人を吊り降ろすとは実に乱暴で、無作法なことでした。部屋の中にいる人々の頭の上から、壊された屋根の泥や土埃がたくさん落ちてきたことでしょう。家の主人であるペトロにとって、言葉にもならない驚きであったに違いありません。

ところが、ここには、さらに驚くべきことがあるのです。この男たちの非常識さに勝って私たちを驚かせ、当惑させるものが、ここにあります。それが、このときの主イエスの仰った言葉です。5節に、「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた。」とあります。

主イエスはこの時、信仰の何を御覧になったのでしょうか。何故、このような宣言をなさったのでしょうか。

これまでも病気の癒しを主イエスは数多くなされてきました。主イエスのもとに来るのは、御言葉を聞く人より、病気の癒しを求める人のほうが圧倒的に多かったからです。そしてその都度、主イエスは病気で苦しむ人々の要求に応えられながらも、御言葉を求めることを知らない人々にガッカリなさった筈です。

それにも拘らず、主イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われました。ここに、私たちの眼と主イエスが御覧になる眼との違いが明らかになって来るのです。

今ここで、主イエスの眼差しは病気の男だけにではなく、このような非常手段に訴えて病人を運んで来た四人の男たちにも向けられているのです。私たちは彼らの行動を非常識なものと考えてしまいます。しかしそれでは、常識的な行動とはどのようなことでしょうか。病人を運んで来た四人の男が常識的に行動するとは、どうすることでしょうか。

この男たちが病人を連れて来た時、主イエスの居られる家は満員でした。中へ入る余裕はありませんでした。しかし彼らは諦めなかったのです。彼らの求めは、「場所が空くまで外で待とう」などという程度ではなく、「何としても中に入る」という行動に結び付きました。「何が何でもナザレのイエスの前に連れて行かなければならない」ということに心は集中していました。もちろんそれは「友人の病気を治したい」という次元のものでした。

主イエスがこの四人の男を御覧になり、彼らを受け入れられたのはもはや理屈ではありません。彼らの行動がどのようなものであり、正しいか間違っているか、或いは社会常識においてどうか、などということを主イエスは問題にされませんでした。四人の男たちは、ただひたすらに「キリストへ近づく」ということに集中しています。自分の前に置かれている障害を突破し、なんとしてもナザレのイエスの前に辿り着こうという凄まじい気迫を、この四人の男たちに見ることが出来ます。

主イエス・キリストとの出会いを妨げるものに対して、私たちはこれほど強引でしようか。主イエス・キリストに近づくために、私たちはこれほど力を出せるでしょうか。主イエス・キリストの前に出ることの価値を、私たちはこれほど尊く感じているでしょうか。

「病気を治してもらいたいだけではないか」と批判する前に、この世に来られた神の御子の前で、友人のために屋根をはがした男たちと、今の自分の姿とを比べてみるべきでしょう。

主イエスは彼らを受け入れました。この男たちの友人への愛と熱情を主イエスは喜ばれ、「よし」とされたのです。「ナザレのイエス以外に希望はない」という彼らの思いを受け止め、主イエスは救いを宣言されたのです。

「あなたの罪は赦される」。ここでの「罪」という言葉は原文では複数なので、生まれながらの罪である「原罪」ではなく、日々の生活の中で犯す罪、日々積み重なる「個々の罪」のことです。当時の人々が病気の原因と考えていたものを主イエスは取り去られたのです。「何か悪いことをしたから病気になった」と思い込んでいた人々に、「もうそのようなことで悩む必要はない」という宣言がここにあるのです。

6節と7節には「ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。『この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。』」とあります。さすがに律法学者たちは聖書に詳しく、ものごとを聖書に従って正しく判断しており、「罪を赦すのは神のみである」とはまさしくその通りです。もし、律法学者たちが主イエスを批判し、その正体を探るために監視していたのであるならば、「罪を赦す者は神のみである」との正しい答えがここから出て来る筈です。しかし、そのような考え方は、律法学者たちにとって「決してあってはならないこと」でありました。彼らにとって、自分たちが理解している律法を超える救い主など断固として認められなかったからです。ですから、彼らはこれまで多くの人々と共にペトロの家で、御言葉を聞いていながらも、実は、心の中で「そんなことがある筈はない」と思い、あら探しに熱心になっていたのです。律法学者たちは、その他大勢の人々と同じように、主イエスの御言葉を福音として聞いていなかったのです。

それに対して、屋根を壊してでも病人を吊り下げた男たちは、それを少しも信仰だとは思っていなかったかもしれません。しかし、主イエスは御自身に対する「強引な委ね」を受け止められたのです。

この男の病気は癒されました。もはやこの癒しが「罪の赦し」という御業の前では付録に過ぎないことは明らかでしよう。しかし、世の中には付録の方を大切にする人もいるのです。そこで主は「付録」において神の御子としての権威をお示しになったのであり、この奇跡は、かたくなな全ての人々の誤りを正す「思いやり」としてみることが出来るでしょう。

12節に「その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、『このようなことは、今まで見たことがない』と言って、神を賛美した。」とあります。

「今まで見たことがない。」とは、「聞かされた主イエスの御言葉」より、自分が目にした出来事の方が問題になっているということです。ここに、信仰の本当の意味を決して悟ることの出来ない人間の姿があります。

そして何よりも私たちが驚かされるのは、この人々の悟ることの出来ない姿にも拘らず、主イエスが人間の僅かな思いも見落とされず、受け止めて下さるということです。主イエスご自身が、この様な無知で、知ろうとしない人々に対して、怒ったり、落胆されたりせずに、丁寧に愛情あふれた対応をされているのです。

無知な人間の熱心さとかたくなな人間の批判の眼の前において、なおも神様のご愛とご栄光が、明らかにされているのです。神様の怒りを招くのではないかとさえ思える人間の愚かさに対してさえ、神様の赦しがなされるのです。

この素晴らしい神様の恵みである主イエス・キリストの救いを、皆様が大切にしたいと願っている人たちにお伝えしていきましょう。お祈りを致しましょう。

<<< 祈  祷 >>>

神の心

《賛美歌》

讃美歌Ⅱ-1番
讃美歌338番
讃美歌242番

《聖書箇所》

旧約聖書:イザヤ書 61章1節 (旧約聖書1,162ページ)

61:1 主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。

新約聖書:マルコによる福音書 1章29~39節 (新約聖書62ページ)

1:29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。
1:30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。
1:31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。
1:32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。
1:33 町中の人が、戸口に集まった。
1:34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
1:35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。
1:36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、
1:37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。
1:38 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」
1:39 そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

《説教》『神の心』

主イエスはガリラヤ湖で漁師をしていたシモンとその兄弟アンデレ、そして、ヤコブとヨハネの兄弟の四人に声をかけられ弟子とされ、ガリラヤ地方で伝道を始められました。その伝道の方法はユダヤ教の会堂・シナゴーグで安息日に説教されるというものでした。

主イエスは、このユダヤ人の会堂を新しい時代の開始を告げる場としてお選びになりました。限られた人々が定められた形式だけを守っている神殿ではなく、一週間の生活に疲れた人々が、新たな日々のために慰めと勇気を求めて集まって来る会堂、「そこにおいて主イエスが語り始められた」ということこそ、福音の開始に最も相応しいとマルコは告げています。

キリストの福音は、疲れた心、求める心に語りかけられます。御言葉を聞かずには新しい日々へ向って行くことが出来ない人々に、主イエスは語りかけられるのです。そして神が定められた安息日とは、この主イエス・キリストの御言葉による「新しい時」の始まりの中にこそ見ることが出来るのです。まことの安息とは、主イエス・キリストによって実現する「神の国」において与えられるからです。

この主イエスが公生涯の初めとして語られた言葉は1章15節にある「時は満ち、神の国は近づいた」であると、マルコは極めて簡潔に記しています。

安息日の会堂で悪霊に対し神の子としての権威を示された主イエスは、集会が終わると、本日の29節にあるように、シモンとアンデレの兄弟の家に行きました。主は何をするためにシモン・ペトロの家に行かれたのでしょうか。この時の状況を注意深く見ると、次のようなことが分かります。先ず第一に、イエスは「すぐに」ペトロの家に行きました。ペトロの家は会堂の「すぐそば」にあったのです。次に気がつくことは、私たちの聖書には書かれていませんが、原文の30節は「しかしながら」という意味の言葉で始まっています。そして31節の「もてなした」とは「奉仕する」という言葉で食事の準備をすることです。

これらのことから考えられることは、初めて会堂でイエスの説教を聴き、悪霊の追放という驚くべき御業に接したペトロが、集会後「主イエスを食事に招待した」ということです。本日の聖書の箇所は、「病人の癒し」が中心になっているように思われますが、ペトロは「姑の病を癒してください」と言って主イエスを招いたのではなく、また主イエスも「病気を癒すために」この家に行ったのでありませんでした。集会後の愛餐、それがこの時の目的でした。ところが家に入ってみると、思いもかけずペトロの妻の母が熱を出して寝込んでいたのです。主イエスを食事に招待したくらいですので、これはペトロにとっては予想していなかった突発的なことであったのでしょう。ですから、この奇跡はまさに偶発的な出来事でした。会堂における悪霊との戦いのように断固とした態度を示されたのでもなく、心を痛めて病人の家に行ったのでもありません。マルコによる福音書は、この出来事によって何を語ろうとしているのでしょうか。

この時、主イエスは集会を終えたばかりで、会堂で明らかにされたことは「イエスこそ安息日の主である」ということでした。「福音が語られ神の御子が働かれる時、新しい時代が始まった」ということが宣言されたのです。そして今、ペトロの家に入ったのは、未だ日没前であり、当然、安息日の最中です。ユダヤの一日は日没が区切りですので、安息日が終わるのは「日が沈む」32節です。そして律法によれば、病気の癒しは安息日には固く禁じられていました。ですからこの日の午後、ペトロの姑の癒しは、律法からは、「許されないこと」だったのです。マルコ福音書は、安息日の午後、思いがけない成り行きによって禁じられている業を行われた主イエスのお姿を記すことによって、古い律法に縛られない新しい時代の到来をここに告げ、イエス・キリストは会堂の主であるのみならず、会堂の外においても、安息日においても主であられるということを明らかにしているのです。その安息日の終る日没になると、32節「夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は主イエスを知っていたからである。」とあります。ここに、「多くの悪霊が追い出された」と記されています。これがいったいどういうことなのか、この記事だけでは詳しくは分かりません。ここでは、単なる病の癒しではなく、私たちの理解を遥かに超える事柄が起こっているのです。

病気の癒しであるならば、現代医学は当時より遥かに進んでいます。ペトロの姑の発熱くらい、簡単に治るでしょう。そうすると、現代医学は主イエスの御業のある部分を肩代わりするということになるかもしれません。医学が進歩すればするだけ主イエスの御業は必要性を失い、やがては病気の治療に関して、医学のほうが「主イエスより遥かに多くの部分を受け持つ」ということになってしまうでしょう。もし、「病気の癒しそのもの」がこの物語の中心ならば、このような結論になってしまいます。さらにまた、この奇跡を誤解して、「祈れば病気も治るはずだ」と言う人もいます。または、「教会は何故病気を治せないのか」と非難する人さえいるかもしれません。しかし、もし「病気の癒しそのもの」が大切ならば、何故、主イエスは十字架で死なれたのでしょうか。何故、伝道開始以来僅か三年余りで死んでしまわれたのでしょうか。もっと何十年も長く生きて、多くの病人を癒したほうが遥かによかったのではないでしょうか。しかし、それは医者としてだけの主イエスの姿です。それは、決して救い主のお姿ではないでしょう。医学は、救い主・主イエスに取って代われるものではありません。医学の発展の前に信仰が不要になることも有り得ません。この奇跡物語を読み誤ってはいけません。私たちの驚きは、「病気が治った」という表面的な事柄にではく、主イエスの御業を通して聖書が告げようとしている事柄に目が向けられなければならないのです。

医学の発達していない当時の人々は病人を「悪霊に取り憑かれている」と信じていました。あらゆる思いを遥かに越え、自分自身ではどうすることも出来ない大きな力、人間を苦しめ傷つけ何時までも惨めさの中に閉じ込めるもの、それを人々は「悪霊」と呼んでいたのです。病気とは、この恐るべき悪霊に憑かれることから始まり、その力の下で苦しみ続けるというのが、避けることの出来ない人間の定めとして理解されて来ていました。ですから、病気の癒しは、何よりも「悪霊の追放」と結び付けられ、人間の力の及ばない事柄と考えられていたのです。そのことを知るならば、主イエスがここで何をなさろうとしているのかが明らになるでしよう。この物語の重要なところは、熱が去った・病気が治ったという現象的なことではなく、病人が人間としての正常な姿を取り戻したこと、「悪霊が追い出された」ということにあるのです。

病気は確かに恐ろしいものです。私たちの肉体を苦しめ、精神を傷つけ、死を招きます。しかしながら、キリスト者の生き方は病気による死によって終わるのではありません。その死の先にある希望を見なければなりません。イエス・キリストを救い主として信じる者にとって、人生の目標は父なる神の御国に召されることです。もし、眼に見えるこの世の生活が全てであるとするならば、確かに、その生活を奪い取る死は最も恐ろしい敵であると言えるでしょう。しかしキリスト者は、この世の生活を神の御国への旅路として見ており、死を越えて永遠の生命に生きることを信じているのです。その信仰を抱く者に「病気」は、一体、何をすることが出来るのでしよう。父なる神の御前に出るのに、「病気」が何の妨げになるのでしょうか。神の国に生きる者に「病気そのもの」は何の障害にもなりません。新約聖書18ページのマタイによる福音書10章28節には、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」と記されています。「病気そのもの」を恐れる必要はないのです。病気の苦しみに付け込んで私たちの心を神様から引き離そうとする存在にこそ、眼を向けなければなりません。それが「悪霊」と呼ばれているものです。

悪霊を単なる「古代人の幼稚な迷信」と考えてはなりません。現代的に言えば、神様に逆らい、私たちを「神様から引き離そうとする力」のことです。私たちの魂の自由を束縛する全てのものと言うことも出来るでしょう。このような力が人々の心を惑わしている事実は、現代でも肉体の病気を治すことに熱中するあまり、魂の自由を平気で売り渡す人が如何に多いかを見れば明らかでしょう。そこに、肉体の苦しみを利用して魂を真実の神から引き離そうとする巨大な力の働きを見ることが出来ます。身体と魂とどちらが本当に大切なものかを、先程お読みしたマタイ10章28節の「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」との御言葉を思い返さなければなりません。

病気と信仰は全く別な問題と言ってよいでしょうか。肉体の健康は医者、魂の健康はキリスト、と完全に分離できるのでしょうか。「私はただ人の傷に包帯を巻くだけであり、あとは神が癒される」と言ったキリスト者の医師がいます。もちろん、この言葉は医者の働きについて謙虚に語っているのであり、医師としての最大の努力は尽くしたことでしょう。語っていることの意味は、治療という事柄の中にも神の御業が現されている、という告白です。医師は、知識と技術によって神の御業に仕えているのであり、最後の決定は「ただ神のみがなされる」というのが私たちの信仰です。肉体も魂も全ては神の御手の中にあると信じるのがキリスト者であり、その神の絶対の権威の下で全ての奇跡を見なければならないのです。

今日の、この奇蹟物語は、イエス・キリストが人間の魂に自由を与え、神の御許に行く道を開いて下さるという福音の宣言を、「病気の癒し」という出来事を通して語っているのです。

主イエスがなさった病人の癒しは、会堂で語られたことの「眼に見えるしるし」に過ぎなかったのです。それにも拘らず、人々は「しるし」の目的を見ることなく、たまたま行われた「眼に見えることがらのみ」を追い求めたのです。そしてその「しるしとしての奇跡」も、苦しむ者を見過ごしに出来ない「主の憐れみ」によるものであることに、誰も気付きませんでした。38節で「私は宣教するために来た」と主は言われました。その御心を思わず、主の憐れみのみを利用することを考える人間の心の貧しさが浮かび上がって来ます。

あなた方を罪から自由にすると言われる主イエスの御心を省みず、自分の要求だけを押し通す人間の醜さが、私たちに突き付けられているのです。

私たちは今、どのような主イエスのお姿を信仰の眼に映しているでしょうか。どのようなことを期待して主イエスを追い求めているのでしょうか。新約聖書362ページ、フィリピの信徒への手紙 1章21節でパウロはいっています、「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」

罪という悪霊から解放された人間が、如何に大胆に勇気を持って生きることが出来るか、ということを、信仰の先達たちが多くの実例をもって示しています。

生死を御手の中に置かれるイエス・キリストが、全世界の主として私たちの前に立っておられるのです。主イエスが居られるところ、それが「神の国」です。父なる神の主権が御子キリストによって明らかにされているのです。

今日のマルコ1章29節以下の主イエスが行われた御業は、神の主権の所在と御子キリストの絶対の権威を強く宣言しているのです。主イエスとは何者かを語っているのです。

御子なる神のお姿に、神の義と愛とを正しく見る時、御子なる神のお姿に罪の惨めさと解放の喜びを知らされる時、その時こそ、主イエスに向って、「あなたこそ神の子キリストです」という正しい信仰告白がなされるのです。

その時、主イエスは、告白する私たちと共に、永遠に留まり続けてくださるのです。

この素晴らしいイエス・キリストの救いの御業を覚え、ただ感謝するだけでなく、お一人でも多くの方々に、この素晴らしさを伝えて行きたいものです。

お祈りを致しましょう。

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「放蕩息子」のたとえ

《賛美歌》

讃美歌247番
讃美歌257番
讃美歌267番

《聖書箇所》

旧約聖書:イザヤ書 55章7節 (旧約聖書1,153ページ)

55:7 神に逆らう者はその道を離れ/悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる。

新約聖書:ルカによる福音書 15章11-32節 (新約聖書139ページ)

15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
15:23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
15:25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
15:26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
15:27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
15:28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
15:29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
15:30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
15:31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
15:32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

《説教》『「放蕩息子」のたとえ』

今日、示された聖書箇所はあの有名な『放蕩息子』のお話です。このイエス様ご自身による有名な“放蕩息子のたとえ話”は聖書の中でも『福音書中の真珠』と言われるほどに絶賛されている物語で、皆さんも何度も読み、お聞きになった筈です。今日は、この『放蕩息子のたとえ話』について再び考えてみたいと思います。

始めの11節にあるように『息子が二人いた』ことから、このたとえ話は「二人の息子のたとえ話」とも呼ばれていて、前半は弟の話で、後半は兄の話になっています。

二人の息子の年齢などははっきりとは分かりませんが、弟は10代後半から20代の年齢の独身の若者と考えられるます。続く12節で、弟が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言いだすと、父親は財産を二人に分けてやったのでした。この時代、父親が元気なのに「財産の分け前」を請求するのは異例の事と言えます。旧約聖書p.313の申命記21章16~17節に「長子権について」の記述がありますが、その通りにすると、兄の取り分2に対し弟に1の割合、この場合二人兄弟らしいので、弟は兄の半分の財産を分けてもらったことになります。しかし、後半の話から考えると父親は全ての財産を兄弟2人に分け与えてしまったのではなく、ここでは弟にだけ分け与え、兄には財産を分ける約束をしただけか、または、分け与えても父親が財産管理をしていた様に思われます。そして、13節には、「何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。」とあります。弟は折角譲ってもらった財産をすべて金に換えて家を出てしまいました。この「遠い国」とは父親なき世界、息子に対する父親の支配の及ばない国といった意味で、異邦人の地と考えられます。それはこの後の15節に出て来る家畜の「豚」がユダヤ人が汚れた動物として忌み嫌って、飼う事など決してなかったことからも「遠い国」が「異邦人の地」であると容易に想像できます。その異邦人の国で、弟は父親の目もなく、まったく自由気侭に遊び廻ったのでした。

しかし弟のそんな放蕩生活が当然長続きする筈もありませんでした。結果は14節に「何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。」とあります。弟は親から貰った財産を使い尽くした時、遊びや金が縁で出来た友人達は、誰も彼を助けようとしなかったのでした。そんな時にひどい飢饉が起こるとは、勿論予期出来なかったことです。そして、15節、「その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。」とあります。この『その地方に住むある人』とは、先程お話した様に明らかにユダヤ人ではない異邦人で、そのある人がユダヤ人の忌み嫌う『豚』の世話をさせたのでした。『豚』は、旧約聖書の時代からユダヤ人に最も忌み嫌われた不浄の動物で食べることはおろか、飼うこともしない動物でした。この様に、弟はユダヤ人の良家の子息が決してしない仕事であった『忌み嫌う動物である豚の世話』に従事する羽目になってしまった、つまり極端に落ちぶれてしまったわけです。ちなみに、現代のユダヤ人も『豚』は口にしないそうです。16節には、「彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。」とあります。この『いなご豆』とは、俗称「ヨハネのパン」とも呼ばれる豆で、貧しい人々は食用にする事もあったらしいのですが、ここでの強調点はそれが『豚の餌』である『豚の食べるいなご豆』だったという点です。現代に例えれば「ドック・フード」や「キャット・フード」などまだましで、忌み嫌う動物である『豚の餌』すらも食べたいと思うほどに空腹で、自分が「豚以下」であるという惨めさと、誰ひとりとして「助けてくれる人のいない孤独」を表しているのです。17節の初めに『我に返って』とあります。この時に弟の「悔い改め」が始まったと言えるのです。『我に返って』とは自分自身のその救い難い状態に目覚めると共に、彼の帰るべきところは『父のところ』だと気付いたのです。故郷の父の家は、『あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがある』と記されている様に、豊かに潤っていたのでした。そして、彼は18節から19節で、「ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と。」悔改めます。ここの、『父のところに行って言おう』以降は、明確な『罪』の告白です。この罪の告白は、自分が価値のない者であると認める「へりくだりの言葉」でもあるのです。そしてその言葉は、『あなたの子』として父親に甘えるのではなく、『雇い人のひとり』として父のために働こうと決意する「へりくだり」へと明らかに繋がっているのです。

弟の「悔い改め」に到るまでの前半部分を受ける形で、中盤が始まります。この20節から24節は「父の愛のたとえ」とも「待っている父のたとえ」とも呼ばれる部分です。父の深い愛を示していると言える聖書箇所です。20節で、弟は父のもとに帰る決意を実行に移すべく『彼はそこをたち、父のもとに行った』のでした。このたとえ話で、お分かり頂けるように「悔い改め」とは、神のみもとに立ち返ることなのです。20節の『ところが』からは、彼の父親への「悔い改めの告白」に先行する、この父親の大きな愛と赦しの心が描かれていると言えます。この父親の行動は、息子への赦しと交わりの完全な回復です。同じく20節にある『憐れに思い』とは、このたとえ話の非常に重要なキーワードです。この『憐れに思い』が父親の深い愛を現わすキーワードになっているのです。続く21節で、「息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』」と告白します。

ここで彼は用意した父親に対する「悔い改め」の言葉を言いますが、用意した『雇い人の一人にしてください。』という最後の「申し入れの言葉」というか、予め用意していた言葉の最後までは、父親は言わせませんでした。大きな父親の愛が悔い改めた過去の罪を赦し責めなかったのです。そして、22節で、「父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。』」と言います。ここで、父親は、“自分勝手に出て行った放蕩息子”として責めるのではなく、愛する自分の子として扱っています。ここで父親の指示した『いちばん良い服』を着せることは、その社会的地位、家族としての地位を回復させることを現わしています。そして、『手に指輪をはめてやり』は、当時は印章にも用いる指輪であり、当時の権威を表すものと言えます。そして、『履物』は、当時は奴隷や僕は履物を履かなかったことから、身分の回復であると言えます。

そして、息子の帰還を喜ぶ父親は祝宴を開く決心をする23節へと移ります。ここでは、父親の喜びが、この後の24節にある「祝宴」という言葉によって表現されていると言えます。この『肥えた子牛を屠る』とは特別なもてなし用に飼育された子牛のことで、父親の開いた祝宴の盛大さ・大切さを物語っているのです。そして、父親自身によるこの『祝宴』の開催理由の説明がされています。『死んでいたのが生き返り』とは、勿論本当に死んだのではなく、象徴的な意味で、“霊的に死んでいた”と言えば分りやすいでしょう。そして『死んでいたのが生き返り』は、それぞれ次の『いなくなっていたのに見つかったから』と対句をなしていると言えましょう。

弟が家を出て放蕩して失敗する前半部分、悔い改めて父親のもとに戻ってくる中盤部分を受けて、この最後の25節から32節は兄のたとえ話となります。24節までの弟のたとえ話では、父なる神が、悔い改めて父なる神のみもとに帰って来る罪人を喜び迎えて下さることを語っていることは明らかと言えましょう。続く25節以降で兄が登場し、彼の気持ちが語られるのはどうしてでしょうか。そこにも、父なる神の御心を知るための大切な教えが語られているのです。

ここで、『畑』にいた兄が帰ってきますが、何かの手違いなのか、喜び過ぎた父親がうっかり忘れたのか、働き者の兄には、弟が戻って来たので、父親が祝宴を開くとの知らせが届けられませんでした。少々奇妙な話ですが、その明確な理由はここでは語られていません。そして、知らされていなかった兄は祝宴が開かれている理由が分らずに、家の外に僕のひとりを呼び出して、何事が起きているのか聞いたのでした。すると、「僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』」とあります。兄に家の外に呼ばれた僕が祝宴の理由を『[あなたの]弟さん』が帰還したことを告げ、『[あなたの]おとうさん』が開いた喜びの祝宴ですと説明しました。兄はここで始めて弟が帰って来たことを知ることとなりました。すると、父親は兄に事前に説明してなかったことを思い出したのか『父親が出て来てなだめた』とあります。この父親の姿は、先程、弟を出迎えた父親の姿と同様に、兄にも丁寧に、愛情深く対応していると言えます。そして、兄が自分の思いを訴える場面です。

ここでは、兄の父親に対する不満と批判の言葉が綿々と連ねられています。この兄の言葉には父親への感謝と尊敬の念が欠けていることは明らかです。また、言葉だけの問題かもしれませんが、弟が父親に21節にある様に「お父さん」と呼びかけるのに対し、兄はその「お父さん」という呼びかけの言葉を発していません。兄は形の上では父親のそばにいて父親を大いに助けていたのでしょうが、父親を敬ったり、大切にしたりはしていなかったとも考えられます。兄は、ここで父親に対して、『長年父親に厳格に仕えたのに、何もくれなかった』と大いに不満と批判をしています。そして、弟に関しては『娼婦どもと一緒に父親の身上を食いつぶした』と断罪と軽蔑の言葉を向け罵(ののし)っています。兄にとっては、父親との大切な絆は、愛に基づく信頼ではなく、『仕えること』と『言いつけを守ること』でしかなかったのだと言えます。ここで使われている『仕える』とは「奴隷として仕える」という意味の言葉です。つまり、兄は自分の父親に対して「息子」の様にではなく「僕」のように忠実に父親に仕えてきたと訴えているのです。この兄は『何年もの間、自分は親の「奴隷」だった』とでも言うかの様に訴えているのです。また、ここで、兄が貰えなかった『子山羊1匹』とは、弟のために屠った『肥えた子牛』に比べはるかに安いものなのに、父親はそれすら自分にくれなかったではないか、と父親をなじっているわけです。この兄の心の動きは、弟を「私の弟」と親しく呼ばずに『あなたのあの息子』と他人行儀に呼んでいることからも推し量る事ができます。そして、31節以下です。

この冒頭で、父親は兄に「子よ」と呼びかけています。父親にとっては兄もまた当然「子」であって、決して「奴隷や僕」ではありません。この父親は、「父よ」と呼び掛けなかった兄をとがめずに『お前はいつもわたしと一緒にいる』ことの幸いに気付かせようと話し掛けているのです。そして、更に全財産を兄にやるつもりだとまで告げているのです。父親は兄を愛してこの様に、重ねて説得するのですが、兄には父親の愛がまったく分ってないと言えます。続く最後の32節で父親の言う『お前のあの弟』は、30節の『あなたのあの息子』と対照的に「弟は私の息子であると同時に、おまえの大切な弟なんだよ!」と言う父親の気持ちを込めた言葉と言えます。そして、その大切な弟が帰って来たことを喜ぼうという大きな愛が教えられ、兄に語られているのです。

この物語のテーマは、人の罪を赦して、温かく迎えてくださる、父なる神の愛です。

創造者である父なる神に創られた『被造物』でありながら、その被造物であることすら忘れた「罪人」である我々人間が『悔い改め』て、神のみもとに立ち返るのを、父なる神は待ち望んでおられるのです。この『放蕩息子のたとえ話』にある様に、迷える子羊である人間は、父なる神の救いを必要としているのです。

しかし、「福音書中の真珠」とまで称賛されているこの物語にはしっかりと「兄の話」が語られていることを私たちは忘れてはなりません。弟として父なる神の愛をしっかりと受けた筈の私たちクリスチャンは、救われて月日を重ね、ややもすると「兄」となってしまってはいないでしょうか。キリスト・イエスの十字架の救いに与かり洗礼を受けた我々クリスチャンは、ついつい「兄クリスチャン」になって、「弟クリスチャン」を見下し、裁いてしまってはいないでしょうか。

「放蕩息子」であり「弟」であった私たちが神様に救われて喜んでいるうちは幸いですが、年月が経って行くに従って「兄」となってしまうのではなく、益々ヘリ下って、御子に似たものに砕かれます様、祈り求めましょう。

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